
聞きかじりなので、ただのメモとして書いておきます。
この赤い火柱みたいなのは、てっきり何かが爆発したものかと思いましたが、そうではなくて、オーロラだったそうです。
太陽のフレアが活発になって、地球にまで飛んで来た時に、たまたま中緯度の日本でも赤いオーロラが観測できたそうで、その時の場面を描いた本があるそうです。
何年か前にそういうのが発見され、2015年にはニュージーランドみたいなところでも紫色のオーロラが観測されたそうで、条件によっては可能なんだそうです。
江戸時代の明和年間って、どんなことがあったのか、イマイチ頭の中に入ってないんですけど、大きな地震はもう少し後だったかな。そりゃ、260年もあれば、いろんなことがありますよね。
でも、私は、江戸時代というのは本当に大事な時代だとつくづく思ってるんですけど、この前テレビで見た福井県の永平寺、曹洞宗の本山ですけど、現在残っている建物はほとんどが江戸期に立てられたものなんだそうです。
それ以前にお寺の起源はあるわけだから、その前の建物はどうなったんだろう。また、宗教の宗派の争いによって焼き討ちにあったのかなと思いましたが、そうではなくて、もっと以前の応仁の乱など、室町から安土桃山にかけて、永平寺はそれなりに荒れてしまってたんでしょうか。
それを秩序の再構築ということで、立派な建物が作られ、曹洞宗は北陸伝いに広がり、うちの奥さんの故郷の岩手までも広がっていったようです。
彼女のふるさとに何度か行くことがあって、この辺りはものすごく曹洞宗が強いんだなと思ったことがありましたけど、その大本は福井にあって、それらの建物は江戸期にできていた。
その江戸期には、自然災害や人間社会の変化など、いろいろあったと思うんですが、とにかく今も大事なものが続いているようで、何度も何度も振り返らなくちゃいけないと思ってるんです。
そして、オーロラまで観測されてたなんて、私たちの人生のあこがれは、すべてこの時代に散りばめられていたような気がします。
それで、オーロラの絵が描かれた本ですけど、テレビでは、松阪市の宝物だと紹介されていました。
松阪市の歴史資料館にまだ収蔵されている、一般公開されていない宝物なんだそうです。
それで、ふりかえってみれば、本居宣長さんは1730~1801年のご生涯で、その40歳の頃、1770(明和7)年に赤いオーロラが見えたそうです。
奇跡的なことだけど、めったにないことが起こると、何だかこの世の終わりみたいで、怖いですね。めったに見られないものを見られること、実はとても恐ろしいことでもある。
宣長さんは、オーロラをどんなふうに見てたんだろうな。