昨日、BSで戸隠山を見ました。信仰の山だというのは知ってたけれど、登山番組にもかかわらず、いくつかの廃仏毀釈のあとを見ることができました。しっかりは確認できなかったけれど、たぶん、現地に行けば実際に見ることができるでしょう。
山頂を歩くことはできないけれど、ふもとの戸隠神社にお参りすることはできそうです。いつか、チャンスがあればお参りして、今はこんな風にして私たちは生きていくのか、というのを知りたいと思います。
もとの形にはもどれません。私はそんなのを望んでいません。神も仏も、いるようでいない、いないようでどこかにいてくださる、そんなものなのだと思っています。だから、お堂を建てるとか、仏像を寄進するとか、無茶は言いません。あるがままを受け入れます。
四国の石鎚山といい、戸隠山といい、信仰のお山は、厳しい断崖があります。大峰山もそうでしょう。
火山ではないから、地球の力でそっくり返った山だから、ああしたとんがった山頂ができます。その刃物の上を歩くような尾根歩きは、夢に出てきそうだし、私みたいな足元のおぼつかないオッサンは、転げたくないと思っても、バランスを崩して落っこちそうです。それがわかってるから、絶対に登れません。ドローンの映像を見させてもらうだけで、「ああ、大変だな。怖いな」と思わせてもらうだけです。
信仰心はあるつもりだけど、刃物の上を歩く肝試しはできません。残念ながら、そういうのができる年は過ぎてしまいました。
昔は、何とかとケムリは高いところに登る式で、危ないところを好んで歩いて見せてた時もありました。まあ、ほんの一時だったんでしょう。すぐに腰も体も足も重くなって、いつの間にか気分は重鎮です。中身は空っぽだけど。
ある友人からメールをもらって、昨日から今日にかけて大変だったというのを教えてもらいました。ショートメールがいくつか入っていて、救急車で運ばれたとか、AEDを使ってもらったとか、緊急手術を受けたとか、今は身動き一つできなくて、でも手だけは使えるのか、オシッコも管から出してるとか、あれこれ教えてもらい、最後には異変があったらすぐに医者に相談と教えられたという教訓まで書いてありました。
内容は大変だけど、とりあえず危機は脱したのかなと判断しました。彼はお勤めもしているけれど、この事業所はどれだけ彼のことを思ってくれるのか、二週間も来られないそうで、本当に役に立たない、間に合わないヤツだとかなんとか思われてないだろうか。果たして彼の勤務先から誰かお見舞いの人とか来てくれるんだろうか。
今は天涯孤独の彼です。だから、私みたいな役に立たない一人に毎日メールなんかしてくれてたけれど、彼のところは少し遠いし、私なんかが出かけて行っても、面会謝絶じゃないだろうか。
とにかく、彼が元気になるのを待ちたい気持ちです。もう大丈夫。退院したら、電話してみましょう。
そして、私も現実には戸隠山の屋根道を歩いているのだと実感していきます。たまたま山の上にはいないけれど、内実はそんなに変わらないと思っていきます。
明日は22時くらいまでお仕事しますよ。大変だなあ。でも、無理しないでボチボチやります。私なんかが無理しても、何にもならないし、もう無理する年でもないしな。ドローンのように山を越えて行きます!