ウソつく子は、やがて地獄に落ちて、そこで舌を抜かれちゃうんだから、いつも人に正直に向き合わなければいけません、なんて、今の若い人にはチャンチャラおかしいことだと思うんでしょうね。
国内で一番えらいお方が、どこの場ででもいつも質問に向き合わず、適当に話をすり替えて、誠実さのかけらもなく、適当なことをヘラヘラ話している。本人は、あんなつまらない演技だけど、それなりに反応があると手ごたえを感じているなんて、あの人の感性の低さにもびっくりするけれど、よほど裸の王様なんでしょうね。
小さな子が、「あなたはウソツキで、あなたはマルハダカだよ。」と言ってあげると、本人もこたえるだろうけど、彼に直言してくれる小さな子どもはいないし、いよいよスッポンポンで突き進むんでしょう。
ああ、みっともない。
たぶん、私たちも彼と同じようにハダカなんでしょう。それなのに、いろいろと自分を直視できない事情があって、経済のために、借金返済のために、東アジアで自由で平和な国の維持のために、すべてを顧みないで、みっともない姿をさらしていくんでしょう。
ああ、地獄で鬼たちが笑っている! たくさん、たくさん地獄に落ちてくるアホウどもが、そのうちたくさんやってくるぜと待っていて、みんなが来たら、スタッフ総動員で対応してくれるはずです。
平野郷の話を書こうとしていました。
昔、奈良盆地からのすべての水が集まった大和川は、現在の大阪城の方まで北に進んで、淀川と合流して大阪湾にそそいでいました。
だから、大阪湾は、ものすごい水の都でした。たまたまあった小山に一向宗の人々が集まり、共和国を作っていた。それを信長さんは許さずに、たたき潰そうとしましたが、とても手ごわい相手になりました。ずっとてこずっていた。だから、伊勢長島の一向一揆もたたきつぶすのに苦労したり、それはもう大変でした。
その苦戦した原因は、石山本願寺(現在の大阪城があったあたり)が水に守られた土地だったからです。淀川だけでなく、大和川もお堀の役割をしました。
大和川が北上するとき、最初に見えてくる土地が平野郷であり、その向こうに四天王寺の姿が見えたことでしょう。水運でもカギになるところに平坦で、人々が集まる集落がありました。ここもまわりに堀を巡らしていたりした。たぶん、自治とかも行われていたかもしれない。
中世から、独自の町民自治の世界があったことでしょう。
いろんなお寺、古い家、大きな商家・農家など、この地域の中心を担っていた。
大念仏寺みたいな立派なお寺だってできてしまいます。
そこからもう少し南に行くと、カーブした道があって、東西に伸びる商店街がありました。
しばらく歩いてみると、
古い新聞取次店がありました。まるで朝日新聞の平野支局みたいな感じだけど、たぶん、販売店であって、決して新聞を編集しているわけではない。でも、立派だし、古いのです。
和装のお店だってありますが、少し混沌としています。ただの呉服店ではないようです。
よろいのお店だってありましたが、これはディスプレイであり、売り物ではないようでした。何の店だったんだろう。
商店街の真ん中に、全興寺(せんこうじ)というお寺がありました。ここに地獄の展示がありました。お寺だから、人々に地獄の存在を教えることは大事なことです。でも、絵巻や地獄絵という平面で説教することも可能ですが、庶民に伝えるには立体です。
そうした立体展示の地獄があって、恐れ多いので写真は撮らず、ただ感心だけして、商店街歩きを楽しみましたっけ。
このお寺では、鬼さんはお寺に奉仕していて、
看板のモデルにもなったり、地獄を怖がらせたり、大活躍していました。昔の善男善女はそれはもう素直に受け入れ、正直に生きなきゃね、と思いつつ商売をがんばったんでしょう。
そりゃ、大阪人ですから、したたかに生きたと思います。