相手の目も見なくてもいい。
しかし、
モノローグと思っていた言葉が、
誰かに受け取られる、
という体験を
今までもしていたはずだ。
モノローグを本当に一人きりでずっとやっていたら
それは妄言だ。
誰かが聞くモノローグ。
ある程度の安心感がなければ
それはできることではないのではないか。
そこから相手の目を見ることができるか。
ぴったり据える必要はない。
そこで言葉を引き取るように
下を向かずに。
自分の言葉を、
まるで恥ずかしいもののように
いけないことを言ったように
納めずに、
相手にそっと投げかけることができるか。
そして、相手の言葉を受け取り、
そこで初めて相手の様子をきちんと見て
ああ、この相手が自分の言葉を聞き、
受け取り、返しているのか、と認識できるか。
それまで自分のことで
一杯いっぱいで見えなかった相手のことが見えるか。
その認識が出来た時から
ダイアローグが始まるのではないか?
ダイアローグは
相手の存在を認めることだ。
お互いに聴き合い、
思ったことや感じたことを
キャッチボールできるかだ。
同じ言語を使っていても
通じていないことがある。
そこもちゃんと見ることができ、
そこに立ち戻ることができるかどうか。
ダイアローグの始まりは
ぎこちないかもしれないが、
始まらなければ
永遠に自分の世界の中に閉じ込められるだけだ。
扉を。
扉は自分から開けなければ!