エリン・マナハン・トマスさん(ソプラノ歌手)のCD、買ったのは最近だと思います。といっても、去年なのか、今春なのか、一つ一つの記憶があいまいで、前後関係はフラフラしています。
でも、割と気に入っていますけど、クルマのHDにはまだ入れていません。たぶん、まだです。気に入ったのを編集しようみたいな変な欲が出て、やってませんけど、そんな編集するよりも、ひたすら聞くのが大事です。
この大事なことが最近はできていませんでした。そして、今夜、気温はどれくらいだろう。25℃くらいになったでしょうか。少しマシになりました。音楽聞いてブログ書こうだなんて、もう何か月も思ったことがありませんでした。夜も、どんなにして暑さから逃れるのか、そんなことばかりに気を向けられて、何もかもが何だか現実感が足りませんでした。その場しのぎに何か書いてるだけでした。
それが今夜は、エリンさんを聞いて書こうなんて思うんだから、よほどゆとりが出てきましたね。いい感じです。少しだけ秋です。
そして、このデビューアルバムは、ヴィヴァルディの「この世に真の平和なし」という曲をたまたま聞いて、いろんな人に声や演奏をyoutubeで見て、アマゾンも見てみて、これで行ってみようと、ここにたどりつくまでにも時間はかかりました。
こんな内容なんだそうです。ラテン語は全くわかりませんけど、
この世には苦悩なくして
真の平和なし、汚れなき本当の平和は、
優しきイエスよ、御身のうちにあり。
苦悩や苦痛の中で
魂は幸福に生き、
清らかな愛への期待によってのみ生きる。
こういう内容を5分ほどかけて歌ってくれています。
その内容も大事だけれど、それを歌い、聞き、そして心にしみこませるんでしょうか。
タイトルも、「まことの安らぎはこの世にはなく」という風にしているものもあるようです。
どっちにしろ、この世で安らぎを得ることはないのでしょう、たぶん。
あったとしても一瞬だし、すぐに安らがない時間に立ち向かわなくてはならないのです。
ということは、イエスさまのもとに(仏教徒はオシャカさまのところへ、神道の人たちは神様の世界へ、それぞれ信ずる世界に)、そういうところへ行くのだと思いつつゆく、それで行けるということなのかな。
そう、この世の安らぎなんか求めてはダメなんだ。この世にある時は、ヒーヒー言いながら、弱音をはきながら、誰かに助けを求めながら、そのうちなんとかなるだろう、そう思って生きていかなくちゃ。ノホホンと生きてる私には耳が痛い、というのか、なかなか身にしみない言葉なんだけど、エリンさんの声を聞いてると、少しだけそういう世界もあるものか、なんて思ってしまうのです。