うちは、鹿児島の神社にお墓があります。何だか不思議です。神道じゃないのに、神社にお墓のスペースを買ったそうです。ご先祖様はみんなそこに眠っています。それまでは父が建てたお墓が別にありました。でも管理しきれないということで、神社のスベースを買ったそうです。どんどんここは繁盛している様子でした。
今年の5月に父のお骨を半分だけ納めました。残りの半分は、朝晩に母が話しかけたり、心の安らぎのために、大阪の実家にあります。父も、母が忙しくしていたり、話しかけたりしてくれて、ニコニコと母の姿を見ていることでしょう。父としては、母が元気でいることが何よりでしょう。ムスコの私は……、まあ、それなりにやっているかなと安心してもらっているのやら。まあ、うちは奥さんがいますから、まあ大丈夫ですね。
私は、死んでしまったら鹿児島に入るのか、それともどこか新たにお墓を作るんでしょうか。何だか面倒ですけど、一応自分が死ぬまでには考えておきたい問題ですね。
いっそのこと、どこかご近所の山にポイッと私の骨を流してくれたら、それでいいような気がします。でも、死んでしまったら自分の自由にできないから、それは後の人に任せることにしましょう。せいぜい安らかに眠れるように祈ることにしましょう。
なんだかショボクれた感じの書き出しになりました。実は、自分の死ぬことなんて、まるで考えてなくて、いつまでも生きておられるような楽観的な気分でいますが、本当はいつ死んでもいいように毎日をしっかり生きていきたいんですけど、適当に流されながら生きている気がします。ダメな毎日です。
ついこの間、大阪の天王寺をブラブラしたんでした。リニューアルした天王寺公園に行きました。ライトアップやらもされるようで、少しだけ華やかな気配もありました。
美術館うらの慶沢園(けいたくえん)という庭園も散歩しました。母はタダでしたが、私は150円出して入りました。その割に、紅葉などはイマイチで、期待したほどではありませんでした。でもまあ、久しぶりに外の空気を吸っている母には、楽しい散歩になったようで、池に鯉が泳いでいても、トイレがきれいなのも、植木屋さんが手入れをしているのも、どれもこれも気に入ったようでした。
それで、折角だから、今度大河ドラマでも取り上げられる茶臼山にも行ってみることにしました。先ほどの庭園は美術館の東側(裏手)でした。茶臼山は、美術館の北側にあります。めったにここまで足を伸ばすことはなくて、美術館止まりがフツーなのに、散歩がメインなので、ついついこちらまで来てしまいました。
ここは真田幸村さんが出城として砦を築いたところです。家康さんの本陣はここから数キロのところで、天下茶屋(てんがちゃや)へ迫ろうと、あれこれ苦心したのかもしれません。そうした歴史がチラッと見えるところです。でも、その後、歓楽街となって、いろんなお店やら遊ぶところができたようですが、父母の恋愛時代には、ここでボート遊びができたそうです。
こんな風にして遊んだんですね。
「お父さんはヘタクソで、なかなかうまくこげなかったけどね。昔はもっと広かったのかな……」
今の写真とそんなに変わらないから、たぶんこの狭い池にたくさんのボートが出ていたんでしょう。父母の青春時代ですね。私がまだいなかったころというのですから、60年近く前ですか。すごいことです。
私は、ヘタクソな父が微笑ましくて、それなのに無理して母を連れ出して乗るわけですから、あぶなっかしいような、かわいらしいような、田舎から出て来た2人が少しだけ見えるような気がしました。うれしかった。
そんな母がいつになく積極的な提案をしました。「一心寺に行こう!」というのです。
ご近所の中高年のあこがれの場所、たくさんのご近所の方たちが、こちらへお骨を納めることを楽しみにしているそうで、そういう話を聞いて、一度そこを見てみたいというのです。
道は、方向音痴の母にしては積極的にこちらではないかというその方向へ行ってみることにしました。茶臼山を乗り越えて、ズンズン行きました。角をいくつか曲がって、いよいよ正門にたどり着きました。
すごい仁王さんがおられました。ポップな感じの、仁王さんです。
門の扉のレリーフも、インド的なのか、何だか肉感的です。官能的ではないけど、これでいいのかなという感じです。
中に入ったら、母は、お寺の中で写真を撮ってはいけないと言うのです。きっといろんなものが写るとかいうんでしょうけど、いつもの母らしくない発言です。
確かに、あたり一面が霊を慰めるための大阪らしい、わかりやすい仕掛けがあるようで、たくさんのお骨が集まれば、それを使って仏様をつくるということですし、あれやこれやで人々の信仰を集めているようでした。私もそれに圧倒されて、写真も撮らず、すごすご帰って来ました。もうお寺の中は、すごい霊力があふれていたんでしょうか。
