甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

四天王寺 春分の日 2015

2015年04月02日 05時28分42秒 | 父母のこと、あれこれ
 ラジオウォークを早めに切り上げて、母と私は関西線(今は大和路線というんでした)で王寺から天王寺へと出ました。キップが買えないと母は言います。買おうと思ったら買えないことはないと思いますが、ここは息子に甘えておこうというのか、私のおごりで天王寺です。

 ここはホームグラウンドの1つなので、スタスタと母は行きます。商店街はたくさんの人が歩いています。お昼も過ぎているので、お帰りのお客が多いようで、波に逆らっていきます。いやむしろ、人がたくさんいるところは、母ならのぞむところでしょうか。口では人が多いのはイヤ! と言いますが、母も私も野次馬根性がありますので、あまり気にせず、一直線で四天王寺へと向かいます。

 鳥居をくぐると、(古いお寺の四天王寺さんも、江戸の頃には神仏混淆になっていたのかもしれません。大阪の庶民は廃仏毀釈なんて信じなくて、そのまま残したのかなあ)……、もう境内はたくさんのお店が並んでいます。

 昔の父母なら、自分たちにつながるすべての亡くなった人々の名前を札に書いて、申し込みをして供養したようで、それが春分の日の恒例行事となっていたようです。

 今は、その人々の名前を書いていた父がこちらにいなくて、すでに前日お坊さんが実家で父のためにお経を読んでくれたそうなので、改まった供養はもうしません。ですから、母と子は、とりあえず手を合わせられるところがあれば、境内のあちらこちらで手を合わせ、父やその他の人々のことを祈りました。

 さて、そうなると、お店です。

 食べ物屋さんはいっぱい出ています。私たちは食い意地が張っている方ではないので、すべてスルーしてしまいます。母は着道楽なのか、ただのバザーマニアなのか、布やさんでかなりの時間品物選びをしていました。昔からそういうのは好きだったんですね。そうなると、子どもは、手持ちぶさたを通り越してクタクタになります。それで子どもたちはボンヤリ待つというのを何となく身につけたのかもしれない。特に私はそれが得意な方で、弟と少し違うところです。弟ならもっと有効に時間を使うことでしょう。

 私は、ぼんやりトルコ料理のお店を見ていました。



 はげ上がった中年の店主が、クルクル回転しているお肉を切り刻んでいます。そのお肉をパンにはさんで食べる料理のようです。たまたまお客はみんなスルーです。時間帯がオヤツの時間帯で、トルコ料理でおなかをふくらませようという人は見かけなかった。

 そのお向かいには、境内の喧噪をよそに、静かな塔頭みたいなのがあって、いい雰囲気です。春の花木も静けさが漂っています。他の人が立派なカメラで塀から顔を出す花をねらっていましたが、私はそれは撮らずに、この秘密の花園のようなお庭をのぞくだけでした。




 母はまだ布の選別をしています。何を買うんだか、時間が読めないのでイライラするところですが、特に何をしなきゃいけないわけでもないので、ボンヤリ過ぎゆく春をながめていました。


★ 去年の春分の日、母と四天王寺に行きました。この土日も実家の方へ行って来ましたが、母は私が定年になったら、大阪にもどっておいで、いつでも遊びに行けると、私にあちらこちら行かせようという感じのことを話していました。

 母は、父がいなくなったので、遊びに行けないようで、どこかへ遊びに行くために息子の私を利用しようという腹づもりみたいです。

 それは、どういうことなのかなあ。私には、奥さんもいて、奥さんをあちらこちらに連れて行きたい気持ちはありますが、母とどこか遊びに行くのは、そんなに行くつもりはなかったんですけどね。どうしたらいいのやら、母の真意は? 何だかこわくなっちゃいますね。



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