今朝、通勤のクルマの中でラジオを聞いていました。1人になって4年という、70いくつの女性のハガキが読まれていました。彼女が言うには、1人で食べる夕ごはんが1番寂しいということでした。その話を聞いてすぐに私は母のことを考えたのだと思います。……そして、今毎晩家族でゴハンを食べられる幸せには全く思いも至らなかった……。
お手紙によると、4年前に通院していたとき、長良川の桜を見つけたそうです。
そうすると、旦那さんが「これが最後の桜かな」とつぶやいた。2人はタクシーに乗っていたので、少し遠回りしてもらって桜をながめたということでした。その年の夏に旦那さんは亡くなってしまい、その女性にとって長良川の桜が思い出に残る木になった。
私はすぐに父と母のことを思い出して、何だかせつなくなりました。母は1人生活は2年目ですね。何年経っても慣れないし、母のように家族こそすべてという寂しがりやさんにとっては、ひとりでゴハンはイヤなんでしょうね。そして、私や弟や孫が集まると大はしゃぎしている。それはわかっているので、せいぜい母と一緒にゴハン食べなきゃとか思ったりします。
さて、世界は今どうですか? トルコはロシアの爆撃機を打ち落としてしまい、大変なことになっています。シリア国内でロシアのヘリが不時着したら、反政府軍がアサド支持のロシア軍に対抗するため、動けなくなったヘリにロケット弾を打ち込んで大破した映像も流れていました。折角脱出した兵士もさらし者のように殺されてしまったということです。たぶん、ロシアでも衝撃をもってこの映像は流され、トルコに報復を! シリアの反政府軍を皆殺しにしろ! という国民の声が起こるかもしれません。
ああ、そう言えば、難民はロシアはめざさないのですね。広大な国土があるのだから、チマチマしたヨーロッパよりも、雄大なロシアをめざせばいいのに、どういうわけかみんなヨーロッパが目的地です。たぶん、ヨーロッパには、中東の人々を引きつける何かがあるし、深いツナガリがあるのでしょう。
それで、旦那さんを亡くした女性と、家族を失ったロシアの人々、どっちも同じだけれど、心のどこかで納得しているのは日本の女性で、ロシアの家族は納得できないでしょう。だから、つい興奮して復讐を! ということになってしまうのです。フランスだって、復讐を! アメリカだって、タリバン・アルカイダに死を! でした。もう21世紀になって、世界のルールとして、やられたらやり返すというのは当たり前になっています。
ロシアとトルコも、その前の原因・そもそもどうしてロシア軍が出張爆撃をしなきゃいかんのか、そんなことは問わないのです。世論が動き出したら、国のトップはそれに乗ってどんどん行くだけです。アメリカも、ロシアも、フランスも、かつては日本も、好戦的な国でした。何かきっかけをつくって、どんどんそちらに進んでいく。
だから、家族の死を悼んで、その傷心旅行というのか、妹さんの姿を求めてサハリン旅行を企画した賢治さんなんて、戦争の論理からいえば、甘っちょろいモノですね。21世紀のルールからすれば、「何を言ってんだか」という感じでしょうか。家族のことをいつまでも平和に思いつづけることって、ある意味ぜいたくですか。私は必要なことだと思うんですけど……。
そんなことより、経済のことを考えろ、世の中の役に立つ研究をしろ、家族の死でイジイジしているな! という世の中ですね。それよりも、みんな激動の世の中で、みんなが頑張っているんだから、そんなことでクヨクヨできるのはぜいたくだ! という人が多数派なのかなあ。
世の中がどうあれ、そばにいた人をいつまでも思ってあげることは、とてもいいことだと私は思います。賢治さんのその行動と作品のおかげで、90年たった今でも、全然関係のない私が、一緒にサハリンへの旅ができるわけですから、考えてみればすごいことです。やはりそういう人もいないといけないのです!
