奥さんが図書館から萩原慎一郎さん(1984~2017)の歌集「滑走路」(2017)を借りてきました。今話題の歌集のようでした。私もつまらない短歌のようなものは作ったりしますから、参考にさせてもらおうと読んでみました。ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ この「非正規」にまずみんな引っかかりを感じ、心の痛みを感じます。 み . . . 本文を読む
三月の三分の一が過ぎました。私はどんどん老化していて、昨日なんて自分のツバがちゃんとのみ込めなくてものすごいセキをしました。少し呼吸困難になりました。もっと激しかったら、そのまま死んでしまうのかも、とか思いました。 まわりのみなさんに心配されるくらいのひどいセキでした。 確かに、何でもかみしめないでゴックンしているので、のみ込むことに関しても日々鍛えていませんでした。いい加減に飲み下している。し . . . 本文を読む
石川節子さんという人がいました。啄木さんの奥さんです。その人の伝記を澤地久枝さんが書いておられて、時間をかけてやっと読んだのは去年でした。いつごろだったかな。それから、特に何も書けないまま、啄木とその奥さんという男と女を胸に刻みました。 というのか、啄木さんのイメージはそんなに変わりませんでした。啄木さんは、本当にどうしようもない小説家志望の人でした。どんな世界を描くというんだろう。本人が割と気 . . . 本文を読む
金沢の室生犀星記念館というところに行きました。友人に犀星さんのアルバムのような本はもらっていました。だから、あらためて自分が行かせてもらって、どんなものが見えるのか、少しだけ楽しみではありました。 でも、ちゃんと下調べもしていないし、犀星さんの文学の何を知りたいとかなくて、漠然と訪ねただけなので、細かなところまでは見られませんでした。そして、第一展示室のところで熱心に話し合っている若い男女がいた . . . 本文を読む
なかなか他人様の俳句なんて、スンナリ納得できるものではありません。そして、どんなにエライ俳句の先生が褒めておられても、「ああ、そんなものか」と思うだけで、私みたいな凡人にはちっとも心に残らないし、すぐに忘れてしまうものなんでしょう。 だったら、永遠に他人の俳句がわからない、そういう恐ろしさもあります。私たちは、どんなに心を込めて作ったとしても(語りかけたとしても)、相手の心に届かない生き物なのか . . . 本文を読む
中勘助さんの詩を抜き書きしていました。その直後に載っていた詩も同じようなテーマで書かれています。世の中には人を守ってくれているものがどれだけあるのか、そういうことを人は気づかず、その守ってくれているものをメチャクチャにしている話でした。 でも、人が何をしていようと、自然はあるがままです。確かに人の活動によって消滅する種もあるだろうけど、人よりもしたたかに生きていける気がします。人なんて、頼りなく . . . 本文を読む
谷川俊太郎さんが編んだ岩波文庫の「中勘助詩集」(1991)を読んでいます。こんなのを見つけました。中勘助さんは、1885年に岐阜の今尾藩士の子どもとして東京で生まれ、1965年に81歳で亡くなった小説家・詩人です。代表作は「銀の匙」で1912年から書き始め、1921年に刊行されています。漱石先生がバックアップされていて、推薦をいただいて朝日新聞に連載されたそうです。漱石先生が拾い上げた若き才能で . . . 本文を読む
岩波文庫の新刊「室生犀星俳句集」(2022年10月)は、1904年の犀星さん15歳から1961年の73歳までの俳句が順番に並べられています。バカ正直に私は最初から見ています。1908年の19歳のところまでたどり着きました。あと50年以上の時間があります。簡単にひとりの人の人生を通り過ぎることはできないから、少しずつ進むしかないですね。 ほとんど私の脳みそに何も引っかからなくて、漠然とページが進ん . . . 本文を読む
「古譚」とは、古い物語という意味になるのでしょうか。アイヌ語の神様のおられる場所という意味の「神居古潭(カムイコタン)」というのがあったけれど、文字が違いますもんね。「墨東奇譚」(永井荷風)と同じだから、物語なんです。 ベースは陶淵明さんの「桃花源記」でした。どんな話でしたっけ。 漁師さんがいて、川をさかのぼっていくんでした。きっかけは川沿いの桃の林でした。普段から川でお仕事をしているのだから、 . . . 本文を読む
明日から、ブログを休むか、それとも続けられるか、少し不安ですけど、しばらく家を空けるつもりでおります。 うまくできそうだったら、また連絡しますけど、明日の今ごろは何をしているでしょうね。とにかく、旅していると思われます。 まあ、あてにしないで、もし気が向いたら、ご覧になってください。 仕方がないから、旅の詩を書きぬきます。古い詩ではありますけど、丸山薫さんの詩です。 汽車に乗って汽車に乗って . . . 本文を読む
既視感があった作品は「歌」という詩でした。これが、高校の教科書に載ってたんでしょうか。それとも、自分で中野重治さんの詩集を開いて読んだのか? いや、たぶん、教科書だと思うんですけど……。 昔は、ちゃんと詩を教えるワクが設定されてたんですね。今の若い人は、詩なんて、まともに向き合うこともないでしょう。それよりも正確な意味の理解、論理的展開、ロジカル、ロジカルなんでしょう . . . 本文を読む
近ごろは、あれもこれもと浮気して、まともにずっと一冊の本を読みとおすということがありません。すぐに気が散るし、すぐにあれもこれも色あせてしまいます。 今のところ、澤地久枝さんの『石川節子』という啄木の奥さんのお話と、米原万里さんのエッセイと、中野重治さんの詩集です。 とっかえひっかえ読んで、眠くなったらコテッと寝てしまいます。ちっとも一つのところでどっしりと本を読むということができていません。ま . . . 本文を読む
ブックオフで中野重治さんの詩集を買ってきました。ずっと遠ざけてた中野さんの詩でしたが、引き寄せられたように開いてみて、すぐに昔に戻って、実は私は中野重治さんの詩のあとを追いかけていたのだと知りました。 ああ、タネアカシを自分でしてしまいましたね。というか、40年ぶりの再会というべきなんだろうか? きっと、そうです。そう思います。 浪人も犬もいなくて浪だけがある浪は白浪でたえまなくくずれている . . . 本文を読む
1908年の4月までは啄木くんは釧路にいたようです。釧路新聞の編集長格とされていたようです。とはいえ、勤務したのは1月から4月までだから、3か月ほどだったんですね。腰を落ち着ける気持ちはなかったようです。 それよりも彼には、自らの才能に恃むところがあって、やがては自らの作品をたくさんの人々に読ませてあげようという、妙な自信があったんです。まだ22歳なのに、どこでそんな自信があったのか、果たして彼 . . . 本文を読む
これは前に読んだような気がします。でも、ふたたび出会ったから、取り上げてみます。 蟹に潮満ちくれば穴に入り、潮落ちゆけば這(は)ひいでて、ひねもす横にあゆむなる東の海の砂浜のかしこき蟹よ、今ここを運命(さだめ)の波にさらはれて心の龕(ずし)の燈明(とうみょう)の汝(なれ)が眼(め)よりも小(ささ)やかに滅(き)えみ明るみすなる子の、行方(ゆくえ)も知らに、草臥(くたび)れて辿(たど)りゆくと . . . 本文を読む