トラックだったのか、土砂を運搬するダンプだったのか、そこははっきり見ていません。とにかく、上に掲げられた文句に感心しました。
三つ四字熟語があったはずなんですけど、あとの二つは憶えていません。というか、そんなに対向車ばかりも見ていられないのです。ほんの一瞬だから、一番近い方の四文字を目に焼き付けました。
「悪木盗泉」とは、辞書によると、「あくぼくとうせん」と読みます。その意味は、
たとえ困窮しても、わずかな悪事にも身を近づけないたとえ。悪事に染まるのを戒める語。
ということになっています。ということは、このトラックの運転手さんは、悪事には近づかないよと高らかに宣言していることになるんですか。
でも、世の中って、「私はウソを言いません」とか、「私は常に真実です」とか、そう言うヤツほど信じられない、というのが私たちが長年生きてきて身につけてきた知恵ではありました。
カムフラージというのか、わざと正義ぶっているのか、ただのヤンキーなのか、そんなのを掲げること自体が怪しい行為ではあります。
でも、素直な気持ちで辞書で調べて、それをわざわざお金をかけてライトにして、前面に押し出しているのだから、意外とピュアーな人なのかもしれません。どっちなんだろうな。
孔子さんが「盗泉」というところを通りました。のどが渇いていた。道端に泉があった。普通なら飲むのが自然です。でも、孔子さんは、「盗泉」というところの「盗」が気に入らないし、やせ我慢で飲まずに行き過ぎたのだ、それくらい君子というものは、名前も、プライドも、やせ我慢も、かっこつけもするものなのだ、という風に語られていきます。
それと同じように「悪木」というのであれば、その木陰にも入らないのだと、どこまでもやせ我慢を通したそうです。
とはいうものの、『論語』とかに載っている話ではなくて、陸機(りくき)という人の「猛虎行(もうここう)」という詩に語られているそうです。
それだけ孔子さんというのは、名前やことばを大事にされた方で、水を飲むとき、木陰に休むとき、どんな時でも誰かに責められることはないか、非難されないように生きていきたい。常に正直に生きていきたい、という風にされたのだという主張でしょうか。
孔子さんというキャラを使って、何かお説教をしようとしている雰囲気です。まさか、孔子さんがそんなところに出くわしたなんて、作りすぎという気がします。どこかの本に出てるんだろうか。たぶん、ないと思うんですけど。
あとの二つはオマケというか、私が勝手に作りました。次にどこかで出くわしたら、その後の文句もチェックしますけど、「瓜田李下(かでんりか)」は、ネットの辞書に出ていました。
「瓜田に履(くつ)を納(い)れず」とは、瓜の畑に足を踏み入れたら、それはもう瓜を盗みに来た者として疑われるから、そういうところには近づかない、という教えでしたね。
「李下(りか)に冠(かんむり)を正さず」は、スミモの木の下で、頭に着けてる冠に手を触れない、それだけでスモモドロボーと疑われるから、という意味でした。
どっちにしろ、店先で怪しい動きをしたら、すぐに疑われるのは世の常です。私は、どちらかというと、それがずっと怖かったです。もう何十年も怖いし、今も、どこかで誰かに疑われるのではないかと戦々恐々です。
私って、疑り深い人間なのかもしれません。だから、いつも誰かに落とし穴に入れられるのが怖くてビクビクしているところがあります。
そう、世の中を渡るには、私はウソはつきませんと、いつも大きな声で言わないとダメなんだな。別のことばでもいいと思うな。「コンニチハ!」とか、「お元気ですか!」とか、「スギ花粉大変ですね」とか、いつもうるさくしてたらいいのかな。
なあんだ、トラックの運転手さんと同じでしたね。そうか、また、どこかで出会えるといいな。私もマネしてギャーギャー騒いでますよ、あなたの標語おもしろいね、と声かけてあげたいな。