堤を歩いて行けば、いつかは故郷にたどり着きます。当然、そこには誰かがいて、少しずつ地元の人々とふれあうことになります。
〇一軒の茶見世(ちゃみせ)の柳老(おい)にけり
一軒の茶店のそばにあった柳の木は、知らない間に大きくなっていました。
これはもう俳句ではないですね。日記でもなくて、漢詩と五七五を組み合わせて、何かを物語ろうとしている。
堤防にある茶店は、一軒だけです。その印象的な、思い出深い茶店、そこにポツンと柳の木はあった。それが、知らない間に老木になっていた。柳の木に歳月を感じるなんて、よほど大きくなっていたか、みすぼらしくなってたか、どちらかなんでしょう。
若々しい、やさしい木陰を作ってくれる柳の木に感じる歳月。
そういえば、うちの奥さんの実家にも柳の木があって、優雅にそれをバックに写真を撮ってた彼女のおうちの夏、あの柳の木だって、もう今はありません。何だか、柳の木の老木、ちゃんとしたものを見たことがありません。
〇茶店の老婆子(ろうばし)儂(われ)を見て慇懃(いんぎん)に
無恙(むよう)を賀(が)し且(かつ)儂(わ)が春衣(しゅんい)を美(ほ)ム
無恙(むよう)を賀(が)し且(かつ)儂(わ)が春衣(しゅんい)を美(ほ)ム
茶店のおばあさんは、私を見て、とても丁寧に私の無事を喜んでくれました。彼女はちゃんと私のことを憶えていてくれました。そして、私の春着をほめてくれました。
「私」とは、蕪村さんじゃなくて、うら若き女性という設定でした。どんな服を着てたんだろう。おばあさんに「あら、その服いいねえ」なんてほめられる着物、あるんだろうな。
「無恙(むよう)」って、「恙(つつが)ない」ということでした。いつも、この字を見ると、ドキッとはするんですけど、私たちのまわりには恐ろしい虫がいて、ツツガムシに刺されて高熱で亡くなってしまうということ、昔はあったでしょうし、今もこんなに医療技術は進んだし、ツツガムシの潜む草むらも減ったと思うけれど、「そんなことで!」ということで命を落とすことって、あるんだろうな。
ツツガムシの難から逃れることは、昔の人にとってはとても大事なことでした。
あの聖徳太子さんでさえ、中国の皇帝様に手紙を出すときに、この「つつがなきゃ」を使ったんだから、万国共通だったんだろうか。それとも、日本限定の意味不明の言葉だったんだろうか。……とにかく、「恙ない」って、久しぶりに見ました。
〇店中有二客 能解江南語
店中(てんちゅう)二客(にきゃく)有り 能(よ)く江南の語を解す
酒錢擲三緡 迎我讓榻去
酒錢(しゅせん)三緡(さんびん)を擲(なげうち)ち
我を迎え榻(とう)を譲(ゆず)りて去る
お店の中には二人の客がいて、「江南と」いうと、中国では揚子江の南という感じですけど、ここでは、そうではなくて、大坂ことばをしゃべっているみたいでした。「私」も関西で「お勤め」していますから、そういったことばの違いはちゃんと理解できたんです。
先客の二人は、酒代に三百文を支払ったようで、そのあと私に座るところを空けてくださいました。
おばあさんと出会い、柳を見上げ、大坂ことばをしゃべる人たちにも出会った。特に珍しい風景ではないです。その風景が漢詩になっているのがおもしろいのかな、という気もするけど、大きな風景の中のワンシーンというところかな。
(横山大観の「生々流転」からのパクリですけど、茶店のシーンは見つけられませんでした。雪舟さんの「山水長巻」にはあったかな?)
〇古驛(こえき)三兩家(さんりょうけ)猫兒(びょうじ)妻を呼(よぶ)
妻(つま)來(きた)らず
私の在所にたどり着いて、あたりを見回しますと、二、三軒の家があります。オスネコはメスネコを呼んで、あちらこちらわめいているようです。もう猫が恋する季節なのです。でも、メスネコは来ないようでした。
これは、のどかな春というべきなのかな。どちらかというと、淋しいというのか、満たされないというのか、願う人に会えないというのか、何だかモヤモヤする風景なんだけど、これから先に、どんな物語が展開するのか、故郷でドラマはありますか?
いや、故郷って、そんなにドラマチックなことは起こらないかもしれない。故郷にも淡々とした時間の流れがあって、そこにたまたま戻ってきた私は、当然そこには乗れなくて、少しだけ疎外感を感じて帰るだけなんじゃないのかな。
さて、次回はどうなることやら……。