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俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

性悪説(荀子)VS性善説(孟子) 中歴-04

2014年01月29日 21時02分18秒 | 中国の歴史とことば
5【(   )譲(じょう)】    6【放(ほう)(   )】
5の意味……天子が生存中にその位を、血縁者ではない有徳者(ゆうとくしゃ)に平和的に譲り渡すという理想的な権力委譲(いじょう)の方法。その反対は「世襲(せしゅう)」です!
 

6の意味……追放討○の意。悪政を行う暴虐無道(ぼうぎゃくむどう)の天子を武力によって退けて新たな王朝を建てること。空欄に適当な漢字一字を答えてください!


 中国古代の立派な王様の帝・堯(ぎょう)さんのお子さんは丹朱(たんしゅ)という人で、愚か者だったそうです。これを「不肖(ふしょう)」:親に似ない子、としていました。

 そこで、堯さんは実子の丹朱さんには位を譲らず、民間にあって親孝行で知られた舜(しゅん)という人に位を譲ることにしました。

 この大抜擢! この考えられない権力委譲は、次の奇跡を起こします。

 王位に就いた帝舜さんは、自分の子の商均(しょうきん)さんが愚か者だったので、またも実子には継がせずに、治水事業などで功績をあげた禹(う)さんに譲位(じょうい)しました。これらをふまえて、「○譲」ということばが生まれました。《荀子》 

 禹(う)さんが子孫に王をつがせることにした夏(か)王朝、その最後の天子・桀王(けつおう)さんは、殷(いん)の湯王(とうおう)さんに滅ぼされました。夏(か)の次の王朝である殷の最後の天子・紂王(ちゅうおう)さんが、周の武王(ぶおう)さんに討たれたという歴史的な事実がありました。これらは中国の歴史のはるか昔のできごとで、ずっと人々に伝えられていき、中国の生きた歴史になっていたと思われます。



 今から二千三百年前の思想家・孟子さんは、各地の王様を訪問して、政治アドバイスをしていたようです。当時の中国は戦国時代と呼ばれるような、弱肉強食の時代でした。7つの有力国が競い合い、互いに一進一退が続いていました。斉(せい)の宣王(せんおう)さんの前に現れた孟子さんに、王さまは質問をしました。歴史の中では王という権威が、侵略者に攻められて、国が滅びたことがあったのかと。

 現代の我々なら、ダメな王様がムチャクチャの政治をしているなら、当然侵略者(次なる権威者)に権威を奪われるのもありだと思います。けれども、これは歴史を習ったから、そんなふうに考えられるのです。もし歴史を学ばなければ、王は王であることによって、いつまでも王の権威を維持できると考えかねないのです。人間って、誰かから学ばない限りものすごくまわりが見えないものですもんね。

 何しろ自分は王になるべくして生まれ、王となったあとは、自分の意志・言動・行動のすべて王であったのです。もう疑いようがなくずっと王なのです。だから、いつまでも自分の権威は続き、この権威は自分の後継者に子々孫々続いていくのだ、とつい考えたくなるのでしょう。

 全く過去に競争社会があったなんて、とても信じられないような気がして、王は孟子さんに尋ねました。ひょっとすると、「王という権威は何をしてもよい。どんなわがままも許されます」というコメントでも欲しかったのかもしれません。「王様、あの人たちは特別にダメな王様でした。よっぽどのことがないかぎり王の権威は永遠です」と政治顧問・孟子さんのお墨付きをもらいたかったのかどうか……。

 本来であれば、ダメな王様がいたという歴史を学んでいたら、国を治める者の反面教師とするべきなのです。孟子さんは、どう伝えたらいいか悩んだでしょうか? 王の機嫌を損ねて処刑されるということは考えなかったのでしようか。まあ、昔のことなので、そんなに簡単に粛清とか、なかったんでしょうね。


 
 孟子さんは何と答えたのか? すかさず「わがままな王は追放されるべきだ」と突き放したそうです。勇気があるというのか、理想を大切にしているというのか。《孟子》

 しかし、現代でも、独裁者として三代世襲の国とか、シリアも二代世襲とか、タイのように兄妹で権力を継承したり、わからないことがよくあります。日本だって、世襲ではないですが、政治をお家芸にして代々続けている家庭もあったりします。それだけ、権力を握った人たちというのは、その味が忘れられなくて、次の代まで権力志向はつづくんでしょうね。不思議です。

 私も、孟子さんのように、どんな家柄であろうとも、ダメな政治をする人はもうやめて! と、言ってあげたくなります。でも、誰もボクなんかにアドバイスをもらいにくる人はいませんので、じべたをたたいて、好きな歌でもうたっていましょう!     


答え 5・(禅(ぜん))譲   6・放(伐(ばつ)) 


★ なかなか皮肉な組み合わせです。性善説の「孟子」の中に「放伐」がある。どんなに性善であったとしても、王としての道を外れたら、それは取り換えても構わない。ということなのかもしれない。

 だから、放伐されないように、トップに立つものはせいぜい自分のみのまわりをこぎれいにして、やましい気持ちをなくさないといけない、ということなんでしょう。

 だったら、今の日本の政治は、王道が行われていて、放伐は起こらないということなんでしょうか。うまく情報操作して、ごまかしているだけじゃないのかな。

 性悪説の荀子に、「禅譲」が出ています。そんなことは本来できないのが当たり前で、どこの国でも、国のトップは世襲か、それとも後継者があとを継ぐパターンが多い。どこに禅譲なんかあるものか、というのが当たり前です。

 そう、本来人間はエゴイスティックなものだし、ひどいヤツとは思っていても、世襲させて、それでなんとか収まってほしいと権力者は願うのです。権力者じゃなくても、親はなんとか子どもに楽をさせたいと思ってしまう。人間は我執の強い生き物である。

 だから、禅譲なんていう、とんでもないことが起きるとびっくりする、という意味で、荀子さんも取り上げたんでしょうか。どちらも皮肉の意味かな。(2017.12.10)


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