甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

入学前夜 HSD-02

2014年01月28日 20時00分20秒 | High School Days
 Kは、難関入試を突破して高校に入学して、達成感に満ちあふれていた。少しだけ、自分のことをすごくかいかぶっていたようだった。

 そんな自分にほれぼれしてしまい、
「ボクって、天才かな? いや、努力家やから秀才かなあ? そりゃ、言い過ぎかもしれへんけど、なかなか頑張ったなあ」
 と、自己陶酔の極致へたどりついた! それがまたある時には、コンプレックスの塊となって、いじけてグショグショになったりする。
 果たしてこのオレは、「すごい」のか? 「ダメ」なのか? 後々の高校生活の中では、すぐに後者となって、いじけまくるのだが、とにかく、合格した時点では、得意の絶頂にいたのである。

 人は大人になれば、自分とはこういう人間であり、ダメなところもイイところも含めてすべて自分なのだから、それはそれとして受け止めていこう、と居直るすべを見つけられる。けれども、若いときというのは、どちらかじゃないと落ち着かないし、白黒つけなきゃ気が済まないし、やたらとないものねだりをするものなのだろう。特に高校の頃の彼は、妥協もできず、高望みをし、身の程もわきまえないで、臆病な自尊心と尊大な羞恥心とを抱えて生きていた。




 また、若いKは、グウタラなくせに野心は大きく、成績の上がらないナマケモノの自分を、どうコントロールしていいかわからず、ただ瞬間・瞬間に生きていた。深い考えはなく、ただその時思ったことを、それが真実であるかのように信じて行っていた。そんな浅はかな、うすっぺらい生き物だったのである。どういうわけか若者はまわりが見えない。あるのはステキな目標と理想の自分で、現実とのギャップを埋められるかどうかにかかっているのである。

 高校時代のKは、恐いもの知らずだった。……少しはそうだったかもしれない!
 高校時代のKは、自分というものがわかっていなかった。……自分とは何ものか、これは一生問い続けねばならない問題だ! わからないことを知ることが大切なのだ! 孔子さんもそんなことを「論語」の中で弟子たちに語っている。

 高校時代のKは、片思いをたくさんした。……恋につながる希望は絶大なものだから、それは単なる片思いではなかった。希望を持つことが大切であって、簡単に恋愛が成就してもらっては困る。簡単に告白できてもダメ! 告白もできず悶々とすることによって希望を膨らませることができるのだ!



 Kが高校に入学したのは一九七五年四月。卒業は七八年二月二十四日。O市の西部にある学校で、自宅からバスと電車で四十分程度で到着できた。自転車でも同じくらいの時間でたどり着けるのだが、自宅からだとどうしてもS川を渡らねばならず、そのためには市営の渡し船か、高速道路の下を階段を上がり降りして行かねばならない。

 そういうわけで、めったに自転車は使わなかった。だから、ほとんどバスと電車で通学した。

 さあ、高校に入学する少し前のところから書いていこう。


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