浅野内匠頭(たくみのかみ)さんは、どんな気持ちで歌を詠んだんでしょう。宣長さんは誇らしい感じ。林子平さんは悔しい感じですか。
◇ 次の空欄に適当な言葉を選び、昔の人の言葉を完成しなさい。
29 風さそふ花よりもなほ我はまた春の( )をいかにとやせん……浅野長矩(あさのながのり)
訳 風が春を呼び、花は盛りとなるだろうが、私はそれからあとに残されたものをどうしたらよいのだろうか。
30 知って( )ざるは、知らざるに同じ……貝原益軒(かいばらえきけん)
意味 学者にとって大切なことは、口で言う理論ではない。
31 ( )の大和心(やまとごころ)を人とはば朝日ににほふ山ざくら花……本居宣長(もとおりのりなが)
訳 日本人の魂とは何かと尋ねられたら、朝日に咲きにおう山桜が象徴しているのだと答えよう。
32 ( )の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき……狂歌
訳 ○○が清浄(せいじょう)すぎて魚は住むことができなくて、以前の濁っていた田沼が恋しくなってしまうのだ。
33 親も無し妻無し子無し( )無し金も無けれど死にたくも無し……林 子平(はやししへい)
訳 親も、妻も、子もいない。そして私の人生を掛けた○○もない。他にないものは金もそうだが、かといって死にたくもないのだ。
[語群] ア・白河 イ・遠江(とおとうみ) ウ・敷島(しきしま)
エ・行わ オ・名残(なごり) カ・仕事
キ・話さ ク・版木(はんぎ)
[ヒント]
29・播州赤穂の藩主で、1701年3月14日に35歳のときに切腹します。彼が暴走した結果、「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」が生まれるのですが、家臣としてはどちらがしあわせだったのか? 名誉と評判は残りましたが、生活はメチャメチャになったんですね。ショボクれたおやじの私は、仕事がいつまでもある方がいいんですけど……。
まあ、そんな心構えでは武士はやれませんね。いつでも死ねる心構えと、その捨てる命の使い方を考えたのが武士だったんでしょう。
30・貝原益軒さんの言葉です。江戸時代は安定した社会だったので、文化全般が広がり、深まるのですが、さて、理想的な教養人は何をするべきですか?
31・本居宣長さんが自画像に添えたという歌。正直な人だったのでしょうか。飾らない人? それとも気取った人? 明快すぎて少しくすぐったくなります。宣長さんは松阪の大エースですから、私たちは今もその栄光を引きずっています。どれだけ迫れているのか、そこはふあんですけどね。
32・「水清ければ魚棲(す)まず」《孔子家語(こうしけご)》という言葉を下敷きにして、○○藩主の松平定信(さだのぶ)さんよりもその前の田沼意次(たぬまおきつぐ)さんを讃(たた)えています。大衆の支持はあてにはならない証拠? それくらい人々は、調子に乗って支持したりするんでしょうね。
33・林子平さんの折角の著作は出版禁止となり、失意のうちに死を迎えます。何も残らない人生のなかで彼を支えたものは、一冊の本『海国兵談(かいこくへいだん)』だったのでは?
[答え]……29・オ 30・エ 31・ウ
32・ア 33・ク
◇ 次の空欄に適当な言葉を選び、昔の人の言葉を完成しなさい。
29 風さそふ花よりもなほ我はまた春の( )をいかにとやせん……浅野長矩(あさのながのり)
訳 風が春を呼び、花は盛りとなるだろうが、私はそれからあとに残されたものをどうしたらよいのだろうか。
30 知って( )ざるは、知らざるに同じ……貝原益軒(かいばらえきけん)
意味 学者にとって大切なことは、口で言う理論ではない。
31 ( )の大和心(やまとごころ)を人とはば朝日ににほふ山ざくら花……本居宣長(もとおりのりなが)
訳 日本人の魂とは何かと尋ねられたら、朝日に咲きにおう山桜が象徴しているのだと答えよう。
32 ( )の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき……狂歌
訳 ○○が清浄(せいじょう)すぎて魚は住むことができなくて、以前の濁っていた田沼が恋しくなってしまうのだ。
33 親も無し妻無し子無し( )無し金も無けれど死にたくも無し……林 子平(はやししへい)
訳 親も、妻も、子もいない。そして私の人生を掛けた○○もない。他にないものは金もそうだが、かといって死にたくもないのだ。
[語群] ア・白河 イ・遠江(とおとうみ) ウ・敷島(しきしま)
エ・行わ オ・名残(なごり) カ・仕事
キ・話さ ク・版木(はんぎ)
[ヒント]
29・播州赤穂の藩主で、1701年3月14日に35歳のときに切腹します。彼が暴走した結果、「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」が生まれるのですが、家臣としてはどちらがしあわせだったのか? 名誉と評判は残りましたが、生活はメチャメチャになったんですね。ショボクれたおやじの私は、仕事がいつまでもある方がいいんですけど……。
まあ、そんな心構えでは武士はやれませんね。いつでも死ねる心構えと、その捨てる命の使い方を考えたのが武士だったんでしょう。
30・貝原益軒さんの言葉です。江戸時代は安定した社会だったので、文化全般が広がり、深まるのですが、さて、理想的な教養人は何をするべきですか?
31・本居宣長さんが自画像に添えたという歌。正直な人だったのでしょうか。飾らない人? それとも気取った人? 明快すぎて少しくすぐったくなります。宣長さんは松阪の大エースですから、私たちは今もその栄光を引きずっています。どれだけ迫れているのか、そこはふあんですけどね。
32・「水清ければ魚棲(す)まず」《孔子家語(こうしけご)》という言葉を下敷きにして、○○藩主の松平定信(さだのぶ)さんよりもその前の田沼意次(たぬまおきつぐ)さんを讃(たた)えています。大衆の支持はあてにはならない証拠? それくらい人々は、調子に乗って支持したりするんでしょうね。
33・林子平さんの折角の著作は出版禁止となり、失意のうちに死を迎えます。何も残らない人生のなかで彼を支えたものは、一冊の本『海国兵談(かいこくへいだん)』だったのでは?
[答え]……29・オ 30・エ 31・ウ
32・ア 33・ク