甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

アポ電どもへ、メメントモリ(死を想え)

2019年03月15日 22時46分37秒 | 空を見上げて

 今週は、個人的にはハードな一週間でした。といっても、すべて自分の都合であり、自分がもっとバサッと割り切れたら、もう少し楽に生きていけたと思うのですが、それができたら苦労はしないし、それができないから、結局自らが原因となってハードな日々になりました。

 わかんないこと書いていますね。とにかく、帰りは遅いし、花粉は厳しいし、体調は最悪で、夜はずっと寝ているのか、苦しんでいるのかわからないような睡眠を続けていました。氷枕で頭を冷やそうとしたり、試行錯誤はしましたが、どれもうまくいかず、睡眠不足と無呼吸症と細切れ睡眠でひどい状態で毎日を送りました。

 私が最悪な状態なのと、世の中は全く関係はないのですが、あまりいい一週間とは言えない、イヤなことの多い日々でした。

 地震が続いたり、イギリスはずっと議会の混乱のニュースばかり、国会はいつもの空転騒ぎ、統計問題をいくら追及しても何も出てきません。そりゃ、国民の皆さんが、どんなことがあろうとも怒らないし、どんなに他人が苦しんでいたとしても、自分に関係のない限り無関心だし、みんな自分のことで精一杯ということで、世の中がどうなろうと知らんこっちゃないのです。

 私だって、その仲間です。自分の無責任の不摂生とけじめのなさと、花粉症でズタズタの日々でした。



 そして、東京のマンションでのアポ電殺人でした。防犯カメラ等が役に立って犯人たちがわりと早く見つかって、三人の22から27歳の若者たちが犯人ということで逮捕されました。

 否認を続けているということですが、彼らはほんの数十万だか、数万だか、わずかなお金を得るために、ターゲットを探し、何度か電話で確認して、お金の所在を聞き出そうとし、下見をして、チャンスを見て、おばあさんの家に押し入った。お金が目的なのだから、お金さえ入ればおばあさんの命などどうでもいいはずだから、殺さなくてもよかったのに、めんどうだから(?)殺してしまい、どれだけのお金を手に入れたのかはわからないけれど、何人かの人に目撃されつつ、逃走した。

 ということは、昼間にでも押し入ったんでしょう。おばあさんは、どうしてこんな男どもが入ってきたのか、わからなかったと思います。そして、どうしてこの男どもは、問答無用で自分を殺そうとするのか、理解できなかったでしょう。たぶん、あっという間のできごとだったのか。



 男どもには、おばあさんなんて、どうでもよかったのです。お金さえ手に入ればよかった。でも、何も考えずに命まで奪ってしまった。彼らは、人の命がどんな歴史を経て今に至り、どんな思いで今を過ごしているのか、そんなのは全く考えられなかった。お年寄りはお金をしぼりとるための存在であって、人としても意識されていたのかどうか。

 彼らは、自分の命さえどんなふうにつながっているのか、ということも考えなかったでしょう。ただ金が欲しい。お金を使いたい。遊ぶ金を簡単に手に入れたい。そんなことしか考えなかったでしょう。

 自分の生活をどんなふうに築いていくか、そういうプランもなかったでしょう。

 命もなく、未来もなく、金が欲しい。他人に金があるなら、手っ取り早く手に入れたい。文句を言おうものなら、そんなヤツは殺してしまえ。今、腹が減り、遊びに飢え、仲間と適当に暮らしてみたい。

 そんなことしかなかった。生と死を考えることなんて、全くなかったでしょう。

 もちろん、私だって、あまり考えません。ただ、しんどいことはたくさんあるから、少しずつクリアして、家族とのんびり、健康に暮らしていきたいと願うばかりで、時々、死ぬのは怖いなと思い、恐ろしい若者たちのニュースを見聞きすると、怖くなったりするのです。

 何にも考えない私とはいえ、自らの死を怖く思ったり、できれば安楽にこの世から消えていきたい。苦しむのはイヤだ。なるべくだらだらと、人に嫌がられても生きていきたいと思うくらいで、それが死を思うことにつながるのかというと、少しだけつながっているのかなというくらいです。



 モーツアルトさんは、作曲をしている時、奥さんと旅している時、新作を発表するとき、いろんな節目節目で歓喜と苦労を感じていたのかなと思います。そして、この喜びはいつまで続くのか、永遠といことはないのだから、いつかそれが途切れる時、というのを意識していた人ではなかったかな。

 彼には、死が時々は見えたのではないか、見えたというのか、フッと自分がいなくなる瞬間が見えたりしたのではないか。だからこそ、最上の喜び、永遠に続くような音楽の波みたいなのを作ろうとした。

 そして、確かに音楽の中でモーツアルトさんは、永遠みたいなのを作れたかに見えた。

 その永遠は、見えた、と思うとすぐ消えるから、当てにはならないのだけれど、それが何かの終わりであると感じられたのではないか。人生の最後に「レクイエム」を書こうとしますが、あまりに見えすぎて、もう書けなくなって、投げ出してしまった。そして、そのまま天国に召されてしまった。

 モーツアルトさんは、見えてしまったから、そのままいなくなってしまった。

 若い三人の男たちは何も見えていなかったから、これから何十年も刑務所で命を考えてもらわなくてはならない。もっともっと余罪が出てきたら、どうなるのかわからないけれど、とりあえず、メメントモリはしてもらわなくてはならない。

 そうです。人として生まれた限り、私たちはたくさんの生と死に出会わなければならないし、決してそれを無駄にしてはならないし、いつも自分のこととして、いかに生きるか、いかに死んでいくか、それは考えていかなくてはならないと思うのです。

 そういう定めになっていると思われます。それを無視するヤツは、それなりに命に向き合う長い時間が必要だと思う。 


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