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1943年の国民学校国語教科書『初等科國語一』ということですから、義母さんの読んだものではないかもしれません。けれども、どこかでうちの奥さんのお母さんが小さいときに教わった五十鈴川の清き流れというのはあるらしい。それは、どれほどのあこがれだったんだろう、何かにつけて妻には話しておられたのを聞いたので、ずっと何とかしてあげたいな、とは思っていました。
それは、小学校の教科書ではなくて、そういう歌があったのかもしれない。ですから、こんど文部省唱歌でも探してみなくてはいけないです。
とにかく、奥さんの実家のお母さんは、三重県には伊勢神宮があって、内宮(ないくう)のそばを流れる五十鈴川の清流を見てみたいと、ずっと言っておられたのです。1度でも見せてあげたかったのに、とうとう見せてあげられなかった。これは私のミスだと思っています。もっともっと奥さんにお願いすればよかったのに……。
まあ、仕方がないので、せいぜい心の中でしのんでみたいです。
『初等科國語 一』の目次は、次のような感じです。
もくろく
一 天の岩屋 ★
二 參宮だより
三 光は空から ★
四 支那の春
五 おたまじゃくし
六 八岐のをろち ★
七 かひこ
八 おさかな
九 ふなつり
十 川をくだる
十一 少彦名神 ★
十二 田植
十三 にいさんの愛馬
十四 電車
十五 子ども八百屋
十六 夏の午後
十七 日記
十八 カッターの競爭
十九 夏やすみ
二十 ににぎのみこと
二十一 月と雲
二十二 軍犬利根
二十三 秋
二十四 つりばりの行くへ ★ ★をつけたのは神話系かなと思います。ほかは軍隊でのお話ですね。みんな小さいときから軍国教育を受けていたわけですね。
五十鈴川(いすずがわ)というのは、小さな志摩半島の低いお山から流れてきます。そんなことでは水も涸れてしまいかねませんが、すべて神宮の森の自然の林なので、小さいけれども人家は一切なく、ただ自然がそのまんまにあるのです。
だから、そこから流れてくる水は、そのまんまの水で、とてもきれいな渓流になっています。近年は昔ほどとうとうと流れる感じが少し失われたような気もしますが、とにかく小さな山地のわりに豊かな水が流れている。
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二 參宮だより
けさ、元気で、こちらへ着きました。
まづ、外宮(げくう)のおまゐりをすまして、それから、内宮(ないくう)へおまゐりをしました。
宇治(うぢ)橋を渡ると、靑々としたしばふがつづいて、鶏が遊んでゐました。五十鈴(いすず)川のきれいな水で手を洗ひ、口をすすぎました。すきとほった水の中に、たくさんの魚が、すいすいおよいでゐました。
道の両がはには、千年もたったかと思はれる大きな杉の木が、立ち並んでゐました。さくさくと玉じゃりをふんで、神殿の御門の前へ進みました。さうして、うやうやしく拝みました。何ともいへない、ありがたい気がしました。
神殿は、外宮と同じやうに、お屋根がかやでふいてありました。むねは、大きなかつを木が並んで、両はしに、千木が高くそびえてゐました。みんな白木づくりで、金いろのかなぐが、きらきらとしてゐますが、そのほかには、何のかざりもありません。まことにかうがうしくて、しぜんと頭がさがりました。
かへりに、たいまをいただき、宇治橋の鳥居のそばで、しゃしんをとりました。
方々を見物して、二見へ来ました。今夜は、ここでとまります。あすは、朝早く起きて日の出を拝み、それから、橿原神宮(かしはらじんぐう)へ向かってたちます。
またやうすを知らせますから、たのしみにして待っておいで。さやうなら。
四月十日 兄から
正男さんへ
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何だかこれは、手紙の例文みたいで、小さい子らのあこがれを引き出すような感じではないです。義母さんがあこがれた五十鈴の流れを見事に表現したもの、また探していこうと思います。現実はどうあれ、作り物であろうが何だろうが、人はお話によってあこがれをつくるものです。
義母さんは、五十鈴の流れにあこがれを持ち続けていた。私は今では、クルマで1時間ほどで行けるので、めったに行くこともなく、全く音信不通です。たまたま親戚を連れて昨年の今ごろは行きましたけど、素朴なあこがれとかはなくて、ただご案内するだけで、あまり魂は入っていなかった気がします。
いったいいつになったら、私の魂が動くのか、それはなかなか自分でもわからないけれど、今日の日本シリーズも、バースさんが9回を抑えた時点で、何だか日ハムに分があるなあとお風呂に入り、出てみると満塁ホームランでサヨナラということでしたが、もうあまり心は動かなかった。
どこにスイッチがあるのかわかりませんけど、どこかでスイッチが入ると、つまらないところで感激するくせに、感激する場面ではわりと平気だったり、よくわかりません。
とにかく、五十鈴の流れ、義母さんにお見せしたかった。それができなかったのは私の不徳の致すところです。ザンネンといくら言ってもダメだけど、何かしてあげたかったと今も時々思います。
