今から十数年前のお盆、弟の家族とキャンプに出かけたことがありました。といっても、うちは家から近いし、帰る気満々で、とりあえず彼の意図するところについていきましたけど、できれば早く帰りたいと思っていた。
本当に甲斐のない兄で、せっかく野営できるチャンスを作ってあげたのに、そういうチャンスをいやいやながらに受け入れて、料理にも参加せず、おもしろいのか、おもしろくないのか、どっちつかずの表情をしている私と、どういう風にふるまえばいいのかわからない妻と、ただ無邪気に弟家族とふれあううちの子と、そういう私たち家族をどう扱えばいいのか、きっと困っていたことでしょう。
私たち家族はノリはいい方ではありません。たいていがボンヤリしているし、配慮が足りないし、何だか現状に不満がありそうな雰囲気をかもし出しています。どうして一緒にいて楽しい仲間になれないかなぁ。かたくななんです。
温泉に入り、テントも張って、椅子も出して、火も焚いて、ダッチオーブンを取り出して来たようです。カレーライスなら食べられるけど、何を作るんだろう。もう、はなっから疑っています。
そして、火にくべられたオーブンに、お米やら、鶏肉やら、しょうゆ少々、これは何でしょう?
もう見るからにイヤな雰囲気でした。じっとお酒も飲まず、何かができるのを待っていました。それにしても、ゴハンはいいけど、オカズはどうなるんだろう。カレーが作られる雰囲気はなかったのです。
そして、厳かにゴハンができた。キャンプ用の小皿に盛られたものは、「とりごはん」という、そのままの料理でした。お米と大きな鶏肉の足つきだから、そりゃ、とりごはんでしょう。でも、私は、骨付きの鳥なんて、食べる習慣を持っていないし、そもそも鶏肉はあまり食べていなかった。もちろん、ケンタッキー……だって、見るのもイヤだし、食べるのもイヤでしたから、ただの「とりごはん」ということで、出されたけれど、シーンとするしかなかった。
喜々として食べる弟家族と比べて、私の家族は味気ないままに食べさせてもらいました。味も感じられないし、足にかぶりつく弟家族が信じられなかった。
何も食べられないまま、うやむやに食べて、適当に夜になったら、彼らをキャンプ場に残して、私たちは家に帰ることにしました。途中でお口直しというのか、改めてちゃんとゴハンが食べたくなったのか、コンビニに寄り、オニギリをいくつか買い、本当に「とりごはん」なんて、食べられない! と、文句タラタラで帰ったことがありました。
それから、あっという間に十数年が過ぎて、今は私は、とりそぼろが好きなオッサンになってしまった。これはいつからだったのだろう。
変節したのは、そんなに昔のことではありません。ここ十年の間かもしれない。
花粉症に、粘膜に、鶏肉がいいと聞くこともありました。確かに花粉症で春は大変だけど、その対策として鶏肉を食べるというのは、何だかプライドが許さなかった。
せっかく今まで鶏肉と距離を置いてきた人生だったのに、そうした生き方を捨てて、自分の体のために鶏肉を食べる、なんて、何だかズルイ気がしていました。
それなのに、ミンチになっているとりそぼろだったら、そんなに鳥肉感はないだろうと気を許して、少し食べたらおいしくて、少しずつ私の鶏肉食べない城のカベは崩されて、知らない間に落城していたのです。
幕の内でもなくて、のり弁でもなくて、野菜天ぷらでもなくて、もちろんコテコテのカツどんでもなくて、安いし、それなりにおいしいからと言い訳して、「とりそぼろ弁当」に心を許したら、それから十年以上離れられなくなってしまっていた。
いつか「とりそぼろ」から卒業できる時が来るのかどうか、それはわからないですけど、唐揚げも食べないし、とんかつも食べないと決めたら、もう鶏肉しか残っていないのです。
せいぜい鶏肉と仲良くしていくことにします。
今だって、家では鳥のから揚げは年に一回か二回かくらいでしょう。母は手羽先料理とか好きだったけれど、私はそんなに好きではなくて、なんともいえないやるせなさで食べてたなんて、とても母には言えないな。
それなのに、最近の私はどうなんだろう。鳥の炭火焼き、少しおいしいかなと思うようになってきました。ネギマ、これはネギさんのおかげで、食べられてしまう。鶏肉だけだったら、おいしさは激減するはずです。
鶏肉やさんって、怖い所でした。卵になり切れていない黄色いものとか、いろんな部位が売られていた。どれも人の食べるものとして、あまり想像のつかない食べ物だった。子どもの時には、空恐ろしい、まるでエイリアンか何かを食べるような、そんな怖さがありました。
そういう鶏肉やさんの前を通ることもなくなったから、単なる唐揚げ、ネギマ、手羽先、ももつき、ささみとして、切り離して見させてもらっているので、食材として食べられる催眠術にかかっているんでしょう。全体を見せてもらったら、また昔の恐怖がよみがえるかもしれないな。