既視感があった作品は「歌」という詩でした。これが、高校の教科書に載ってたんでしょうか。それとも、自分で中野重治さんの詩集を開いて読んだのか? いや、たぶん、教科書だと思うんですけど……。
昔は、ちゃんと詩を教えるワクが設定されてたんですね。今の若い人は、詩なんて、まともに向き合うこともないでしょう。それよりも正確な意味の理解、論理的展開、ロジカル、ロジカルなんでしょう。
となると、百人一首の教育をしているところって、貴重な気がする。詩は、たぶん、欧米ではちゃんと伝えられていると思うんだけど、日本では、風前のともしびです。百人一首だけが最後の希望かもしれない。
歌
おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを揆(はじ)き去れ
すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
こういうふうに中野さんに言われてしまった!
ひ弱なもの、ウソっぽいもの、ものうげなもの、感情的なもの、かわいらしいもの、ささやかなもの、そういう小さなものに感情移入するな、というのです。もっと大切なものがあるからなんだろうか。
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
たたかれることによって弾(は)ねかえる歌を
恥辱の底から勇気を汲みくる歌を
それらの歌々を
咽喉(のど)をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
それらの歌々を
行く行く人びとの胸郭(きょうかく)にたたきこめ
前半で歌うなと言われて困っていたら、中野さんはちゃんと後半で歌うべき内容を教えてくれています。
歌うことで、何か腹の足しにならなきゃいけないそうです。空腹を抱えて歌うのはイヤですもんね。
どんなに踏みにじられても、バカにされても、そこから立ち上がるための歌でなくてはならない。
人に届かなくてはならない。適当なものであってはならない。心から、誰かに伝えたい自分の正直な気持ち、言葉にもならないような、衝動的な、といって突発的なものではなくて、しっかりとため込んだ、ギリギリの思いをぶつけなさい、と教えてくれています。
そんな正直な気持ちをどれだけ私たちは、まわりの人に何度も伝えているのか、いい加減な気持ちというのか、どこか諦めの気持ちを持ってないかな。
そう、そんな、いくら言っても、何をしても、変わらないよ! というのは、何だか魅力のある言葉でしたね。それを口にしたら、すべては許されてしまい、人々は自分の生活に没頭できました。
そうじゃいけない。つまらないことでも、自分に正直になって、まわりに声掛けしなきゃいけないし、歌うということを放棄してはいけない。