高校1年生の時、初めてそんなバカなことがあるのかと、ビックリした記憶があります。これはどこにでもある高校の伝統なのかもしれません(と書きつつ、少し不安になってきました。冷静に見れば、どうしてそんなことするの? というのを無理矢理させてくれることって、ありがたいと思うのですけど、それが強制であり、学校の伝統とあらば、仕方なく従うというものなんだと思うのですが……)。
今も母校で引き継がれているのか、少し心配だけれど、できれば続いていてほしい無形遺産だと思います。どうなんだろう。私は、今の若い人の真面目さと努力することに関しては信頼していますが、おバカなことをすることに関して言えば、今の若い人たちはそんなことはしないという気がするのです。
1年の2月ごろ、2つ上の先輩たちの文集が配られました。うちの学校は2月の24日が卒業式と決まっていました。もっと早い日に設定している私立の学校もあったようで、毎年そこのニュースが流れると、「また売名行為の、それしか売り物のないオッチョコチョイ学校め!」とか思ったりしたけれど、今となっては、そういうのもありだったのだなと思います。そして、たぶん今はどこも同じような時期に卒業式を設定しているかも……。
とにかく、2月の終わり頃に、卒業していく生徒たちの文集が全校生徒に配られることになっていました。当時の400人ほどの卒業生全員の声が詰まった作品集は、イラスト等が一切ない、すべて活字によって構成された中身の濃い冊子となっていました。
なかなか読みごたえがあって、ドーンと400人の思いが届けられ、それだけでもビックリなのに、内容はおもしろく、うちの高校らしい、ノンビリした、少し受験からは一歩距離を置いたお話がたくさん入っていました。みんな「ハハーン、受験なんて、そんなにカリカリすんなよ!」という雰囲気をたたえていました。そのホーズのウラでは、少しでもいい大学に入りたいとは思っているし、受験伝説みたいなのがあって、学年300番台の先輩が、N女大の物理学科に現役合格! それでは私も、ひょっとしてその器かもとうぬぼれたり、卒業文集の中に何かヒントでも落ちてるような気がしたのかもしれません。
わりと鷹揚な私の高校では、下級生にも卒業文集を配ります。ですから、私は3冊の卒業文集を持っています。とてもありがたいことです。今でもこのシステムが続いていたらいいのだけれど、世知辛い世の中だから、そんなお金のかかることはもうなくなっているかもしれません。どうなのかなあ。
文集の冒頭に、大阪の北のターミナル・梅田から京都まで、大晦日から元旦にかけて歩き続けた先輩たちの歩行の記録が書いてありました。
大阪から京都まで四十数キロあるということですが、これを一晩のうちに走破したということでした(途中で挫折したということだったかな?)。気の合った仲間と、ワイワイ言いながら「夜のピクニック」をしたそうで、とてもうらやましいことのように感じました。冒頭からこんなトボケた話です。そういうのが延々と続いていきます。それはもう壮観な文集でした。
他には駅のトイレに駆け込んだものの、間に合わなかった話などの失笑系やら、恋愛の話、先生に関する話など、恋愛・失敗談・話のリレー形式のモノ・回想譚など、いろんなお話が掲載されていました。どの話も、先輩たちが苦しみもがいた高校時代のことが書かれていて、とてもありがたい記録になっていました。
さて、京都への歩行旅、これは3年生だけの特権だったのでしょう。彼らは普段は受験勉強に明け暮れていて、余裕を見せつつ余裕は無かった。でも、大晦日から元旦にかけて、ほんの1日だけ、すべてを忘れて仲間と一晩を過ごしたようです。下級生がそういうことをしたとしても、ただのお遊びだし、ただの初詣でしかありません。余裕のない日々の中から1日だけ絞り出して、大いなるムダをする。それがイキだったような気がします。
下級生は、とにかくあと1、2年したら、そういうことができるのだと胸に秘めることになりました。そして、私も高校3年生に1度だけ京都へ大晦日から元旦にかけて歩きに行きました。
今も母校で引き継がれているのか、少し心配だけれど、できれば続いていてほしい無形遺産だと思います。どうなんだろう。私は、今の若い人の真面目さと努力することに関しては信頼していますが、おバカなことをすることに関して言えば、今の若い人たちはそんなことはしないという気がするのです。
1年の2月ごろ、2つ上の先輩たちの文集が配られました。うちの学校は2月の24日が卒業式と決まっていました。もっと早い日に設定している私立の学校もあったようで、毎年そこのニュースが流れると、「また売名行為の、それしか売り物のないオッチョコチョイ学校め!」とか思ったりしたけれど、今となっては、そういうのもありだったのだなと思います。そして、たぶん今はどこも同じような時期に卒業式を設定しているかも……。
とにかく、2月の終わり頃に、卒業していく生徒たちの文集が全校生徒に配られることになっていました。当時の400人ほどの卒業生全員の声が詰まった作品集は、イラスト等が一切ない、すべて活字によって構成された中身の濃い冊子となっていました。
なかなか読みごたえがあって、ドーンと400人の思いが届けられ、それだけでもビックリなのに、内容はおもしろく、うちの高校らしい、ノンビリした、少し受験からは一歩距離を置いたお話がたくさん入っていました。みんな「ハハーン、受験なんて、そんなにカリカリすんなよ!」という雰囲気をたたえていました。そのホーズのウラでは、少しでもいい大学に入りたいとは思っているし、受験伝説みたいなのがあって、学年300番台の先輩が、N女大の物理学科に現役合格! それでは私も、ひょっとしてその器かもとうぬぼれたり、卒業文集の中に何かヒントでも落ちてるような気がしたのかもしれません。
わりと鷹揚な私の高校では、下級生にも卒業文集を配ります。ですから、私は3冊の卒業文集を持っています。とてもありがたいことです。今でもこのシステムが続いていたらいいのだけれど、世知辛い世の中だから、そんなお金のかかることはもうなくなっているかもしれません。どうなのかなあ。
文集の冒頭に、大阪の北のターミナル・梅田から京都まで、大晦日から元旦にかけて歩き続けた先輩たちの歩行の記録が書いてありました。
大阪から京都まで四十数キロあるということですが、これを一晩のうちに走破したということでした(途中で挫折したということだったかな?)。気の合った仲間と、ワイワイ言いながら「夜のピクニック」をしたそうで、とてもうらやましいことのように感じました。冒頭からこんなトボケた話です。そういうのが延々と続いていきます。それはもう壮観な文集でした。
他には駅のトイレに駆け込んだものの、間に合わなかった話などの失笑系やら、恋愛の話、先生に関する話など、恋愛・失敗談・話のリレー形式のモノ・回想譚など、いろんなお話が掲載されていました。どの話も、先輩たちが苦しみもがいた高校時代のことが書かれていて、とてもありがたい記録になっていました。
さて、京都への歩行旅、これは3年生だけの特権だったのでしょう。彼らは普段は受験勉強に明け暮れていて、余裕を見せつつ余裕は無かった。でも、大晦日から元旦にかけて、ほんの1日だけ、すべてを忘れて仲間と一晩を過ごしたようです。下級生がそういうことをしたとしても、ただのお遊びだし、ただの初詣でしかありません。余裕のない日々の中から1日だけ絞り出して、大いなるムダをする。それがイキだったような気がします。
下級生は、とにかくあと1、2年したら、そういうことができるのだと胸に秘めることになりました。そして、私も高校3年生に1度だけ京都へ大晦日から元旦にかけて歩きに行きました。