甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

八年後の私たち、感染者は続く

2021年07月28日 18時19分47秒 | 私たちの社会・世界
 父が亡くなった翌年の夏、喪に服するとか言いつつも、18キップで岳南鉄道に乗りに行ったみたいでした。


 2013年の9月8日、東京がオリンピックの開催地に決定しました。私は、たぶん、大阪の実家に帰ってそのニュースにふれました。「おもてなし」はテレビで見ました(録画というか、何度も繰り返される印象的な場面でした)。

 「クリステルさんもやるなあ。だれかフリまで考えてくれた人がいたんだろうか?」とか考えたんだったかな。いや、割と素直に「おもてなし↑」というのはいいフレーズだと感心したような気がします。

 この時は、ただ感心していた。それから、未来の首相候補のK泉さんちの方と結ばれるなんて、あれこれ計算はめぐらされてるんだ、世の中というのは、そういうふうにできているんだと、これまた感心したのかな。私にはわからない世の中の仕組みのウラみたいなのがあるんでしょうね。

 耳に残る、キャスターもできるタレントさんのパフォーマンスでした。そちらに気を取られていて、「トッ、キヨォー」の感動はなかった。招致活動をしてたわけでもないし、オリンピックの虚しさみたいなのも感じていましたし……。



 「おもてなし」は英語にすると「hospitality」になるんだろうか? とか考えたんだったかな。なんだか英単語がその時は気になってたはずだから、そんなつまらないことを考えました。そういう単語しか知らなかったけれど、たまたま気になりました。

 翌日、病院にいる父の所に行き、なにかの話題の一つとして母が、
「お父さん、オリンピックが東京に決まってんでえ」と話すのを見ていました。
 私は、「そんな、2020年のことなんか、うちのお父さんは気にしていないよ!」とかは言いませんでした。

 ただ、父が「よかったなあ」とかも言わないし、ただ無表情で何の反応も示さないのを見ているだけでした。父には聞こえなかったわけではないけど、何かしゃべれたとしても、あまり前向きなことなんて言えなかったでしょう。それがいつ行われるのか、イメージもできないけれど、その時には自分はいないし、今日明日もわからない自分だ、と思ってたんでしょうね。

 父は、二年の闘病の中で、自らがもうそんなに長くないというのは嫌というほど感じさせられていたはずです。今そこにいるだけでしんどいのだから、そんな七年先のことなんか、考えられるはずはありませんでした。

 まさか、自分のところの家族が何かの競技でオリンピックに出ることはないし、父にも、母にも、私にも、全く関係のないことだったのです。ただの話題として母は話したと思うけれど、何だかキビシイ話だなと私は思っていました。



 それから、八年の歳月が経過して、直前まであんなに止めなさいとまわりから言われても、断固として、政治生命をかけて総理大臣さんは強行しました。世の中のこと、政治的なこと、国際的な行事、自分たちのレガシーとやら、そういうのはたくさんの犠牲があろうとも、実行されるものであるという強い信念によって行われています。

 そのおかげで(そのせいで)、今日はとうとう東京で三千人越え、オリンピックどころではないのに、テレビをつけたら、のんきにすべてがオリンピック風になっています。

 とても、残念なことですが、そういう状況です。

 コロナは、総理大臣さんの責任ではないのかもしれない。でも、こんなに感染者が広がったのは、責任はないのか? それでもオリンピックは続けられるのか? 何のためのオリンピックなのか? 誰に見せようとしてオリンピックをしているのか? 

 私には全く分かりません。もう少しこの八年という歳月を振り返りたいと思うので、とりあえず今日はここまでにしておいて、また新たに書こうと思います。

 大変なことになりました。私たちはどうしたらいいんでしょう。大人しくしてたらいいのかな。


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