ドイツ文学者の池内 紀(おさむ)先生の『海山のあいだ』(中公文庫 2011←1994単行本)から、三重県のことを書いた文章を引いてみます。
伊勢神宮の西に相可(おうか)という町がある。参宮本街道と熊野街道とが交叉(こうさ)するところで、昔は宿場町として栄えた。家並みを縫って流れるのが櫛田川(くしだがわ)。
相可の道すじを西に行くと、伊勢名物「金粒丹本舗」の前に来る。「御免きんりうたん」と彫り込んだ看板が目じるし。その道筋に古めかしい旅籠(はたご)があった。軒先のノレンに染め分けた御所車(ごしょぐるま)の紋所が往時の盛況を語っている。
裏の井戸で水をかぶってひと息いれたあと、宿のつっかけ草履(ぞうり)をかりて散歩に出た。街道筋の民家はすべて伊勢風の妻入造(つまいりづく)り。四つ辻の道標が途中から折れている。「らみち」とあるのは「ならみち」のことだろう。
隣あって「まつさか餅、いがまんぢゆう本舗」の看板。小さな空地に両宮遥拝(りょうぐうようはい)常夜灯が見える。形はおなじみのものだが、灯籠(とうろう)の部分が内宮の参道にあるのと同じ木造りなのが珍しい。
というのを抜き書きしたのは、もうだいぶ前のことです。半年くらい前かもしれない。
それから、池内先生の本をいくつか手に入れることができて、先生と旅ののことを読ませてもらい、ちっとも自分は深みが足りないけれど、とりあえず、旅をしてみて、誰かと少しだけふれあって、少しくらい自分を磨けたらと思っています。
でも、今年は忙しくて、旅に出る間がありません。お盆に実家に帰ることもままならない。なんと厳しい状況です。
いくら働いても、一円の得にもならず、サービスで働いていますが、まあ、これも誰かのためになるのなら、誰かがやらねばならないのなら、仕方がないからやるしかありません。
愚痴になりました。
池内先生が歩いておられたころ、たぶん、このフジとムクの二つがありました。でも、この二つとも、何年か前の台風の影響で伐らねばならなくなり、あとかたもなく消えてしまいました。
大きな木がなくなると、風景も変わるし、私たちの空白感も大きいものがあります。もうこの光景は見られないんですから。私たちの心で再現するしかありません。