甘い生活 since2013

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『桜の園』とは? ロシア人と日本人と

2014年07月08日 22時47分30秒 | 本と文学と人と

 A・チェーホフの『桜の園』は、没落貴族のお話です。女地主のラネーフスカヤさんは夫に先立たれたか何かで、フリーだった時に、新しい恋人を見つけて、その人と連れ立ってパリで生活をしていました。娘さんも適齢期のはずだから、ラネーフスカさんは四十代の女性のはずです。まあ、恋に年齢制限はないのだから、パリへ行こうが、ロンドンだろうが、どこでもいいのですが、どういうわけかロシアの貴族の皆さんはパリがお好きでした。

 同じロシアの作家のトルストイさんの長編小説『戦争と平和』にも、ペテルスブルグの上流階級の人々が乱痴気騒ぎをする場面が出てきます。そこで主人公のピエールさんは、ムチャをすることこそ自分の生きがいという感じで、お酒を飲み、バカ騒ぎをします。でも、そこはロシアっぽくって、どんなにだらしなくても、女性との関係だけは、妙にプラトニックで、ただれた関係でないのがいいところです。いや、むしろ女性との恋愛なんか興味がないようにふるまうところが貴族的だったりするのかもしれません。ハイソサィエティの人々は、女の問題でデレデレしないのです。もっと自分と向き合うためだけが自堕落なのです。

 「今はこんなムチャをしてるけど、自分とは何なのかを知るための行為であり、女性に興味なんか持ってられないよ!」という感じなのです。

 ペテルスブルグ(現在のサンクトペテルブルグ、昔のレニングラード!)はロシアの西の端とはいえ、そこはロシアなのです。なのに、お偉方はフランス語をしゃべってたりします。その辺がロシアの人のあこがれなんでしょうね。地元にいたくなくて、お金があれば(『桜の園』の女主人のようにお金がなくても!)、フランスのパリに行くのです。どうしてそうなったのか、たぶん、王様のフランス好きが高じて、そのまわりの者たちもパリ好きになったのでしょうか。

 と、ロシア人のパリ好きがいまいち理解できませんが、百数十年前の日本もヨーロッパ好きでした。だから、日本人にロシア人を笑う権利はありません。世界の中の田舎者であるのは同じです。でも、最近の日本人は自分たちの文化に少しだけ自信を持ち始めています。すぐれた文化を持っていたとしても、それだけですべてOKというのではなさそうです。田舎者かそうでないかは、日々の研鑽が大事です。昔の日本とロシアは、自分たちの文化には興味がなくて、心はヨーロッパでした。それは田舎者と呼ばれても仕方ないですね。

 現在の日本は世界の中の田舎者でしょうか。政治に関しては相変わらず田舎者かもしれません。サッカーはまだまだ未成熟ですし、1回の結果ですべてがダメみたいになってしまうように騒ぐのもダメですね。もっと結果に淡々としていなくてはいけません。こうなることもあり得る、それがサッカーなのだと思います。

 選手たちのコンディションが悪く、頑張りたい気持ちはあったと思うのですが、結果が出せなかった。まあ、南米はあまりに遠いのです。もう少し簡単に、せめて1日で行けたら、しょっちゅう南米で試合とかして、現地での経験値も上がったと思われます。とにかく、世界最強のスペインやサッカーの母国・イングランドだって一次リーグ敗退です。それをバタバタ騒いでいる私たちがまだまだですね。

 でも、野球は少しだけ進んでいます。WBCでメダルが取れなくても、「まあ、そういうこともあるよ」と少し冷静なところがあります。これは野球はピッチャー次第というのを知っていて、いいピッチャーを上手に使えたら、ある程度計算ができるのです。それができない時は、運まかせになって、それで負けたら仕方ないかとあきらめることができたりします。逆に、すごくいいスタッフなのに、勝てなかったら、当然文句も出てくるはずです。

 『桜の園』の時代の日本は、ヨーロッパにあこがれてはいました。でも、そのあこがれは拡散していて、ある人はロンドンに向かい、ある人はベルリンに向かい、ある人はパリに行きました。当時の日本人は欲張りだったので、あらゆるヨーロッパを取り込もうとしました。ロシアの人は、あまり欲張りではない感じがします。パリ一辺倒です。



