近ごろ、ちゃんと本が読めません。というか、物語にはついていけないので、エッセイしか読めなくなっています。
「古本屋 タンポポのあけくれ」(2004→2023)という本は、19年ぶりによみがえった幻の本で、定価は2600円なんですが、ネットで買って、手数料などもあったので、もう少しかかりました。それだけしみじみ読んでしまうし、私は古本屋のオヤジではないけど(あこがれは持ってたけど)、こんな風にしてお店が地域になじんでいくのだなと、ダンナさんが亡くなって一人でお店をされてた千歳(ちとせ)さんの文章を、毎晩一つか二つ読んで、眠りに誘わせているんです。すぐにコテッと寝てしまうこともありますが、近ごろは何だか落ち着かなくて、「じゃあ、今度は別の本を読もう」となります。
「古都発見」(2017単行本→2020新潮文庫)という葉室麟さんという時代小説の作家さんのエッセイ、これはもうどのネタも上手くまとめてあって、すべて読むものに考えさせてくれるネタがあって、これは読み終わったら、二度目を読んでみようと思うネタの宝庫です。
ネタって何だろう。私は、エッセイストでもないのだから、葉室さんが京都の町で地道に取材したことを、何かお借りして、私らしく書けそうなことを探すだけかな。でも、そんなおこがましいことはできないし、余計な手出しは無用だと思います。それでもなお、もう一度読みたい、筆者が歴史上の人々をあたたかく見ている目線を味わいたい、そんな感じです。
かなり進んできたので、一回目はまもなく終わるでしょう。でも、ほとんどすべては忘れてるから、二度目でもすべて新鮮なはずです。このザルのような私の頭、これは問題ですけど、仕方ないなあ。まあ、二回読んでもお得です。
「うたうおばけ」(2023講談社文庫)の著者のくどうれいんさんは岩手の人、ということでうちの奥さんは単行本は読んだそうです。1994年生まれの作家さんだそうです。物語は読めないけれど、エッセイなら、それも文庫なら枕元に置いてもいい、と思って買いました。
でも、物語仕立てのエッセイみたいで、これはほとんど前に進みません。読んでても頭の中がつながらなくて、すぐにイヤになってしまう。これはなかなかハードルが高い本です。若い人ならスイスイと読めるのかもしれないし、上白石萌音ちゃんも本の帯でオススメしています。彼女なら読めるのに、オヤジの私にはキビシイ。何が違うんだろう。また今夜も挑戦するのかな。
「ロシアは今日も荒れ模様」(1998単行本→2001文庫本、2022第32刷)の米原万里さん、もううちには何冊かありますし、すべて才能がほとばしっているし、20年以上前の本なのに、今のロシアにつながるあれこれが書いてあります。もちろん、プーチンなんか出てこないし、主役はゴルバチョフさんとエリツィッンさんでした。彼女は、日本やモスクワで案内したり、要人の通訳を務めたり、大活躍をされた人でした。
さしさわりのあることは書けないのだけれど、今となっては書いておかなくてはならないことは、しっかり書かれています。ソ連の政治家たちの人間臭さに比べて、日本の政治家は書くに値しないのか、それとも差し障りがあるのか、書かれていないけど、たぶん、誰がやって来たとしても、あまり有意義な話は出せなかったでしょうね。
やはり、器が違っていた。ああ、でも今はソ連・ロシア語は、みんなから敬遠されるものになってしまった。本当は魅力的で、人間味があるはずなんだけど、一人の独裁者のせいで、すべては見えなくなってしまいました。
万里さんなら、今のロシアをどう解説してくれるのか、本当はして欲しいんだけど、もうそれはできなくなってしまいました。
だから、私としては、彼女が書いてくれた本をなるべく読みたいと思っています。
そんな本たちを一通りめぐると、たぶん今夜も寝てしまいます。一つのところにはとどまらなくて、すぐに他に移ります。読み終わるのがもったいない本ばかりなんです。