甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

鳥たちのなきがらをやり過ごして

2015年08月21日 17時01分02秒 | ザンネン日記・身辺雑記
 今朝、通勤途中で道の真ん中に風に吹き飛ばされそうな生き物が転がっているのが見えました。風にひらめく黒いつばさは、どうやらツバメのようでした。車線の真ん中にあるので踏みつぶさないで通過できましたが、ツバメのなきがらにドキッとしました。ツバメさんが死んじゃうなんて!

 ツバメだって、いつかは死んでしまうものだったのですね。何やら永遠に生命をつないでいくような、不滅のいのちがあるように思っていましたが、そうではありませんでした。当たり前ではありますが、気づいていなかった。ツバメだって、日本で死んでしまうものもいれば、南の国で死んでしまうものもいるのでしょう。それは人間たちも同じで、死んでしまう季節があるというわけではないのです。いつどこでどうなるのかわからないのがいのちでしたね。

 虫たちや魚たちはいのちが短いものがいて、あんなに元気に騒いでいたのに、時間が来たらパタリといなくなってしまうものがいます。それは私も理解していて、とにもかくにも虫や魚は、そのように生きているのでしょう。でも、たとえばウナギなどは、数年で成魚となり、ある程度の時間を必要とする生き物でした。大きくなると、どんどん大きくなれるはずで、ナマズにだって負けないかも知れない。ニュースで養鰻業者の人たちが数十匹の大人のウナギたちを放流しているのを最近見たのですが、何年もかかってやっとふたたび戻ってくる魚だっています。

 要は、生き物それぞれのいのちがあるということなのかもしれません。それを頭では理解しているつもりでも、いざ目の前に生き物のなきがらがあれば、人間というものはその度にエキセントリックになるものらしい。近年の私は特にその感度が高い気がします。ものすごく敏感に反応してしまうのです。

 ツバメは日本という国の、三重県の山ぎわを走る路上でコロリと死んでしまった。そのツバメにしては仕方がなかった。けれども、何も道の上で死ななくてもいいのではないか、とツバメに対して嘆いていると、しばらくしたら今度は道ばたにハトのなきがらを見つけてしまいました。こちらは昨日の夕方か夜くらいに死んでしまった感じのグッタリ感があります。ハトさんも昨夜何か事情があって死んでしまったらしい。



 ああ、鳥たちはわざわざ道の上を選んだわけではないだろうけれど、お盆も過ぎて、東海大相模高校が四十五年ぶりに優勝した日の前後に死んでしまった。彼らも懸命に生きてきたのでしょう。この暑い夏をあれこれしながら生きてきた。けれども、そのいのちが切れてしまった。ぜひ冥福を祈りたいと思います。

 そう言えば、昨日は帰宅途中でカラスが死んでいるのも見かけました。その現場を朝通る時に何匹かのカラスが道路に降りていて、エサを探すではなく、ソワソワした様子でいたところでした。そうだったのか、そんな事情があって、カラスたちはここに集まっていたのかもしれないと、帰りのクルマの中で思ったのでした。

 そんなことがあっての今朝のツバメの死です。仕方のないことだけれど、それをいたずらに嘆くのではなく、そのようになるのはみんな同じなのだから、どの生き物も自らの死の瞬間まで精いっぱい生きていかなくてはならないし、そうした生を謳歌することが私たち生き物の使命なのではないかと改めて思います。



 さて、私は今、精一杯生きているでしょうか?

 腰痛体操を昨日はしてみました。いっぺんには改善されないので、また今夜もやりましょう!

 お酒は少しだけ控えました。これもすぐにタガが外れるので、飲み過ぎに注意していきたいです。

 ブログは毎日更新しています。これは自分なりに努力しているかもしれません。

 お仕事は? これがボチボチでんなあ、です。お仕事頑張らないといけないですね。

 山のふもとに通勤しているので、山の方では赤とんぼが町に繰り出そうと思って、ブンブン飛び回っています。他の虫たちはちゃんとクルマみたいなものを避けて飛んでくれたりするのに、赤とんぼだけは怖いもの無しのムチャクチャ飛びです。フロントガラスにぶつかったり、車輪の方へ巻き込まれに行きそうなくらい低く飛んだり、私はそのたびにハラハラです。

 もっと蝶みたいに、優雅でしなやかに飛んでくれたらいいんですけど、それは無理みたいです。


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