彼女に無断で、勝手に自分のブログに貼り付けてみます。しかも、まだ途中であり、貼り絵作家としての彼女の制作過程がわかってしまって、あまりよくないから、完成した作品は彼女がどこかに載せるかもしれないから、とりあえず途中ですけど、だいたいは想像していただけるでしょうか。鉄道はどこを走るんでしょうね。
宮沢賢治さんの代表作『銀河鉄道の夜』は、私は長い間読んだことがありませんでした。古い新潮文庫は持っていました(ちゃんと自分で本屋さんで買ったと思いますが、すぐに挫折して放置していた)。けれども、なかなか読めなかったのです。
最近になって、いくつかのバージョンが出されるようになって、とりあえず活字の大きい版で読ませてもらいました。
友人は川の事故で亡くなっていた。その友人と銀河鉄道の中で出会うんですけど、おしゃべりしたんだったかなあ。気持ちを交わせなかったんじゃないかな。大事な友を電車の中で見た。他にもいくつか気になるキャラがあったと思うんですけど、みんな忘れてしまった。ただ、厳かな世界が描かれているし、こんなにして天空を私たちの魂は飛んでいくものか。いや、自力で飛行するというよりも、何かに載せられて静かに移動していくものなのか、そんな印象は持つことができました。
あまり明るい話ではない気がしました。でも、読み継がれているのは、みんながこのお話を心に止めていきたいし、何かここに込められているメッセージ、それはすぐにはわからないけど、いつかわかる時が来るから、今は、賢治さんが作ってくれた世界の表面を眺めているだけなんだけど、いつかつかめそうな気がするから、また、読みたくなったときに落ち着いて読みたいからと、読みつないできた作品になったんでしょう。
なんと、賢治さんの妹さんが亡くなり、その幻影を求めて北海道・樺太を旅して、そこから家に戻り、書き上げた作品になっている。ということは、妹さんの姿もどこかに見えるのかもしれない。そういう自分に対する希望を込めて、私は『銀河鉄道の夜』を記憶にとどめていて、何冊か持っています。
ということは、奥さんがやっている図書館ボランティアで、子どもたちが読んで面白いかどうか、それはかなり難しいのではないかと思うのです。
誰かが、今の言葉で、もう少し単純化して、視覚化して物語を見せてくれたらいいかもしれないけど、これもいろんな人がチャレンジしているみたいで、それでもうまくいっているのかどうか。
難しい作品なんですね。それを奥さんは視覚化しようとしている。子どもたちは、ああ、星空の中を鉄道が走っているというのはわかるだろうけど、それはどうしてなのか、先生に質問しても、先生は答えてくれないだろうし、そもそも宮沢賢治が小学生向きなのかどうか、難しい問題です。
夜、鉄道は走り抜けていきます。あの車両の中にはどんな人が乗っているのか、外で見ている私たちにはわかりません。そこにはその空間のドラマが進んでいる。同じ時間にそこにいたとしても、全く違う物語があるなんて、まあ、それはどこでも同じですね。私たちは当事者にはなれなくて、気になるんだったら、その人たちを思いやるしかできないんです。
あとどれくらい『銀河鉄道の夜』に向き合うことができるでしょう。それはとても幸福な時でしたね。その幸福な時間に、空を移動している人たちのことを考えること、それはまたとても大切なことではありますね。
今も同じです。この私たちがあれこれつぶやいている時、どれくらい空を移動する人がいるのか、どれくらいそれを思いやることができるのか。
ほらね、子ども向けではないけど、子どもだって、その気があれば簡単にわかる世界でもあったんです。知らなかったけれど、鉄道には大西洋で船の事故に遭った人たちも出てきたそうです。全く知りませんでした。その人たちに出会うために、もう一度読んでみたいですね。