27【衣食足りて( )節を知る】……生活にゆとりができてこそ、○儀や節度をわきまえるようになる。衣食足りて栄辱(えいじょく)を知る。《管子》
28【子を知ること( )に若くはなし】……子どものことは、その○親が一番よく知っている。家臣のことは、その主君が一番よく知っている。《管子》
★ 空欄に適切な1字を答えてください!
友人の鮑叔牙(ほうしゅくが)さんの助言により、捕虜の身から宰相に起用された管仲(かんちゅう)さんは、大抜擢(だいばってき)を受けてから後、見事に斉(せい)の国を安定させ、何と桓公の40年の治世をサポートし続けました。
1人の王様が40年居座るというのは、世界の歴史の中でも長い方だと思います。でも、だらしなく何十年も王の座にいたのではなく、中国大陸の東側からすべての国々ににらみを利かし、戦争もしかけて勝利し、外交交渉でもリーダーとして意見を言い、すべての国々を従わせていたのですから、なかなか安定した王権の40年だったと思います。これは珍しい方なのではないでしょうか。
どうやら、管仲さんは実務家であり、経済政策を優先させた人であり、政策通でもあったらしい。友人の鮑叔牙さんだって、望めば国のトップに立つことができたはずでした。それをあえてせず、統一王朝のない、国が乱立して混乱している春秋時代の中国で、国として名誉ある地位を築くにはあいつしかいないと、捕虜となった友人を推薦しました。そして友人はその期待に見事にこたえた。かくして、斉の威風は国内にとどろいたのです。
結果しか知らない私たちは、管仲さんがどんな政治的なアイデアを持ち、どんな野望を抱えて、何が楽しみで生きていたのか、全く想像することもできません。ただ、彼が残した言葉を見て、このような人だったのだろうかと想像し、その小さなイメージの中でしか彼をとらえることはできません。
この人が管仲さんですか、どうもリアルな人間に見えてこなくて、私のイメージの限界ですね。この人が晏子ですよ。とか言われても、そうですかというしかない感じです。
さて、27の言葉です。何となく説教くさくて、確かに真実だと思うし、広大な中国大陸で国のトップとしてやっていくには、やはり先ず人々が飢えないこと、それができて初めて文化やら、心のゆとりやら、人間としてのよろこびを感じることができるという、わりと当たり前の言葉です。そんな当たり前の言葉を堂々と残し、何千年後の我々にもやはりそうだよなと思わせる、どうしようもない真理です。腹がへってはいくさができぬ、という下世話な言葉もありますが、それよりも格調のある言葉です。それで、現代中国は、今も衣食が国家全体として足りないので、礼儀も優しさも、少数民族への思いやりなど、国としてのあたりまえのマナー・政策が足りなくて、相変わらず不平分子が国に対してくすぶっているという状況なのでしょう。ひるがえってわが日本は、ある程度足りているので、不満はないけど覇気がないという感じかな。
28は子どもの親として、本当にそこまで自分が見てあげることができているかどうか、ものすごく不安になります。理解しているようなことを言ってみたり、ただのポーズのような気がしたりします。でも、これは一種の理想であって、親としてはそうあらねばならないという、親としての心構えを述べてくれているのだと思います。
管仲さんが書いたとされる「管子」から2つ取り上げました。もっといい言葉があるのかもしれませんが、現在でも生き残っている言葉ということで、どうでしょう!
答え 27・礼 28・父
★ 管仲さんって、イマイチイメージがわかないです。やはり、何かエピソードが欲しいなあ。史記にも管仲さんの記述はあっさりしていて、人物像が浮かんでこないのです。とりあえずしたたかさしか浮き上がらないんです。
28【子を知ること( )に若くはなし】……子どものことは、その○親が一番よく知っている。家臣のことは、その主君が一番よく知っている。《管子》
★ 空欄に適切な1字を答えてください!
友人の鮑叔牙(ほうしゅくが)さんの助言により、捕虜の身から宰相に起用された管仲(かんちゅう)さんは、大抜擢(だいばってき)を受けてから後、見事に斉(せい)の国を安定させ、何と桓公の40年の治世をサポートし続けました。
1人の王様が40年居座るというのは、世界の歴史の中でも長い方だと思います。でも、だらしなく何十年も王の座にいたのではなく、中国大陸の東側からすべての国々ににらみを利かし、戦争もしかけて勝利し、外交交渉でもリーダーとして意見を言い、すべての国々を従わせていたのですから、なかなか安定した王権の40年だったと思います。これは珍しい方なのではないでしょうか。
どうやら、管仲さんは実務家であり、経済政策を優先させた人であり、政策通でもあったらしい。友人の鮑叔牙さんだって、望めば国のトップに立つことができたはずでした。それをあえてせず、統一王朝のない、国が乱立して混乱している春秋時代の中国で、国として名誉ある地位を築くにはあいつしかいないと、捕虜となった友人を推薦しました。そして友人はその期待に見事にこたえた。かくして、斉の威風は国内にとどろいたのです。
結果しか知らない私たちは、管仲さんがどんな政治的なアイデアを持ち、どんな野望を抱えて、何が楽しみで生きていたのか、全く想像することもできません。ただ、彼が残した言葉を見て、このような人だったのだろうかと想像し、その小さなイメージの中でしか彼をとらえることはできません。
この人が管仲さんですか、どうもリアルな人間に見えてこなくて、私のイメージの限界ですね。この人が晏子ですよ。とか言われても、そうですかというしかない感じです。
さて、27の言葉です。何となく説教くさくて、確かに真実だと思うし、広大な中国大陸で国のトップとしてやっていくには、やはり先ず人々が飢えないこと、それができて初めて文化やら、心のゆとりやら、人間としてのよろこびを感じることができるという、わりと当たり前の言葉です。そんな当たり前の言葉を堂々と残し、何千年後の我々にもやはりそうだよなと思わせる、どうしようもない真理です。腹がへってはいくさができぬ、という下世話な言葉もありますが、それよりも格調のある言葉です。それで、現代中国は、今も衣食が国家全体として足りないので、礼儀も優しさも、少数民族への思いやりなど、国としてのあたりまえのマナー・政策が足りなくて、相変わらず不平分子が国に対してくすぶっているという状況なのでしょう。ひるがえってわが日本は、ある程度足りているので、不満はないけど覇気がないという感じかな。
28は子どもの親として、本当にそこまで自分が見てあげることができているかどうか、ものすごく不安になります。理解しているようなことを言ってみたり、ただのポーズのような気がしたりします。でも、これは一種の理想であって、親としてはそうあらねばならないという、親としての心構えを述べてくれているのだと思います。
管仲さんが書いたとされる「管子」から2つ取り上げました。もっといい言葉があるのかもしれませんが、現在でも生き残っている言葉ということで、どうでしょう!
答え 27・礼 28・父
★ 管仲さんって、イマイチイメージがわかないです。やはり、何かエピソードが欲しいなあ。史記にも管仲さんの記述はあっさりしていて、人物像が浮かんでこないのです。とりあえずしたたかさしか浮き上がらないんです。