甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

キクイモ、秋空、池内先生

2019年09月21日 08時10分04秒 | 草にうずもれて

 この夏、山形県の酒田市に行きました。そちらに友人がいたので、二日間相手をしてもらって、現地を観光させてもらいました。

 酒田市では、お殿様よりもえらい本間様という商家の豪邸その他を見たり、土門拳さんの美術館を見たり、残念ながら鳥海山は見られなかったけれど、現地ならではの体験をさせてもらいました。

 そうしたゆかりの人々の中で、北前船・航路を生み出した河村瑞賢さんも取り上げられていました。ゆかりのある人には違いないのです。でも、瑞賢さんは江戸の人みたいな扱いに何だか違うなと思ったのです。

 河村瑞賢さんは、三重県の南部の熊野灘に面した入江の町に生まれた人でした。なのに、それは友人も知らなかったみたいでした。そうか、生まれたところよりも、その人が何をしたかが大切だったのです。瑞賢さんは、酒田と上方・江戸を船でつないだということが大事ですもんね。

 そりゃそうだ。でも、生まれた土地の空気はその人について回るのではないか、と私なんかは思いたい方なのです。何しろ私はカゴシマ生まれで、大阪育ち、ヤマナシに住んだりしたけれど、今は三重県にいるという、フラフラ生きている人間だから、まるで記憶はないけれど、自分のスタートとしてのカゴシマを大事にしたい人間だからでしょうか。


 私が尊敬しつつも、なかなかしっかり読み込んでいない柳田国男先生は兵庫県の播州地方に生まれた方でした。関西地方の雰囲気を抱えながらも、東京での生活が長く、あまり関西っぽい匂いはさせないで、淡々と研究をされた方でした。

 とはいうものの、『故郷七十年』とかいう本を出されています。やはり、全国各地を歩いていても、こだわりたくなるのは故郷であったのです。残念ながら、文庫本は出てないから、私はまだ読んでいません。……ああ、私ってホントに不勉強です。

 兵庫県は、関西地方なのに、大阪臭さがありません。何だかドライだし、おしゃれだし、山陽的な雰囲気もあります。

 山陽的って何だろう。ヒロシマ的ということかな。ヒロシマ的とは、北側に山を抱えて生活している。山はわりと乾燥していて、岩がゴツゴツ見えているような感じです。雨はそんなに降らなくて、人々は「……じゃけぇ(だから)」と言いつつ、自分たちの目的を確実にこなしていく。贅沢はしない。質実剛健ではあるけれど、それを表に立てることはせず、表面的にはおしゃれも気取ってたりする。

 あまりうまく説明できていないけど、大阪的な「がさつさ」がないのです。うらやましいのではなく、山陽的な世界に入ると、関西でくくられているけれど、多少の違和感を感じるのです。

 だから、関西である姫路にいたとしたら、もうそこは大阪的というよりは、山陽的な気分なのです。神戸でもそうかもしれない。まあ、神戸の人たちは、大阪と自分たちは違うとキッパリ思っているかな。京都の人もそうですけど……。

 柳田国男(やなぎたくにお)先生は、そうした播州の香りを放つ人だったのです。

 私の好きな旅人兼エッセイストで、池内 紀先生という方がおられました。先生も播州の方だったのではないかな。そちらから東京に出て、大学でお勤めをしながらあちらこちらを旅をされて、エッセイをいくつか出しておられました。

 うちには、図書館の除籍図書で三冊もらってきたのと、一冊は古書市で買ったのと四冊くらいはあると思います。

 おもしろいのに、途中で投げ出していて、最後まで読んでいません。本当に申し訳ない感じです。

 先生の文章は、現地ならではのもので、行ったこともない土地が本を読ませてもらうと、少しだけ親しみがわきます。先生の体験を少しだけ自分のものと感じることができます。

 そういう旅した各地を文章にして、今も私のところにも届けてくださっている。

 そうなのです。人が旅することは、どこまでも行けるけれど、どこにでも行けるわけではないのです。どんなに毎日旅をしたとしても、行けないところはたくさんあるはずです。

 また、いくら豪華に旅しても、貧乏旅行でも、見えるものと見えないものはそれなりに残ってきます。旅は、いろんなものを見ることはできるけれど、たくさんの事柄を見落とし、やり残すことでもあるでしょう。

 だから、とりあえず自分の旅を何かの形で記録し、それを誰かに伝え、気分を伝えなくてはならない。そうすれば、誰かが旅するとき、新たな世界を開ける可能性ができるわけだし、自分の旅が別の形にも変化してくれることでしょう。

 旅したら、その体験を誰かに伝えなくては意味がない。ブラックホールの淵まで行けたとしても、月の裏側を財産をなげうって旅行したとしても、それだけでは意味がないのです。こんなだったよと、どんな形であれ、伝えなくては!

 芭蕉さんも、柳田国男先生も、池内紀先生も、みんなそうされてきました。

 河村瑞賢さんもどこかに何か書いたり、伝えたりしてたんでしょう。輝かしい北前船の航路そのものが瑞賢さんの残したものだったのかな。

 池内先生はお亡くなりになりました。ラジオでお声を聞いたりすることもありましたし、今でもラジオに出演されてても、ああ、いつもの先生だと思うかもしれないけど、ライブで出演されることはありません。

 そうです。せいぜい私もつまらない文章書いて、へたくそなマンガを描いて、わけのわからん写真を撮りましょう。それが私の望むところなんだから。

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