しばらく親戚の用事で東京に出ていた妻が帰ってきました。やっとオカーサンが帰ってきて、うちはおさまった感じになりました。
今、下でテレビをつけながら眠りこけている奥さんがいる、というのが私の安心感を広げてくれます。おかげで私は何も考えないでブログをして遊んでいます。
ここ何日かは、何だか落ち着かなかったのですね。知らない間にフワフワしていたらしい。
漢詩の本を読んでいたら、古詩十九首というので、こんな詩が紹介されていました。
行き行きて重ねて行き行き はるばると きみは旅立ち
君と生きながら別離す 生きながら 別れ別れに
相(あい)去ること万余里 きみとわれ 万里をへだて
各(おの)おの天の一涯に在(あ)り さながらに 地のはてとはて
道路阻(へだ)たりて且(か)つ長く ゆく道は 遠くけわしく
会面(かいめん)安(いず)くんぞ知るべけん 顔あわす てだても知らぬ
胡馬(こば)は北風(ほくふう)に依(よ)り 胡馬 北風に鳴き
越鳥は南枝(なんし)に巣くう 越の鳥 南枝に巣をつくる
相去ること日(ひび)に已(すで)に遠く 別れては 日に日に遠く
衣帯(いたい)日に已に緩(ゆる)む 帯と着物 日に日にゆるむ
浮雲(ふうん)白日を蔽(おお)い 浮き雲が 太陽をおおうごとく
遊子(ゆうし)顧返(こへん)せず 旅人は 帰ろうともせぬ
君を思えば人をして老いしむ きみ思い 年老いてゆく
歳月忽(たちま)ちにして已に晩(く)れぬ 年月は たちまちくれる
棄捐(きえん)のこと復(ま)た道(い)うなからん うち捨てて もう思うまい
努力して餐飯(さんぱん)を加えよ せめてきみ 無事に暮らせよ
石川忠久「漢詩への招待」文春文庫1987
東京と三重では、天の端と端というわけにはいかないですが、気分としては離ればなれで、電話はすぐにつながるけれど、わざわざ電話する気にもなれず、気分的にはモンモンとして仕事をしていました。
4月になったというのに、イマイチ気分は晴れません。むしろモンモンでした。
サクラを見ても心は晴れません。彼女からメールが来て、「千鳥ヶ淵の桜は満開です」とかいうことでした。
私は、そんなメジャーな桜の名所じゃなくて、ごくさっぱりとした君ヶ野ダムのサクラの公園を歩きました。
いちばん下のダム湖のほとりまで来ると、
こんな木や、柳の新緑が見えて、それなりにキレイで、楽しいのだけれど、帰っても奥さんがいないとなると、何だか楽しくなくて、ションボリ桜見物でした。
さつきで「君ヶ野ダム」と文字を書いてありますが、そんなことでも、楽しければ笑えるのに、気分が重くて、笑いも凍ってしまう。
でも今は、奥さんが……ちょっと居眠りしすぎですね。「早くお風呂に入りなさい」とでも言って来ましょう!
