甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

「神田川」のころ

2022年02月02日 20時50分00秒 | わがまま音楽

 かぐや姫の「神田川」が街に流れた頃、京都で大学生活を送った。

 先月の11日の朝日新聞の投書欄でした。調べてみたら、「神田川」は1973年の9月に出ているそうです。そうだったのか、そんな時代があったんですね。この投書をした人は66歳なんだそうです。

 私は、深夜放送でこの曲を聴いたのだと思います。リクエストもたくさんあって、若者はものすごく支持したのでしょう。

 私は、何だかあわれな感じで、いかにも終わった恋を哀しく歌ってるのが感じられて、イヤだったと思います。

 冒頭から、「あなたはもう忘れたかしら」なんですから、すでに終わった二人の愛を、女の人の視線で振り返っている、そんな感じでした。片思い専門の私からしてみれば、終わった恋でもあるだけましで、それをふり返るなんて、ずるい感じでした。

 そんな、終わってからもずっと後を引く恋なんて、あるわけがないというのか、とてもそんなの信用できないでいました。恋なんて、今がすべてで、終わった後でクヨクヨするなんて、持てる者のワガママ、ぜいたくにしか見えなかった。クヨクヨする前に、もっとちゃんと愛したらいいじゃん! とかは言わなかったけれど、そこが甘ったるくて、信用できない感じだった。

 恋を得るのは大変なことであって、得た人というのは成功者でした。もっと偉そうにするべきだし、たいていはみんな誇らしく恋愛していた(ように見えました)。……その後の人生で見てみれば、あんなにその時を楽しくしていたカップルたちが、いくつも消滅していて、恋は続けるのにも努力が必要なのだ、というのは年を取ってから学んだことでした。……今も私、努力している? 瞬間を生きるのに精一杯で、長い目で見た努力はできてないかも……。



 そんな、持てないヤツのひがみを書いても仕方がないけど、とにかく世の中は愛ある二人が別れたり、愛していたのに愛がどこかへ行ったり、貧乏だったり、あまり親たちとは関わらずに、自分たちだけで愛し合ってたんですね。

 都会ではそういう愛みたいなのがあったのかなあ。あまりに縁がなさ過ぎて、実感がありません。作られた物語のような気がしました。

 そうです、きっと、かぐや姫というバンドの曲は、都会で愛し合うようになった男と女という幻想を歌にしただけなんでしょう。そんなの、現実にはほとんど見つからなかったのかもしれない。

 というか、もっと昔の人たちはホイホイと都会で愛を見つけられたんだろうか。


 1973年に出た曲は、世の中に受け入れられ、翌年の4月には、草刈正雄さんと関根恵子さんとで映画が作られたそうです。もちろん、私は見ていません。

 かぐや姫なら、もっとテンポのいい「赤ちょうちん」が好きでした。

 あのころ二人のアパートは……裸電球まぶしくて、貨物列車が通ると揺れた、二人に似合いの………。

 あの曲は、昔は歌ったような気がします。カラオケじゃなくて、ハナウタで口ずさんだだけでしたけど。

 あれ、投書の方のことをおっぽり出して、自分のいい加減な思い出にふけっています。なんてことだ。

 本当なら、この投書、読んだからすぐ捨てようと思ったんですけど、最後が気になるから、明日もう一度載せてみます。



 今日は朝からずっと頭が重かった……。コロナじゃないですよ。今はケロリとしています。午前中、外仕事とかだったら、ジンワリしんどくなるのかもしれません。もう寝ることにします!

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