320 山脈のまひるのすだまほのじろきおびえを送る六月の汽車
「すだま」とは山林・木石の精気。「おびえ」って、恐怖という意味でしょうか。
賢治さんが冷たい夏にオロオロしたのはもう少し後のことだと思います。山にいる精気たちが現れて、何かあぶなっかしい空気をもたらすので、それを突っ切っていく六月の汽車というところでしょうか。
これは少し研究しないといけないですね。
上野
349 東京よこれは九月の青苹果(あおりんご)かなしと見つつ汽車に乗り入る
誇らしげな歌です。東京の人たちはホントのりんごのおいしさを知らない。だから、東京の人たちが手を出さない9月に、おいしさのつまったりんごを食べさせてあげたいと思っている。
ああ、それがわからない人たちよ、もうホントに度し難いものだ。もう若い賢治さんはどうにもできなくて、仕方ないからふたたび岩手に帰る汽車に乗るというところかな。
若いとき、詩人や小説家としてやっていきたくて東京に出て行ったのかも知れない。けれども東京では全く相手にされなくて、情けないやら、やるせないやら、たくさんの思いを抱えて帰郷した。そんな歌だったのかな。賢治さんは青リンゴだったんですね。
福島
362 しのぶやまはなれて行ける汽鑵車(きかんしゃ)のゆげのうちにてうちゆらぐなり
今年の春、人生で2回目の東北本線でずっと盛岡から東京駅まで走り続けてきました。長くてどこまでも続く道でした。何度も乗り継ぎをしました。ここを一つの列車が走っていたということを久々に体験したくて、18きっぷの旅をしましたが、宮城も、福島も、なかなか通り抜けるのが大変でした。
左右に流れていく山々をずっと目標にして車窓をながめ、そこにたどりついたら新しい町が生まれて、高速道路で突っ走るのとはまた違う感じでした。なかなかまたふたたびやってみようという気は起こらないかも知れない。
その一瞬、福島での停車中、賢治さんは機関車の湯気がゆらめくのを見つけた。そして、歌に閉じ込めました。しのぶやまという名前が旅情をかきたてます。ああ、そんな福島市でもブラブラしてみたいなあ。
421 シベリアの汽車に乗りたるここちにて晴れたる朝の教室に疾(と)む
日常の風景をこんなふうにショーアップさせながら生きて行けたら、それは毎日が楽しいですね。そうでした。賢治さんはそれはわりと得意でした。
近所の川がイギリスの荒涼とした海岸になったり、近所の鉄道が銀河を渡る車両に見えたりするんですから、どこからでも不思議な世界がパックリと切り開かれてしまうのです。
汽車に乗らなくてもいいのです。あれ、今朝はシベリア鉄道に乗って学校に来た気分だ。さて、それではいつものように教室に走っていこう。これは学生としての立場で書いた作品かな。先生にはなってなかったでしょうね。
どっちにしても、賢治さんは、ポイッと世界を作れる人だったんですね。
424 流れ入る雪の明りに溶くるなり夜汽車をこめし苹果(りんご)の蒸気
425 つつましき白めりやすの手袋と夜汽車をこむる苹果(りんご)の蒸気と
りんごの短歌が二つ。「夜汽車に」ではなくて「夜汽車を」になっています。そして「りんご」から「蒸気」? なかなか情景が浮かんでこない作品です。
後ろの方がまだイメージできるんですが、とにかく夜汽車は冷たい冬の夜の中にあります。雪が降り続いていたり、手袋をしても寒かったりしている。
そんな汽車の中で、りんごをかじったのか、切ったのか、香ばしい匂いが立ちこめて、少しだけ安らぐことができた、そういう感じなのかな。
全く違う情景なんだろうか。
491 汽車に入りてやすらふ脳のまのあたり白く泡だつまひるのながれ
これも冬の車内なんだろうか。ものすごく寒い外気にさらされていた。ようやくやってきた汽車に乗り込むと、ホッとするあたたかさがあって、それは暖房だったのか、人いきれだったのか、とにかく安らいで、とろけてしまう私でしたという告白の歌、というのじゃないのかな。
冬の汽車・電車は、今も私たちを溶かす力を持っています。とはいうものの、そういう力を共有できるお客さんが必要です。誰もいない車両に乗り込んでも、どこにも安らぐ場所はないかもしれない。
621 さだめなくわれに燃えたる火の音をじっと聞きつつ停車場にあり
停車場は、何か目的があって来ています。だれかが来るのか、自分が行くのか、それとも汽車の音が聞きたいのか、まさかそんな趣味はないだろうから、汽車が来ないことには始まらない。
電車は、淡々とやってきて、淡々と出て行きます。でも、汽車はわりと雄弁で、しかもビジュアルもそうだけど、あちらこちらが動いている。全体が燃えているんだから、火の力も感じられることでしょう。
炎は見えないけれど、音はあたりに響いています。それが賢治さんの心を動かしていきます。「そうだ、何かしなきゃ」とか、「そうだ。炎の力を歌にしよう」とか、あれこれ考えたことでしょう。
あまり具体的な描写はありません。むしろ観念的な汽車である方が多い。走ったり、客車を引っ張ったりするようなことには目がいかなくて、そこに動く大きなモノが存在して、自分に何ごとか働きかけてくる。それを受け止めて歌を作ってみた。そういうところかな。