思考・情動そのものの組み換えは、あらゆる技芸習得プロセスで見られる。それはシャーマニズムの成巫過程から、モダンアートまで変わらない。そしてその「組み換え」には、伝統的に身体的修練による効果が確認されている。近年では脳科学でも再確認された。アート(技芸)とは自己変容の技術でもある。
— 中島 智 (@nakashima001) 2017年6月22日 - 08:01
自己変容は、自己肥大化とは対極にあって、むしろ自己滅却(媒体化)にむかうものだが、これは身体的実践/制作に携わる人々なら日々体験していることだ。問題は、身体的実践プロセスを作品にから「解凍」して、身を重ねることが難しい鑑賞者である。鑑賞教育ではその「身体的組み換え」が肝である。
— 中島 智 (@nakashima001) 2017年6月22日 - 08:12
たまたまアート(技芸)に縁が薄かった人々は、制作をも鑑賞をも「自己表現/自己肥大化」と誤解するが、実は「非自己表現/非自己受容」であり、同様に、「理解」ではなく「理解外への投企」であり、「思考・情動の実現」ではなく「思考・情動そのものの組み換え」なのである。
— 中島 智 (@nakashima001) 2017年6月22日 - 07:51
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— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月23日 - 12:14
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話題のフィッシュコラーゲン入り
ほんの数秒で完成!
簡単グリーンスムージ♪
2sk.co/0396c
@susuharai 「批判」と「批難」を混同している方がとても多いのではないかな、と感じます。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月23日 - 21:29
@susuharai そもそも批判とは何か、ということを体験する場がなかった方も多いですね、この国では。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月23日 - 22:56
@susuharai そうですね。この限定感がなんとも閉塞的…。議論する、ということを自分の場合は大学のゼミでその楽しさも含めみっちり経験化できましたが、中高でもそういう体験の場が必要と思っています。プログラムとしてあれば全く違うと思います。忖度ばっかりしててもね(笑)
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月23日 - 23:16
@ranty_o バベルの塔のようではないですか!
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月23日 - 23:17
これは体験してみたいなー twitter.com/Mami_SoulUnion…
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月23日 - 23:21
@susuharai 言葉にでき得ない世界の体験とかもですね。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月23日 - 23:32