94年前の夏、柳田さんは、岩手県の海側、八戸線の当時の終点・陸中八木駅にたどり着きました。
6年前は、まだここまで鉄道はつながっていなくて、1年前に開通したばかりでした。その4年後には久慈まで線路はつながるのですが、それほどに鉄道がどんどん伸びていった時代ではあったのだけれど、真新しい駅に降り立ったのです。
おそらく、当時の鉄道の旅というのは、最先端の旅だったでしょう。誰も簡単に鉄道なんて乗れないし、汽車に乗るということは、仕事か、よほどのことか、覚悟の旅だったでしょう。
けれども、柳田さんたちは、新聞に埋める記事を書かなくてはならないので、できたばかりの鉄道に乗り、数年前無理を言ってお盆の夜に泊めてもらった旅館をのぞいてみようということになったでしょうか。
何しろ、そこで不思議な女だけの、お盆の踊りを見ましたから、あの踊る時の歌詞をしっかり取材させてもらおうとは思っていたでしょう。
小子内の集落に着いたら、まず最初に自分たちが無理を言って泊めてもらった清光館を見ておきたいと思った。数十軒ほどの集落だから、すぐにわかるだろうと、記憶をたどりながら建物の前まで来た、はずでした。
でも、そこは更地になっていて、木材が少しと、南瓜畑になっていたのでした。どうして、こんなことになったのか? そこいらにいる人に訊かなくてはならない。必死になってそのあたりにいる人をつかまえて、「清光館はどうなったんですか?」と質問したことでしょう。
聞くところによると、嵐の夜に、漁に出た30過ぎのダンナさんはそのまま帰ってこなかったそうです。奥さんは久慈かどこかの町に出て奉公している。二人いた子どもは親戚に引き取られたということで、人のよさそうなお婆さんは、どうなったのか分からないということだったそうです。
まさかそんな、6年間ですべてが変わってしまうことなんて、あるのかどうかわからないけれど、とにかく旅館はすべて取り壊されて、誰か別の人の所有になったのだろう。
キツネにつままれたような、何とも言えない気分で、浦島太郎になったような気分を味わう。世の変転なんて、どこにでもあることなのだけれど、6年前が印象深かったし、人の情けに触れた晩ではあったので、そのきっかけを与えてくれた旅館の没落という事実は、そうなのだけれども、素直に受け入れられないでいたのでした。
もう、かくなる上は、せめて盆踊りの歌の文句だけでも、誰かに聞かせてもらおうと、15人くらいいた女の子たちに果敢に話しかけてみます。
でも、女の子たちは警戒していて、まともに相手をしてくれないし、適当に都会から来た人間との距離をとりながら、どう向かうべきか考えている風でした。
柳田さんは、うろたえるやら、ちっとも相手にならなくて、半分諦めたところで、突然、ひとりの女の子が、
なにャとやーれ
なにャとなされのう
というふうに歌ってくれて、ああ、やはりそうだったのかと納得し、彼女たちに礼を言って別れたのだと思われます。
そして、柳田さんは考えます。これは、江戸から明治にかけて、各地で歌われた「しょんがえ節」の変化したもので、内容は、特に深い意味はなく、どうにでもしてください。あなたにお任せします。という女の人からの誘いの文句であったのかもしれない。
けれども、歌として伝わるうちに、そうした色っぽい意味合いも薄れ、もう世の中は無常で、頼りなくて、信じられるものもないし、うたかたなのよね。でも、そういう世の中で、何か楽しみを見つけながら、踊り歌って生きていくのよね。旦那が事故でいなくなる時もあるし、人生なんて、どうなるかわからない。そんな風にも受け取れる、いろいろな気持ちのこもった「なにャとなーれ」だったのだ、と考えるのでした。
最後の結びは、
痛みがあればこそバルサムは世に存在する。だからあの清光館のおとなしい細君なども、いろいろとしてわれわれが尋ねてみたけれども、黙って笑うばかりでどうしてもこの歌を教えてはくれなかったのだ。
通りすがりの一夜の旅の者には、たとえ話して聞かせてもこの心持ちはわからぬということを、知っていたのではないまでも感じていたのである。
長く同じ時間を共有できる人には、ボソッと話すことができる、それくらいささやかな、微妙な気持ちというものがあって、それらを事細かに歌うことはできないから、最小・最短の短いフレーズで、女たちは何百年も人生の深みみたいなのを年に一回歌ってたんだ、という形で締めくくるのでした。
世の中には、苦くて酸っぱいことがたくさんあって、それらを「しんどい」「苦しい」と誰かに訴えるのではなくて、古歌めいて、「なにャとなーれ」とごまかして歌ってたのかもしれない。バルサムは一時そういうのを忘れさせてくれる清涼剤みたいなものかな。
柳田さんの旅は続いたはずなのに、6年前と、その後のほんのひと時をつなげる形で新聞に載せておられたようです。
なかなか、私にはできないお洒落さです。そういうサラリとしたところ、見習いたいし、人とのかかわりで、人の心の片隅から取り出せたらいいなあ。