とにかくポップで楽しいかなと思ったんですけど、やはりお寺はしんみりと古びている方が、個人的には好きかもしれません。
今年の5月に父のお骨を半分だけ納めました。残りの半分は、朝晩に母が話しかけたり、心の安らぎのために、大阪の実家にあります。父も、母が忙しくしていたり、話しかけたりしてくれて、ニコニコと母の姿を見ていることでしょう。父としては、母が元気でいることが何よりでしょう。ムスコの私は……、まあ、それなりにやっているかなと安心してもらっているのやら。まあ、うちは奥さんがいますから、まあ大丈夫ですね。
私は、死んでしまったら鹿児島に入るのか、それともどこか新たにお墓を作るんでしょうか。何だか面倒ですけど、一応自分が死ぬまでには考えておきたい問題ですね。
いっそのこと、どこかご近所の山にポイッと私の骨を流してくれたら、それでいいような気がします。でも、死んでしまったら自分の自由にできないから、それは後の人に任せることにしましょう。せいぜい安らかに眠れるように祈ることにしましょう。
なんだかショボクれた感じの書き出しになりました。実は、自分の死ぬことなんて、まるで考えてなくて、いつまでも生きておられるような楽観的な気分でいますが、本当はいつ死んでもいいように毎日をしっかり生きていきたいんですけど、適当に流されながら生きている気がします。ダメな毎日です。
ついこの間、大阪の天王寺をブラブラしたんでした。リニューアルした天王寺公園に行きました。ライトアップやらもされるようで、少しだけ華やかな気配もありました。
美術館うらの慶沢園(けいたくえん)という庭園も散歩しました。母はタダでしたが、私は150円出して入りました。その割に、紅葉などはイマイチで、期待したほどではありませんでした。でもまあ、久しぶりに外の空気を吸っている母には、楽しい散歩になったようで、池に鯉が泳いでいても、トイレがきれいなのも、植木屋さんが手入れをしているのも、どれもこれも気に入ったようでした。
それで、折角だから、今度大河ドラマでも取り上げられる茶臼山にも行ってみることにしました。先ほどの庭園は美術館の東側(裏手)でした。茶臼山は、美術館の北側にあります。めったにここまで足を伸ばすことはなくて、美術館止まりがフツーなのに、散歩がメインなので、ついついこちらまで来てしまいました。
ここは真田幸村さんが出城として砦を築いたところです。家康さんの本陣はここから数キロのところで、天下茶屋(てんがちゃや)へ迫ろうと、あれこれ苦心したのかもしれません。そうした歴史がチラッと見えるところです。でも、その後、歓楽街となって、いろんなお店やら遊ぶところができたようですが、父母の恋愛時代には、ここでボート遊びができたそうです。
こんな風にして遊んだんですね。
「お父さんはヘタクソで、なかなかうまくこげなかったけどね。昔はもっと広かったのかな……」
今の写真とそんなに変わらないから、たぶんこの狭い池にたくさんのボートが出ていたんでしょう。父母の青春時代ですね。私がまだいなかったころというのですから、60年近く前ですか。すごいことです。
私は、ヘタクソな父が微笑ましくて、それなのに無理して母を連れ出して乗るわけですから、あぶなっかしいような、かわいらしいような、田舎から出て来た2人が少しだけ見えるような気がしました。うれしかった。
そんな母がいつになく積極的な提案をしました。「一心寺に行こう!」というのです。
ご近所の中高年のあこがれの場所、たくさんのご近所の方たちが、こちらへお骨を納めることを楽しみにしているそうで、そういう話を聞いて、一度そこを見てみたいというのです。
道は、方向音痴の母にしては積極的にこちらではないかというその方向へ行ってみることにしました。茶臼山を乗り越えて、ズンズン行きました。角をいくつか曲がって、いよいよ正門にたどり着きました。
すごい仁王さんがおられました。ポップな感じの、仁王さんです。
門の扉のレリーフも、インド的なのか、何だか肉感的です。官能的ではないけど、これでいいのかなという感じです。
中に入ったら、母は、お寺の中で写真を撮ってはいけないと言うのです。きっといろんなものが写るとかいうんでしょうけど、いつもの母らしくない発言です。
確かに、あたり一面が霊を慰めるための大阪らしい、わかりやすい仕掛けがあるようで、たくさんのお骨が集まれば、それを使って仏様をつくるということですし、あれやこれやで人々の信仰を集めているようでした。私もそれに圧倒されて、写真も撮らず、すごすご帰って来ました。もうお寺の中は、すごい霊力があふれていたんでしょうか。
とにかくポップで楽しいかなと思ったんですけど、やはりお寺はしんみりと古びている方が、個人的には好きかもしれません。