甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

おとなの歓喜の姿

2021年11月28日 07時35分05秒 | スポーツいろいろ

 いつもの年なら、11月初めには終了する日本シリーズが、今年はオリンピックの関係で12月まであと少しという昨日まで行われていました。

 4勝2敗で日本一になったのはヤクルト・スワローズでした。ワールド・シリーズでブレーブスがWC(ワールドチャンピオン)になったのはもうかなり昔です(日本では11/3、向こうはその前日かな)。あの時のブレーブスのメンバーは、わりと喜びを爆発させてて、先日そのダイジェスト版をチラッと見ただけで感激してしまったんですけど、とうとう自分たちはここまで来たという喜びと、それを讃える球場全体の雰囲気、何てったってホームで勝てたんだから、ファンも一緒になって喜べたし、みんな武骨な人たち、お茶目な人たち、クールな人たちと、いろいろいるはずなんだけど、みんなが喜んでいました。

 私は、最近は日本の野球が時間がかかりすぎるし、すぐにフォアボールを出してしまうし、エラーはするし、打たれるとなるととことんピッチャーは打ち込まれるし、テレビ中継もされてないし、ほとんど見る機会を失っていました。

 今回のヤクルトvsオリックスも、中継はされていたけれど、熱心に見てはいませんでした。でも、両チームにはオリンピックで活躍した選手たちが何人かいました。

 オリックスでいえば、山本由伸投手、宮城投手、日本チームの三番を任された吉田正尚(まさたか)選手たちだったかな。平野投手もいたでしょうか。

 ヤクルトは、山田哲人選手、村上選手という、日本チームの打線の中軸となった二人がいました。他にもいたと思います。

 この人たちは、今年、2月のキャンプから昨日まで、ずっと野球に打ち込んで、最高の舞台で、たくさんのファンに囲まれながら野球ができていたのだから、すでにしあわせではあったし、いろんな有形無形のものを得られたと思われます。

 象徴的なのは、金メダルだけど、3年後のパリでは金メダルを欲しいと思っても、競技がないのだから、一生の宝物でしょう。7年後のロス・アンジェルスでも競技はないかもしれません。あるのかなあ?

 そんなに見ていないけれど、オリンピックで活躍した山本投手がどんな活躍をするのか楽しみではありました。いろんなボールを投げ分け、まだ若くて球速もあるし、本当に頼もしいエースでしたけど、それでヤクルト打線を抑えられはしたけれど、スワローズは彼に勝ちを与えることもしなかった。フィフティフィフティだったんです。互いに譲らなかった。

 山田哲人選手、村上選手も、いいバッターなんだけれど、ホームランも出ないし、そんなに活躍できたわけでもなかった。

 日本を代表する選手たちが出ているのに、彼らがそんなに大活躍したわけでもなく、両チームのそれぞれが持っているものを出し尽くして戦ったのが今回のシリーズだったようで、ヒーローはいませんでした。そして、みんなが主役であったようです。



 誰かが大活躍をしたわけではない。みんなが持ち味を出した。ずっと接戦が続き、あまり連打はなかった。ドーム球場とは違う、神戸の球場で第6戦は行われ、私は20:15から23:30くらいまで3時間ほど見させてもらった。

 最後のバッターがアウトになり、いつもの光景なら、選手全員がグラウンドに飛び出し、お互いに讃えあったら、すぐに監督の胴上げ、バンザイが始まるわけですが、抑制的であったスワローズの選手たちは、ゆっくりと現れた監督に飛び掛かりませんでした。

 何度も書きますが、よそのチームだったら、オッチョコチョイの選手が、監督に飛びついてすぐに胴上げをするところです。でも、選手たちは監督一人を取り囲んで、何かを待っているようでした。

 監督は、選手たちに何かしゃべっていた。それを選手たちはうれしさ半分、まじめさ四分の1、好奇心もいくらか、監督への信頼もかなり、そんな感じで見ていました。なかなか珍しい光景だなと見ていました。

 そうしたら、高津監督さんの背中に、現役時代と同じ22の背番号が見えました。監督は現役時代と同じ番号を背負ってチームにいるんだ、というのを私は知りました。

 お話がすんだら、胴上げが始まりますが、選手たちの声がNHKのアナウンサーに聞こえたのか、「22回胴上げしよう」と言っているようだと教えてくれます。

 「そんなにやっていいんだろうか?」私は心配になりました。

 そして、9回くらい胴上げして、「もういいから」とでも伝えたのか、それでいつもより少し多い胴上げは終わりになりました。



 そうしたら、カメラはオリックスの選手たちを写しました。彼らは、悔しさを表に出さず、全力で戦ったが、相手にやられてしまった。力の差はなかったが、たまたま向こうに「勝利の女神がほほ笑んだ」だけで、自分たちも十分すごいし、よく戦ったし、自分たちも讃えられるべきだし、自分たちのチームみんなも頑張ったのだ、というのを静かにかみしめているようでした。

 選手個々が、それぞれに声を掛け合っていた。誰かがミスしたわけではなく、誰かが突出したわけでもありませんでした。それぞれの持ち味を出して戦った。阪神から放り出された42歳の能美選手だって、ワンポイントで日本シリーズに登板することもできました。私はなんだかその場面、短かったけど、うれしかったなあ。

 静かに、スタンドの前に整列し、ファンのみなさんたちに頭を下げていた。こういう表現があるのだなと感心して、相手チームも自分たちも讃えながら、日本シリーズが23時半になろうとしているこの時間に、やっと終わったのだと納得してテレビを消しました。



 そう、監督インタビューも見ました。アナウンサーは監督の今シーズンを乗り切った言葉「絶対大丈夫」というのを言わせたいから、同じような質問を繰り返しています。

 マスコミって、どうして決まりきったものを求めたがるものなのか。しつこいなあと私なんかは見ていました。もう、いい加減やめろよとか。

 仕方なく、高津監督は、来年に向けてもチームに「絶対大丈夫」と声をかけて行くし、自分たちは進んでいく。今は、とりあえず喜びたいけど、もう次への戦いに向けて進んでいくのだ、というのを伝えていました。

 アナウンサーは、とにかく決まりことばを引き出せたからよかっただろうけど、それをあっさりかわすし、コメントの中で高津監督が「感謝、感謝、感謝」と3回繰り返してたのは、監督の素直な思いなのかなと思ってたら、何と、20年前、スワローズが優勝した時の監督・野村克也さんの言葉であったそうです。そういう野村さんへの感謝も込めて、そのセリフをあの場で使える人だったようです。

 さすが、プロのチームの監督さんです。いろんな人を動かせる言葉を使える人だったんですね。そういうその場だけではない、いろんな人のつながりを、優勝監督インタビューという場で使えるんだから、大したものだと思いました。

 そして、20年前に優勝したのも、神戸の球場、その最後のマウンドにいたのも高津さんという、いろんな因縁を感じさせてくれた試合だったんですね。

 20年前、私はちゃんと見てなかった気がします。こんな年になって、いろいろつながっているんだなと感心させられています。



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