↑そこで見つけたオシャレなクルマ! 勝手に写真を撮りました!
先日、津の県庁の下の所にある四天王会館というところに行きました。そこで、「古本ジャンホリー」という古本イベントをやっていたからでした。伊勢と岐阜とあといくつかの古本屋さんが集まって、合同の(こぢんまりとした)古本市をやっていました。津のおしゃれなお店たちが集まっているシックな建物なので、おしゃれな本でも見つかるかな、とか思っていました。
↑2階のノビ文具店でスケッチブック買いました。380yen!
まあ、私は、おしゃれな本が欲しいわけではなくて、地味な、歴史の、地元に関係のある、旅にも関連づけられた、千円以下の本を求めていました。特にこれと狙っている作品は今はありません。本との新たな出会いを求めての外出でした。奥さんと一緒に行きましたが、彼女は歴史とかにはまるで興味がないし、それこそおしゃれな本が好きなんです!(横からのぞいてる奥さんは、「おしゃれな本」ってどんな本よ! と文句を言っています。まあ、とにかく私に関係のない本は、どれもみな「おしゃれな本」ということにしておきましょう!)
6畳くらいのスペースの四方に本棚が設置されて、子どもの本とか、クーネルとかいう奥さんの好きな雑誌とかがありました。そういうコーナーは全く関係がないので、目に入らないのと同じです。左手のレジの横に三重県の関連本がいくつかありました。手に取ってみると、二千円とか、三千円とかします。もう、どんな本だったのか忘れてしまいましたが、確かに家にあってもいいものだったかもしれません。でも、ザンネンながらそんなお金はないのです。となると、やはり文庫・新書サイズの本しか買えないことになります。
新潮文庫から出ていたマリリン・モンロー・ベスト。2冊で五百円も、袋入りで中身が分からないし、買ってもたぶん読まないしで、諦めて、結局、色井秀譲という人の「白山町今昔噺」という本と
江戸から明治・大正へとつながる日本の歴史が私のテーマでもあるので、「マンガ明治・大正史」金森健生著(現代教養文庫 1979)の2冊を買いました。合わせて千円という、いかにも私らしい、ケチくさい買い物でした。それで、そのまま帰るのも、もったいないと、突然に、谷川士清(ことすが)さんの旧宅を訪れることにしました。
先週、榊原温泉から長野峠を越えて伊賀上野の町に出たせいか、何となく伊賀街道づいていて、津のお城から青山高原に道が伸びていて、その元になるところの津の町を訪ねてみようとしたのです。
戦国武将の藤堂高虎さんは、徳川家康さんに上手に取り入って、伊勢の国・安濃津(あのつ)の地に城を構えることになりました。「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」という何だかよくわからない文句があったりしますが、伊勢の国の抑えとして起用されました。戦略的にはあまりたいしたところではないとも思われますが、京都・大坂に近く、その監視役的な働きもできるし、江戸幕府の西日本の監督場所として津藩は存在しました。
そこに1709年、医者の家に士清さんは生まれます。家業の医学はもちろんのこと、神道・お花・歌道など、いろいろなことにチャレンジします。京都から津にもどると、家業をコツコツとまじめに取り組みます。それなりにおうちに資産が生まれます。いろんな人と交流をして、たまたま友人たちが反幕的な人たちで(ということは、尊王派の走りだったんですね)、士清さんも藩から目を付けられて、監視される存在になってしまいますが、日本書紀研究や辞書作りに情熱を燃やし、子孫たちが家産を傾けるくらいに士清さんの原稿を出版していきます。できれば、うちに翻訳版の『和訓栞(わくんのしおり)』があると、うれしいんだけど、残念ながら、簡単には手に入りません。三重県が県をあげて出版するとか、あれこれしてくれるといいのですけど、それはムリですかね。
そんなこんなで、士清さんの旧宅を楽しんで、帰ってきました。学芸員ではないですが、と言いながら熱心に解説してくださった津市の職員の方、丁寧でわかりやすかったです。それなのに、うちの奥さんはケータイが鳴ってから、落ち着かなくなってしまいました。ザンネン!
