昨日は少し部屋の片づけをしました。春ですもんね。少しはサッパリしなくちゃ!
言うのは簡単だけど、実はちっとも片づいていません。むしろ、前よりも散らかったかもしれない。でも、古いプリンタをパソコンにセットして、もう少し自分でプリントしたり、スキャンしたりするつもりです。すぐに挫折するでしょうか? まあ、頑張ります。自分の部屋にプリンタを持ってきたんですね。何だか意欲的です。でも、散らかってるなあ。
本も次から次と、出してはそのままだし、服はいつも同じものを着ているから散らからないけど、紙類は散らかっています。この土日に片づけます。
音楽CDは出したり、引っ込めたりしました。そして、昔の音楽を聞いてしみじみしたりしています。そんなに思い出ばかりにひたってて、ダメですね。そう、CDも古い音楽ばっかり……、何度嘆いても仕方ないです。
前に取り上げてた新聞記事を書類の山から掘り出しました。かぐや姫の「神田川」が流れていたころ、1973年の京都、長髪の大学生たちがたくさんいたそうです。その中でサッカー部員だった66歳の方は、映画のエキストラのバイトをしていたということでした。この方はサッカー部だから短髪だったんだそうです。だから、ある種の映画ではどうしてもそういう人たちが必要だったそうです。
ある日、滋賀のロケで、私に警官役が回ってきた。直立不動の私の前を、憧れのスター・高倉健が歩いていった。
東映の映画だったんですね! 健さんをナマで見たんですね。すごいけど、どれくらいのオーラなのか、怖い感じです。
確か「山口組三代目」の撮影だったと思う。友に「(映画の中にキミが)映っていたぞ」と言われたが、なぜか気恥ずかしく、約半世紀過ぎた今も未見である。
健さんも、普通に街を歩いてるときは、まわりの人に気づかれないようにしているだろうし、できれば関わりたくない、話しかけられたくないという雰囲気を出しているでしょう。
でも、いざロケで、撮影しているとなれば、違うモードに入ってて、映画に向かう気持ちで現場を行き来していたことでしょう。そうなると、もう健さんからの光があふれ出てたんじゃないかなと思いました。
そういう光って、きっと独特です。なかなかそういう場面に出くわすことはないんだけど、ひの光をうけた人たちには一生の宝。語り草になったんだろうなと思います。
そこにいるだけで、いつまでも語ってもらえるって、すごいことです。今、そんな人がいるのかどうか、日本では吉永小百合さんとか、そんな感じでしょうか? どうなんだろうな。