甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

宮城野、先日の地震から大丈夫だったかな?

2021年04月01日 20時41分18秒 | 芭蕉さんの旅・おくのほそ道ほか

 仙台って、そんなに何度も訪れたことはありません。でも、友人の結婚式、親戚の結婚式、親戚の新居、何かとつながりはありました。

 二年前だったか、仙台の親戚の家に行き、そこから東北道のインターに入る時、カーナビが教えてくれているのに入るところを外してしまって、右往左往したことがありました。

 仙台のインターは、入るのがとても難しかった。平面なら分かりやすいのか、そこらへんは分からないけど、起伏のある街を行ったり来たり、曲がったり、直進したり、今度行くことがあっても、また右往左往しそうな気がします。

 仙台の街、市街地はフラットな気がしたんだけれど、郊外は、それはもうなだらかな斜面や丘陵がポコポコあって、実際に走っていると、苦労しました。

 土曜の夕方(3/20)、大きな地震があったみたいで、原発が心配になりました。震源のすぐそばに原発はありました。経済優先で日本各地に立地している原発、日本各地に地震の心配がないところなんてない、と思うんだけど、女川原発、稼働してなくて良かったですね。芭蕉さん、私たちはそれでも進んでいくんでしょうね。



 名取川を渡つて仙台に入る。あやめふく日なり。旅宿(りょしゅく)をもとめて、四五日逗留(とうりゅう)す。爰(ここ)に画工加右衛門(かえもん)と云ふものあり。聊(いささ)か心ある者と聞きて知る人になる。

 名取川を渡って仙台の町に入る。ちょうど菖蒲を葺く日の端午の節句の日ではありました。宿を探し求めて、そこに四五日滞在することになりました。この土地で画工の加右衛門という者がいました。少し風流を解する者だと聞いたので、知り合いになりました。

 どんな絵を描いた人なのか、また風雅の心って、どんなことをすれば芭蕉さんに気に入ってもらえるのか、そのあたりは難しいんですけど、大きな町ではあるし、いろんなことをする人物はいたんでしょうね。

 やはり、人なんですね。


 この者、「年比(としごろ)さだかならぬ名ところを考へ置き侍れば」とて、一日(ひとひ)案内す。宮城野の萩(はぎ)茂りあひて、秋の景色思ひやらるゝ。

 この加右衛門が、「ここ数年で、名前だけが知られていて場所が定かでない名所を調べておきましたから」と言って、ある日案内してくれました。宮城野の萩は茂り合っているような、古歌に詠まれた秋のみごとな様子が想像されるのでした。でも、今はまだ夏で、仙台の萩は見られないんですけどね。



 玉田・よこ野・つゝじが岡はあせび咲くころなり。日影ももらぬ松の林に入りて爰(ここ)を木の下と云ふとぞ。

 玉田・横野と回って、つつじが岡に来て、ここはあせび(馬酔木)の花が咲いている時分が見ごろなのだそうです。今は初夏だから、それらの花もありません。日の光も漏れない松の林に入り、ここを木下というそうでした。



 昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社(みやしろ)など拝みて、その日はくれぬ。

 昔もこの木の下のように露がびっしょりと降りたので、古今集ではに「みさぶらひみかさと申せ宮城のゝ木の下露は雨にまされり」という歌があるようです。この「みさぶらひみかさ」って、どういう意味なんだろう。どうぞ、笠をお付けなさいませ」という意味なんだろうか。とにかく、湿っぽいしっとりした森だったんですね。

 薬師堂・天神の森などを拝んで、その日は暮れてしまいます。

 五月の四日から七日まで三日間仙台にお泊りだったそうで、たぶん、暑かったと思うんだけど、あまり暑さを感じさせない雰囲気です。



 猶(なお)、松嶋・塩がまの所〃、画に書て送る。且、紺の染緒(そめお)つけたる草鞋(わらじ)二足餞(はなむけ)す。さればこそ風流のしれもの、爰(ここ)に至りてその実を顕(あら)はす。

 加右衛門さんはさらに、松島や塩釜の所々を絵に描いて贈ってくれました。また、紺色の染緒をつけたわらじを二足ほど餞別としてくれたんですよ。いやもう、彼は風流というものを知っているお仲間で、私たちにしか分からない風流の何たるかを示してくれました。

  あやめ艸(ぐさ)足に結ばん草鞋(わらじ)の緒

 今は端午の節句だから、家々の軒先にはあやめ草が飾ってあるけれど、私は紺のヒモのついた草鞋をもらったから、この草鞋にあやめ草を結んで旅の無事を祈るとしましょうか。



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