ああ、金曜の夜です。焼酎を2杯も飲んで、飲み過ぎました。体がブヨブヨになった感じです。早く寝て、ケロッと起きようかな……。
★ この君ヶ野ダムとやら、いつできたのかなとあちらこちら見ていると慰霊碑を見つけました。すると昭和47年に殉職した方が2人いたそうで、それから40年以上経過しているダムなのだと知りました。
日本は、この70年代にいろんな建設をしたのですね。その日本がだいぶ疲弊している。新たに活性化しようとして、このダムの奥の方に津市のゴミ最終処分場というのをつくることになったそうです。
こうして日本は、くたびれた建造物とゴミだらけになって、そこに住む人々もクタクタになっていくのでしょう。子どもたちも、キレイでアッケラカンとした街におぼれながら生きているけれど、何だか落ち着かないのは、これらズタズタの土地と、立派なモノたちに囲まれて、息抜きできないせいかなぁ。どうなんでしょうね。
今、下でテレビをつけながら眠りこけている奥さんがいる、というのが私の安心感を広げてくれます。おかげで私は何も考えないでブログをして遊んでいます。
ここ何日かは、何だか落ち着かなかったのですね。知らない間にフワフワしていたらしい。
漢詩の本を読んでいたら、古詩十九首というので、こんな詩が紹介されていました。
行き行きて重ねて行き行き はるばると きみは旅立ち
君と生きながら別離す 生きながら 別れ別れに
相(あい)去ること万余里 きみとわれ 万里をへだて
各(おの)おの天の一涯に在(あ)り さながらに 地のはてとはて
道路阻(へだ)たりて且(か)つ長く ゆく道は 遠くけわしく
会面(かいめん)安(いず)くんぞ知るべけん 顔あわす てだても知らぬ
胡馬(こば)は北風(ほくふう)に依(よ)り 胡馬 北風に鳴き
越鳥は南枝(なんし)に巣くう 越の鳥 南枝に巣をつくる
相去ること日(ひび)に已(すで)に遠く 別れては 日に日に遠く
衣帯(いたい)日に已に緩(ゆる)む 帯と着物 日に日にゆるむ
浮雲(ふうん)白日を蔽(おお)い 浮き雲が 太陽をおおうごとく
遊子(ゆうし)顧返(こへん)せず 旅人は 帰ろうともせぬ
君を思えば人をして老いしむ きみ思い 年老いてゆく
歳月忽(たちま)ちにして已に晩(く)れぬ 年月は たちまちくれる
棄捐(きえん)のこと復(ま)た道(い)うなからん うち捨てて もう思うまい
努力して餐飯(さんぱん)を加えよ せめてきみ 無事に暮らせよ
石川忠久「漢詩への招待」文春文庫1987
東京と三重では、天の端と端というわけにはいかないですが、気分としては離ればなれで、電話はすぐにつながるけれど、わざわざ電話する気にもなれず、気分的にはモンモンとして仕事をしていました。
4月になったというのに、イマイチ気分は晴れません。むしろモンモンでした。
サクラを見ても心は晴れません。彼女からメールが来て、「千鳥ヶ淵の桜は満開です」とかいうことでした。
私は、そんなメジャーな桜の名所じゃなくて、ごくさっぱりとした君ヶ野ダムのサクラの公園を歩きました。
いちばん下のダム湖のほとりまで来ると、
こんな木や、柳の新緑が見えて、それなりにキレイで、楽しいのだけれど、帰っても奥さんがいないとなると、何だか楽しくなくて、ションボリ桜見物でした。
さつきで「君ヶ野ダム」と文字を書いてありますが、そんなことでも、楽しければ笑えるのに、気分が重くて、笑いも凍ってしまう。
でも今は、奥さんが……ちょっと居眠りしすぎですね。「早くお風呂に入りなさい」とでも言って来ましょう!
ああ、金曜の夜です。焼酎を2杯も飲んで、飲み過ぎました。体がブヨブヨになった感じです。早く寝て、ケロッと起きようかな……。
★ この君ヶ野ダムとやら、いつできたのかなとあちらこちら見ていると慰霊碑を見つけました。すると昭和47年に殉職した方が2人いたそうで、それから40年以上経過しているダムなのだと知りました。
日本は、この70年代にいろんな建設をしたのですね。その日本がだいぶ疲弊している。新たに活性化しようとして、このダムの奥の方に津市のゴミ最終処分場というのをつくることになったそうです。
こうして日本は、くたびれた建造物とゴミだらけになって、そこに住む人々もクタクタになっていくのでしょう。子どもたちも、キレイでアッケラカンとした街におぼれながら生きているけれど、何だか落ち着かないのは、これらズタズタの土地と、立派なモノたちに囲まれて、息抜きできないせいかなぁ。どうなんでしょうね。