 さて、『桜の園』です。女主人は、パリから五年ぶりに帰り、借金などの清算をしなくてはならなくなっています。そのためには、所有する土地の中で一番素敵な桜の園も売り払わなくてはいけません。惜しい気持ちもするけれど、すべてにけりをつけて、新しい生活を送ろうと決心した女主人は、娘たち(実の娘・アーニャと養女・ワーリャ)の将来も気にはなるけれど、すべてを知人の商人に依頼します。すると、農奴から立身出世したその知人が、桜の園を買い取ることになり、思い出の桜の園は更地になり、別荘地に変わることになります。そりゃ、土地を遊ばせておくよりは、より高く売れるようにするのが現代的です。というわけで、女主人たちは桜の園のあるふるさとを去って行きます。

 作品の中盤辺りで、大学生のトロフィーモフが語ります。ロシアとは、どんな土地なのか、自分たちはどこへ向かおうとしているのか、それを一生懸命に語るのでした。

 トロフィーモフ:ロシアじゅうが、われわれの庭なんです。大地は宏大で美しい。すばらしい場所なんか、どっさりありますよ。(間)ね、思ってもご覧なさい。アーニャ、あなたのお祖父さんも、ひいお祖父さんも、もっと前の先祖も、みんな農奴制度の讃美者で、生きた魂を奴隷にしてしぼり上げていたんです。

 で、どうです、この庭の桜の一つ一つから、その葉の一枚一枚から、その幹の一本一本から、人間の眼があなたを見ていはしませんか、その声があなたには聞こえませんか? ……生きた魂を、わが物顔にこき使っているうちに――それがあなたがたを皆、昔生きていた人も、現在生きている人も、すっかり堕落させてしまって、あなたのお母さんも、あなたも、伯父さんも、自分の腹を痛めずに、他人のふところで、暮らしていることにはもう気がつかない、――あなた方が控室より先へは通さない連中の、ふところでね。……われわれは、少なくも二百年は後れています。

 ロシアにはまだ、まるで何一つない。過去にたいする断乎たる態度ももたず、われわれはただ哲学をならべて、憂鬱をかこったり、ウオッカを飲んだりしているだけです。だから、これはもう明らかじゃありませんか、われわれが改めて現在に生きはじめるためには、まずわれわれの過去をあがない、それと縁を切らなければらないことはね。

 過去をあがなうには、道は一つしかない、――それは苦悩です。世の常ならぬ、不断の勤労です。そこをわかってください、アーニャ。

アーニャ:わたしたちの今住んでいる家は、もうとうに、わたしたちの家じゃないのよ。だからわたし出て行くわ。誓ってよ。

トロフィーモフ:もしあなたが、家政の鍵をあずかっているのなら、それを井戸のなかへぶちこんで、出てらっしゃい。そして自由になるんです、風のようにね。
 アーニャ (感激して)それ、すばらしい表現だわ!

私はリネカーさんが好きでした。彼のシュートスタイルって、もういろんな人と一緒になだれこむんだけど、彼の所にボールは収まって、ゴールに入ってしまう。その不思議な感じが好きでしたね。日本にも来てくれたけど、往年の輝きはもうありませんでした。

 ロシア人も、日本人も、世界の田舎者で、オリンピックやらワールドカップなどが好きです。できたら、そこでいい成績を上げたいのでしょう。でも、伝統的な競技は、伝統国が強いから、なかなかトップにはなりませんけど、まあ、せめて得意な分野でそれなりの成績を取って、みんなが楽しめたらいいですね。

 そうです。過去は過去。現在の私たちは、現在できることをコツコツやって、そこである程度の結果が出たら、それでよしとしましょう。大国になってはいけません。サッカー大国なんかになりたくありません。いつまでたっても一次リーグ突破が目標で、たまに条件がよかったら、ベスト8とかに行けたらそれでいいです。それも、簡単なことではありません。1回の結果でカリカリしないようにしましょう! 自分に言い聞かせているような気がします。


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