甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

恩賜ではなくて連帯を!

2022年08月23日 18時38分25秒 | 私たちの社会・世界

 今もらってる給料、「あれ、働き始めた頃の自分もこの程度の額をもらっていたかも……」というのは昨夜思ったことでした。

 何十年も前に、まともにお仕事もできない(本人はそれなりにやろうと努力はしてたと思うんですが、今から思うと何もできてなかった感じの)、フラフラの私が、どういうわけか、ありがたく頂いていたお金と、今もらっている給料はそんなに変わらない額だった……。いや、今の方がそんなに働いてないのに、何十年も前と同じなんだから、効率がいいのかしら?

 この何十年の間に私たちの給料というのは、そんなに上がってなくて、それよりもむしろ価値は下がっているのかもしれない??? いや、私の稼ぎが悪いだけだろうという気もします。

 父たちの時代は、今から60年以上も昔、そう、あの高度経済成長の時代、所得倍増計画というのが打ち出され、実際にそれが実現されていった時代、すべてに右肩上がりで、どんどん次をめざす時代だったというふうに歴史として学んでいます。

 それで、この何十年の無変化は? 日本というものの停滞なのかもしれない。いや、儲かっている人はいると思うし、とてつもなく富み栄えている人たちもいます。持てる人たちと持たざる者、日本は分断社会をこの何十年かで作り上げ、みんなそういうものだと思い、個人だけではなく、国家そのものも傾きつつあるし、政治・経済・文化、何を取り上げたとしても、世界から孤立し、誇れるものを失い、ダメダメになりつつあるのではないか。

 そんな気がしたんです。



 帰りのクルマでは、自治体ごとの最低賃金がニュースになって流れていました。日本全体が二年後くらいにはみんな千円くらいになるだろう、という見通しなんだそうです。都会は生活にお金がかかり、田舎では生活にお金がかからないから、最低賃金も低い。そういう理屈だそうですけど、少しずつ都会と田舎の差みたいなものはなくなりつつあるし、東京のど真ん中で暮らすにはお金がかかるだろうけど、それ以外はそんなに変わらないのに、まだまだ都会と地方の差は縮まらない。

 その賃金の格差は、どのようにして埋めていくものかと聞いていたら、政府の指導やら、財界への働きかけやら、地方自治体の首長の指導やら、すべて上から「さあ、最低賃金だけはどこも大体大差がないようにしろ! 政治の力でそうした差を埋めて、あとの全体収入や生活保障は、誰もそんなところに気が回らないのだから、話題にしないで、とくかく単純な目安である最低賃金は政治の努力として、見える形にしよう」

 ということなんでしょうか。



 父が残した貯金、母に言わせれば、「銀行において置けば倍になった」とかいう話があったけれど、そんなすごい時代があったのかと感心するばかりで、今となっては全く非現実的な、あり得ない、ウソではないのか、と思いますけど、そんな時代があったのかもしれません。

 少しばかり給料が上がったとしても、実は生活は何十年か前よりも苦しくなっているんだと思います。そこそこに働けば、きっと将来は約束されるし、努力はウソをつかないし、必ず報われるのだというのはもう夢のような話なのです。

 一寸先は闇、どこに落とし穴があるのか、私たちにはわかりません。どんなに真面目に生きていたとしても、どこかで足元をすくわれる時代に私たちはいます。みんな疲れているし、真面目に働いていた人が、事故を起こしてしまったり、一瞬のエアーポケットは私たちの生命を奪うように社会は再編成されています。

 事故を起こす、または起こしかねない人は、二度と社会に組み入れないし、ずっと排除されたままです。

 私たちの救われる道はありません。エラいお方のお恵みやご配慮によって、細々と生かしていただくしかないようです。そのエラいお方は、突然に戦争やとんでもない法律を作るかもしれないし、優しいフリはしていますが、基本は使えないヤツは切られるのです。

 凡人は、恩賜、エラいお方のお恵みによって生かされていくのですね。それは不自由で、窮屈で、元気が出なくて、いつも何かにおびえていなくてはならないし、心にゆとりがありません。

 そうではなくて、自分たちの生きていく権利は、自分でつかみたいし、それを守るには弱い者たちが集まって、しっかりと主張するシステムが必要でした。



 でも、今の日本には、弱い者たちにとって作られた、お互いを守り、カバーしあうシステムは空洞化しています。だから、若い人はそんなのがあるといわれても、半信半疑です。弱い者たちが集結して力を見せることって、全くなくなりました。

 政治を支える団体は、利益集団か、宗教集団しかなくなったようで、弱い者たちの声なき声を集結させる集団は、解体させられてしまいました。これも今の政治による着実な成果なのでしょう。

 弱い者たちは、そんなのが集まっても無意味だ、ちゃんと力のある人にあわれみ、お恵みをもらえるように大人しくしていろ、それが賢い生き方だし、他人は基本は信用できないというカタチはできてしまっています。

 でも、私はそれではいけないと思います。「お恵みをください」と願うばかりでは、私たちは元気になれません。もっと自分たちが、自分たちの力で、自分たちのアイデアを生かしながら生きている、そういう実感が持てる社会でなくては、やりきれないのです。

 ヒントはある気がしています。上から与えられるものではなく、まわりと少しでも協調しながら生きていく、単純なことだけど、私にはできてないことかもしれない。だから、明日からでも、連帯しながら生きていけるように、少しずつ意識していきたいです。

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