まあ、せいぜい大阪の母にでも電話したり、何か送ってあげたりしたらいいかなあ。
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それは、小学校の教科書ではなくて、そういう歌があったのかもしれない。ですから、こんど文部省唱歌でも探してみなくてはいけないです。
とにかく、奥さんの実家のお母さんは、三重県には伊勢神宮があって、内宮(ないくう)のそばを流れる五十鈴川の清流を見てみたいと、ずっと言っておられたのです。1度でも見せてあげたかったのに、とうとう見せてあげられなかった。これは私のミスだと思っています。もっともっと奥さんにお願いすればよかったのに……。
まあ、仕方がないので、せいぜい心の中でしのんでみたいです。
『初等科國語 一』の目次は、次のような感じです。
もくろく
一 天の岩屋 ★
二 參宮だより
三 光は空から ★
四 支那の春
五 おたまじゃくし
六 八岐のをろち ★
七 かひこ
八 おさかな
九 ふなつり
十 川をくだる
十一 少彦名神 ★
十二 田植
十三 にいさんの愛馬
十四 電車
十五 子ども八百屋
十六 夏の午後
十七 日記
十八 カッターの競爭
十九 夏やすみ
二十 ににぎのみこと
二十一 月と雲
二十二 軍犬利根
二十三 秋
二十四 つりばりの行くへ ★ ★をつけたのは神話系かなと思います。ほかは軍隊でのお話ですね。みんな小さいときから軍国教育を受けていたわけですね。
五十鈴川(いすずがわ)というのは、小さな志摩半島の低いお山から流れてきます。そんなことでは水も涸れてしまいかねませんが、すべて神宮の森の自然の林なので、小さいけれども人家は一切なく、ただ自然がそのまんまにあるのです。
だから、そこから流れてくる水は、そのまんまの水で、とてもきれいな渓流になっています。近年は昔ほどとうとうと流れる感じが少し失われたような気もしますが、とにかく小さな山地のわりに豊かな水が流れている。
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二 參宮だより
けさ、元気で、こちらへ着きました。
まづ、外宮(げくう)のおまゐりをすまして、それから、内宮(ないくう)へおまゐりをしました。
宇治(うぢ)橋を渡ると、靑々としたしばふがつづいて、鶏が遊んでゐました。五十鈴(いすず)川のきれいな水で手を洗ひ、口をすすぎました。すきとほった水の中に、たくさんの魚が、すいすいおよいでゐました。
道の両がはには、千年もたったかと思はれる大きな杉の木が、立ち並んでゐました。さくさくと玉じゃりをふんで、神殿の御門の前へ進みました。さうして、うやうやしく拝みました。何ともいへない、ありがたい気がしました。
神殿は、外宮と同じやうに、お屋根がかやでふいてありました。むねは、大きなかつを木が並んで、両はしに、千木が高くそびえてゐました。みんな白木づくりで、金いろのかなぐが、きらきらとしてゐますが、そのほかには、何のかざりもありません。まことにかうがうしくて、しぜんと頭がさがりました。
かへりに、たいまをいただき、宇治橋の鳥居のそばで、しゃしんをとりました。
方々を見物して、二見へ来ました。今夜は、ここでとまります。あすは、朝早く起きて日の出を拝み、それから、橿原神宮(かしはらじんぐう)へ向かってたちます。
またやうすを知らせますから、たのしみにして待っておいで。さやうなら。
四月十日 兄から
正男さんへ
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何だかこれは、手紙の例文みたいで、小さい子らのあこがれを引き出すような感じではないです。義母さんがあこがれた五十鈴の流れを見事に表現したもの、また探していこうと思います。現実はどうあれ、作り物であろうが何だろうが、人はお話によってあこがれをつくるものです。
義母さんは、五十鈴の流れにあこがれを持ち続けていた。私は今では、クルマで1時間ほどで行けるので、めったに行くこともなく、全く音信不通です。たまたま親戚を連れて昨年の今ごろは行きましたけど、素朴なあこがれとかはなくて、ただご案内するだけで、あまり魂は入っていなかった気がします。
いったいいつになったら、私の魂が動くのか、それはなかなか自分でもわからないけれど、今日の日本シリーズも、バースさんが9回を抑えた時点で、何だか日ハムに分があるなあとお風呂に入り、出てみると満塁ホームランでサヨナラということでしたが、もうあまり心は動かなかった。
どこにスイッチがあるのかわかりませんけど、どこかでスイッチが入ると、つまらないところで感激するくせに、感激する場面ではわりと平気だったり、よくわかりません。
とにかく、五十鈴の流れ、義母さんにお見せしたかった。それができなかったのは私の不徳の致すところです。ザンネンといくら言ってもダメだけど、何かしてあげたかったと今も時々思います。
まあ、せいぜい大阪の母にでも電話したり、何か送ってあげたりしたらいいかなあ。
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