浜美枝さんが今年になってずっと朝日新聞で語っておられます。
その中で、植木等さんについて語っておられるところは、メモしておかないといけないかなと、書き込んでみます。
植木さんが真面目な方だというのは私たちはみんな知っていました。でも、カメラが回っていると、お気楽キャラにならなきゃいけなくて、実生活とスクリーンの自分とのギャップに苦しんだ時もあったようです。
仕事が終わったら、付き人運転手の小松政夫さんに運転してもらって、おうちに直帰する生活だったそうです。
また、東宝という会社にとって、最高の格がある作品を作る人たちが世界のクロサワ組の人たちで、クレージー映画やゴジラ映画などは、格下という雰囲気があったということです。
というか、相手にする人たちが違う訳で、子どもやふつうの大人たちは、わざわざクロサワ映画を見るかというと、敷居は高かったでしょう。もっと気軽に楽しめるものではなくていけないのに、どんどん敷居・ハードルは上がっていったでしょうね。
そういう会社の中での格付けが悔しくて、浜美枝さんは、植木さんに自分の気持ちをぶつけてみたそうです。そうすると、
「やっていることはバカバカしくても、それでお客さんが喜んでくれるなら、いいじゃないか」って、その言葉でどれほど勇気づけられたことか。
さすが、植木さんです。ここまでの気持ちになるのはそれなりに時間がかかったと思うんですけど、とにかく、人が喜んでくれるのなら、まわりにどう評価されようとも、自分はやるという姿勢。これぞ喜劇人というものでした。この魂があったんです。
でも、浜美枝さんは、世界的女優でもあったので、そちらのプライドもあるから、格下に見られるのは許せなかったようです。
そして、歳月は、今もクレージー映画を輝かせ、私たちは時にはこちらに心のよりどころを見つけてしまっている。クロサワ映画も、クレージー映画も、ちゃんと歳月に耐えて、人々に愛されてる気がします。
植木さんのお父さんは伊勢志摩のお寺のお坊さんでした。植木さんも仏教を学ぶために東洋大学に行かれたんでしたっけ。それで浜美枝さんはこんなことを語っておられました。
植木さんといると、ほっと安心できて自然体でいられた。撮影の合間に、仏教のこと、命のことをかみしめるように話してくださった。
ある時、「浜ちゃん、人間はね、心が自由じゃなければいけないよ」って。
今から思うと柔軟性を欠いている私を心配してくださって、映画俳優以外にも目を向けてもいいんだよ、と励ましてくださったのだと思います。
ということでした。かくして、俳優業はやめにして、幅広い活動へと浜美枝さんが動き出すきっかけを与えてくれた人になるそうです。
三重県が誇る植木等さんというキャラ、私は小さい時からずっと、テレビでも、映画でも、クレージーキャッツのメンバーの中で、植木さんは好きだったなあ。
その植木さんが、やがてはクロサワ映画にも出ちゃうんだから、世の中不思議なものでした。