旭川
植民地風のこんな小馬車に
朝はやくひとり乗ることのたのしさ
「農事試験場まで行って下さい。」
「六条の十三丁目だ。」
馬の鈴は鳴り 馭者(ぎょしゃ)は口を鳴らす。
黒布はゆれるし まるで十月の風だ。
賢治さんは、技術者だから、農事試験所に行くらしいです。クルマはないから馬車です。旭川には行ったことはありませんが、たぶん、まっすぐな道が碁盤目みたいになったのびやかな町だったんでしょう。そこを颯爽と馬車は走り抜けていきます。何だか軽い気分ですね。
一列馬をひく騎馬従卒(きばじゅうそつ)のむれ、
この偶然の馬はハックニー
たてがみは火のやうにゆれる。
馬車の震動のこころよさ
この黒布はすべり過ぎた。
もっと引かないといけない
こんな小さな敏渉(びんしょう)な馬を
朝早くから私は町をかけさす
それは必ず無上菩提(むじょうぼだい)にいたる
馬車が、何だか宗教的ですね。それに運転しているのは賢治さんですか。すごいなあ。朝の旭川。8月2日というけれど、風は十月だったんですね。どんな出会いがうまれるんでしょう。
六条にいま曲れば
おゝ落葉松(からまつ) 落葉松 それから青く顫(ふる)へるポプルス
この辺に来て大へん立派にやってゐる
殖民地風(しょくみんちふう)の官舎の一ならびや旭川中学校
馬車の屋根は黄と赤の縞(しま)で
もうほんたうにジプシイらしく
こんな小馬車を
誰がほしくないと云はうか。
乗馬の人が二人来る
そらが冷たく白いのに
この人は白い歯をむいて笑ってゐる。
バビロン柳、おほばことつめくさ。
みんなつめたい朝の露にみちてゐる。
……ポプラの写真を借りてきました。ポプルスですね。
賢治さんが馬車を走らせていると、乗馬の二人の人が見えたそうです。ここには妹さんの姿を探す賢治さんというよりも、公の顔の、農業関係の仕事をしているそちらの顔で、朝の町を楽しんでいるようです。
落葉松(からまつ)、ポブルスってポプラのことですかね。官舎の建物、バビロン柳、あとでこれらを検索して貼り付けようと思います。
トルコとロシア、早いこと仲直りして、フランスさんの言うように大同団結をして、シリアの問題をうまく解決してもらいたいです。仲間同士で戦争をしてはいけません。話し合いという武器があるのだから、こちらでどんどん戦って、いい結論を出してもらいたいです。
……バビロン柳は、学名から賢治さんはそう呼んでいるそうです。シダレヤナギのことだそうです。
賢治さんの「旭川」も、最後は笑っている2人を見つけて、軽やかな感じで終わっている。妹さんの姿と心を探してはいるけれど、クラーイ顔してぼんやりしているのではなくて、風景の中で時折妹さんが見つかるわけで、そうでないときは、風景そのものに溶け込んで、風景の中で自分も息をしながら、あれこれと交感しているわけですね。
この詩の賢治さんは、少しだけ軽やかです。つめくさ・オオバコ・バビロン柳(しだれやなぎ)、みんな岩手の夏の草木でしょう。それらがキラキラしていたら、旭川の町も輝いて見えたことでしょう。こういう夏のドライブ、できたらいいですね。いや、それを受け止められるこころが必要かな。私には、どんなにステキな風景を見せてもらっても、受け止められない気がするし、それを詩にまとめるなんて、できないですね。
また今度、試してみようと思います。
お手紙によると、4年前に通院していたとき、長良川の桜を見つけたそうです。
そうすると、旦那さんが「これが最後の桜かな」とつぶやいた。2人はタクシーに乗っていたので、少し遠回りしてもらって桜をながめたということでした。その年の夏に旦那さんは亡くなってしまい、その女性にとって長良川の桜が思い出に残る木になった。
私はすぐに父と母のことを思い出して、何だかせつなくなりました。母は1人生活は2年目ですね。何年経っても慣れないし、母のように家族こそすべてという寂しがりやさんにとっては、ひとりでゴハンはイヤなんでしょうね。そして、私や弟や孫が集まると大はしゃぎしている。それはわかっているので、せいぜい母と一緒にゴハン食べなきゃとか思ったりします。
さて、世界は今どうですか? トルコはロシアの爆撃機を打ち落としてしまい、大変なことになっています。シリア国内でロシアのヘリが不時着したら、反政府軍がアサド支持のロシア軍に対抗するため、動けなくなったヘリにロケット弾を打ち込んで大破した映像も流れていました。折角脱出した兵士もさらし者のように殺されてしまったということです。たぶん、ロシアでも衝撃をもってこの映像は流され、トルコに報復を! シリアの反政府軍を皆殺しにしろ! という国民の声が起こるかもしれません。
ああ、そう言えば、難民はロシアはめざさないのですね。広大な国土があるのだから、チマチマしたヨーロッパよりも、雄大なロシアをめざせばいいのに、どういうわけかみんなヨーロッパが目的地です。たぶん、ヨーロッパには、中東の人々を引きつける何かがあるし、深いツナガリがあるのでしょう。
それで、旦那さんを亡くした女性と、家族を失ったロシアの人々、どっちも同じだけれど、心のどこかで納得しているのは日本の女性で、ロシアの家族は納得できないでしょう。だから、つい興奮して復讐を! ということになってしまうのです。フランスだって、復讐を! アメリカだって、タリバン・アルカイダに死を! でした。もう21世紀になって、世界のルールとして、やられたらやり返すというのは当たり前になっています。
ロシアとトルコも、その前の原因・そもそもどうしてロシア軍が出張爆撃をしなきゃいかんのか、そんなことは問わないのです。世論が動き出したら、国のトップはそれに乗ってどんどん行くだけです。アメリカも、ロシアも、フランスも、かつては日本も、好戦的な国でした。何かきっかけをつくって、どんどんそちらに進んでいく。
だから、家族の死を悼んで、その傷心旅行というのか、妹さんの姿を求めてサハリン旅行を企画した賢治さんなんて、戦争の論理からいえば、甘っちょろいモノですね。21世紀のルールからすれば、「何を言ってんだか」という感じでしょうか。家族のことをいつまでも平和に思いつづけることって、ある意味ぜいたくですか。私は必要なことだと思うんですけど……。
そんなことより、経済のことを考えろ、世の中の役に立つ研究をしろ、家族の死でイジイジしているな! という世の中ですね。それよりも、みんな激動の世の中で、みんなが頑張っているんだから、そんなことでクヨクヨできるのはぜいたくだ! という人が多数派なのかなあ。
世の中がどうあれ、そばにいた人をいつまでも思ってあげることは、とてもいいことだと私は思います。賢治さんのその行動と作品のおかげで、90年たった今でも、全然関係のない私が、一緒にサハリンへの旅ができるわけですから、考えてみればすごいことです。やはりそういう人もいないといけないのです!