先日、津の県庁の下の所にある四天王会館というところに行きました。そこで、「古本ジャンホリー」という古本イベントをやっていたからでした。伊勢と岐阜とあといくつかの古本屋さんが集まって、合同の(こぢんまりとした)古本市をやっていました。津のおしゃれなお店たちが集まっているシックな建物なので、おしゃれな本でも見つかるかな、とか思っていました。
↑2階のノビ文具店でスケッチブック買いました。380yen!
まあ、私は、おしゃれな本が欲しいわけではなくて、地味な、歴史の、地元に関係のある、旅にも関連づけられた、千円以下の本を求めていました。特にこれと狙っている作品は今はありません。本との新たな出会いを求めての外出でした。奥さんと一緒に行きましたが、彼女は歴史とかにはまるで興味がないし、それこそおしゃれな本が好きなんです!(横からのぞいてる奥さんは、「おしゃれな本」ってどんな本よ! と文句を言っています。まあ、とにかく私に関係のない本は、どれもみな「おしゃれな本」ということにしておきましょう!)
6畳くらいのスペースの四方に本棚が設置されて、子どもの本とか、クーネルとかいう奥さんの好きな雑誌とかがありました。そういうコーナーは全く関係がないので、目に入らないのと同じです。左手のレジの横に三重県の関連本がいくつかありました。手に取ってみると、二千円とか、三千円とかします。もう、どんな本だったのか忘れてしまいましたが、確かに家にあってもいいものだったかもしれません。でも、ザンネンながらそんなお金はないのです。となると、やはり文庫・新書サイズの本しか買えないことになります。
新潮文庫から出ていたマリリン・モンロー・ベスト。2冊で五百円も、袋入りで中身が分からないし、買ってもたぶん読まないしで、諦めて、結局、色井秀譲という人の「白山町今昔噺」という本と
江戸から明治・大正へとつながる日本の歴史が私のテーマでもあるので、「マンガ明治・大正史」金森健生著(現代教養文庫 1979)の2冊を買いました。合わせて千円という、いかにも私らしい、ケチくさい買い物でした。それで、そのまま帰るのも、もったいないと、突然に、谷川士清(ことすが)さんの旧宅を訪れることにしました。
先週、榊原温泉から長野峠を越えて伊賀上野の町に出たせいか、何となく伊賀街道づいていて、津のお城から青山高原に道が伸びていて、その元になるところの津の町を訪ねてみようとしたのです。
戦国武将の藤堂高虎さんは、徳川家康さんに上手に取り入って、伊勢の国・安濃津(あのつ)の地に城を構えることになりました。「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」という何だかよくわからない文句があったりしますが、伊勢の国の抑えとして起用されました。戦略的にはあまりたいしたところではないとも思われますが、京都・大坂に近く、その監視役的な働きもできるし、江戸幕府の西日本の監督場所として津藩は存在しました。
そこに1709年、医者の家に士清さんは生まれます。家業の医学はもちろんのこと、神道・お花・歌道など、いろいろなことにチャレンジします。京都から津にもどると、家業をコツコツとまじめに取り組みます。それなりにおうちに資産が生まれます。いろんな人と交流をして、たまたま友人たちが反幕的な人たちで(ということは、尊王派の走りだったんですね)、士清さんも藩から目を付けられて、監視される存在になってしまいますが、日本書紀研究や辞書作りに情熱を燃やし、子孫たちが家産を傾けるくらいに士清さんの原稿を出版していきます。できれば、うちに翻訳版の『和訓栞(わくんのしおり)』があると、うれしいんだけど、残念ながら、簡単には手に入りません。三重県が県をあげて出版するとか、あれこれしてくれるといいのですけど、それはムリですかね。
そんなこんなで、士清さんの旧宅を楽しんで、帰ってきました。学芸員ではないですが、と言いながら熱心に解説してくださった津市の職員の方、丁寧でわかりやすかったです。それなのに、うちの奥さんはケータイが鳴ってから、落ち着かなくなってしまいました。ザンネン!