近ごろ、やたら昔のことを書いているなあと思ったら、高校の同級生のみなさんにメールしたり、手紙書いたり、やたら懐古的になっていたから、当たり前のことでした。
いや、もともとブログを始めたのも、父の日記を打ち込もうと思って始めたんでしたね。ブログそのものが懐古的なところからスタートしていた。
その肝心の父の日記第一号のうすいノート、最初の方を打ち込んだだけで、私の部屋の混乱の中に埋もれてしまって、どこかへ消えてしまった。ずっと探しているんですけど、見つかりません。
まさか、捨ててしまったと、いうことはないのだろうけど、うちのお父さんも、「アイツは、そんないい加減なところがあったなあ」と半分諦め、半分どこかで期待して待っていることでしょう。お父さん、本当に申し訳ありません。また、探します!
いつになったら、私のまわりはキレイになるかって?
ひと箱古本市とか、フリマとか、そんなとこに家にある紙ごみを出品しようとビニール袋の保存を始めたり、お菓子の包装紙をスキャンしよう考え、ためこむうちに膨らんで、ゴチャゴチャになっている。
いっそのこと、全部捨てたら、サッパリするんだけど、捨てるものを選んでいるうちにまた一日が終わるだろうし、結局片付かないままです。いつか、キレイさっぱりにしようと思うんだけど。それはいつのことなのかなあ。
それで、私にしてはたくさんの人にメールとかしてみたんですけど、もちろん、みんな私なんかを相手にするヒマなんかなくて、簡単な返事があったり、無視することがあつたり、たいていはスルーされている気がする。
私だって、たぶん、そうしていたでしょう。
でも、今回はたまたま、あなたが連絡係なのだと指名されて、それならと少し頑張ってみたところでした。でも、帰ってくる返事はポツンポツンです。そんなに簡単なものではないです。
でも、このポツンポツンを見ていて、あれ、この落胆感どこかで見たことあるぞ、と気がついて、それは古いフランス映画だったのだと今朝くらいに気づきました。
たぶん、もう四十年くらい前にどこかの名画座で見たものでした。「舞踏会の手帖」(1937)という映画でした。若くして未亡人になった主人公が、十代後半のころに社交界にデビューして、その時にどんな人たちと踊り、男たちはどんな人だったか、まめにメモしていて、そのメモをたよりに、一人ひとり訪ねていく、人をめぐっていく形の映画でした。
主人公の自らの青春へのセンチメンタル・ジャーニーみたいなものでした。もちろん、現実は厳しくて、みんな味もそっけもない男どもに変わっていて、人生の無常みたいなを味わわせてくれる作品だったような気がします。
フランス映画って、こんな人生の光と影みたいなのを取り上げていくもんなんだなと、当時も思ったはずです。そして、過去の知り合いを一人ひとり訪ねても、当然その人たちは過去のままではありえないし、みんな今を生きているわけです。
今を生きるということは、その場で、怒るし、泣くし、生活しているし、家族はいるし、昔の知り合いなんて相手にしてられないし、忙しいのです。時には昔の輝きみたいなのをチラッと見せてくれる人もいたのかもしれないけど、たいていはみんな「今を生きて」いて、「過去なんて生きて」いないのです。そんなの当たり前だ!
監督は、ジュリアン・デュヴィヴィエという人で、わりとたくさんの作品があるみたいでした。たぶん、劇場で他の作品も見たのだと思われます。でも、そっちは忘れてしまった。
自分の今の状態が、「舞踏会の手帖」となんか似ていると思ったんでした。過去をめぐっているんだと気づいたんでした。
それで、監督さんのことを見てみたら、「そうかこの人は、『巴里の空の下セーヌは流れる』(1951)の監督もしてたのかと、改めて確認することができました。
「巴里の空の下……」は、タイトル曲が有名で、映画はたぶん、NHKの教育テレビの名画ワクでやってたのを見たはずでした。これも何十年も昔に見ました。
内容は何も憶えていないけど、パリの町では、ストリートアコーディオン奏者がゴロゴロいて、それぞれ勝手に弾きまくり、気分の乗った人々は、それに合わせて歌をうたったりするものなんだ、という偏見を私に植え付けました。
もう、パリは、どこにでもそんなのがある、みたいな気分でした。でも、これも間違った刷り込みで、現実のパリは、それどころではなくて、もっと無表情に人々は行きかっているのかもしれません。
それなのに、60年代ドラマで育った私は、人々のぬくもりがそれぞれを支え合っているみたいな空間が今も現実に存在している、という幻想を抱いていて、どこかにそういう社会はないのかと思ってしまうのですけど、なかなかムズカシイことでしょう。
たぶん、都会でそれを求めることは無理なのかな。だったら、田舎にそういう私の理想世界を作るしかないのかもしれない。
三重県にシャンソンが流れ、みんなが歌いだしてしまう、アコーディオン携えてるおじさんがフラフラしている街角って、作れるだろうか。無理かもしれないな。三重県にアコーディオンは似合わないかも。三重県って、音楽があふれてないです。もっと何気ない、みんなそれぞれの音楽が、街のあちらこちらにあったらいいんだけどな。
幻想ばかり食べてるわけにはいかないか……。
でも、どこかにセーヌは流れてる、なんて歌いだしたくなること、ないかな。
私は、この頃やたら、コーラスしたい気分なんだけど、家でも歌ってないし、無理ですか……。いや、希望を捨てずにやりたいな。私にアコーディオンは絶対に無理ですけど、私は「いちにーのー」と声をかけるくらいしかできないんですけど、それでも、街に歌声みたいなの、あふれさせたいなあ。
ひとりで歌ってたら、変なオヤジになってしまう。だから、集団で変なオヤジたちになりたいんだけど、どこかに集団を探すしかないかな。奥さんがそういうのあるって、言ってたっけ……。