旭川
植民地風のこんな小馬車に
朝はやくひとり乗ることのたのしさ
「農事試験場まで行って下さい。」
「六条の十三丁目だ。」
馬の鈴は鳴り 馭者(ぎょしゃ)は口を鳴らす。
黒布はゆれるし まるで十月の風だ。
賢治さんは、技術者だから、農事試験所に行くらしいです。クルマはないから馬車です。旭川には行ったことはありませんが、たぶん、まっすぐな道が碁盤目みたいになったのびやかな町だったんでしょう。そこを颯爽と馬車は走り抜けていきます。何だか軽い気分ですね。
一列馬をひく騎馬従卒(きばじゅうそつ)のむれ、
この偶然の馬はハックニー
たてがみは火のやうにゆれる。
馬車の震動のこころよさ
この黒布はすべり過ぎた。
もっと引かないといけない
こんな小さな敏渉(びんしょう)な馬を
朝早くから私は町をかけさす
それは必ず無上菩提(むじょうぼだい)にいたる
馬車が、何だか宗教的ですね。それに運転しているのは賢治さんですか。すごいなあ。朝の旭川。8月2日というけれど、風は十月だったんですね。どんな出会いがうまれるんでしょう。
六条にいま曲れば
おゝ落葉松(からまつ) 落葉松 それから青く顫(ふる)へるポプルス
この辺に来て大へん立派にやってゐる
殖民地風(しょくみんちふう)の官舎の一ならびや旭川中学校
馬車の屋根は黄と赤の縞(しま)で
もうほんたうにジプシイらしく
こんな小馬車を
誰がほしくないと云はうか。
乗馬の人が二人来る
そらが冷たく白いのに
この人は白い歯をむいて笑ってゐる。
バビロン柳、おほばことつめくさ。
みんなつめたい朝の露にみちてゐる。
……ポプラの写真を借りてきました。ポプルスですね。
賢治さんが馬車を走らせていると、乗馬の二人の人が見えたそうです。ここには妹さんの姿を探す賢治さんというよりも、公の顔の、農業関係の仕事をしているそちらの顔で、朝の町を楽しんでいるようです。
落葉松(からまつ)、ポブルスってポプラのことですかね。官舎の建物、バビロン柳、あとでこれらを検索して貼り付けようと思います。
トルコとロシア、早いこと仲直りして、フランスさんの言うように大同団結をして、シリアの問題をうまく解決してもらいたいです。仲間同士で戦争をしてはいけません。話し合いという武器があるのだから、こちらでどんどん戦って、いい結論を出してもらいたいです。
……バビロン柳は、学名から賢治さんはそう呼んでいるそうです。シダレヤナギのことだそうです。
賢治さんの「旭川」も、最後は笑っている2人を見つけて、軽やかな感じで終わっている。妹さんの姿と心を探してはいるけれど、クラーイ顔してぼんやりしているのではなくて、風景の中で時折妹さんが見つかるわけで、そうでないときは、風景そのものに溶け込んで、風景の中で自分も息をしながら、あれこれと交感しているわけですね。
この詩の賢治さんは、少しだけ軽やかです。つめくさ・オオバコ・バビロン柳(しだれやなぎ)、みんな岩手の夏の草木でしょう。それらがキラキラしていたら、旭川の町も輝いて見えたことでしょう。こういう夏のドライブ、できたらいいですね。いや、それを受け止められるこころが必要かな。私には、どんなにステキな風景を見せてもらっても、受け止められない気がするし、それを詩にまとめるなんて、できないですね。
また今度、試してみようと思います。