甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

楚の十代め・霊王のお好み 中歴-42

2016年07月15日 17時00分45秒 | 中国の歴史とことば
 私は、はすっぱな女の人が好きなのではありません。むしろそういう女性は苦手です。見ただけでウンザリしてしまいます。大阪のヤンキーのお姉ちゃん(というのも偏った見方ですけど)は、もうその人たちの持つ空気感も、なんだかイヤでした(そんなに近づいたこともないくせに……)。

 なのに、私が心ときめくお姉さんたちは、デビューしたてのころは、ものすごく自分を抑えて、かわいらしく見せようと努力しておられることが多い。そういう姿は好きなんです。でも、たいていすぐに化けの皮がはがれて、本性を現さねばならなくなって、実ははすっぱな性格だったということになってしまう(本当の姿を見たわけではないので、あくまでもうわさでの話です)。

 そういうこと、本当によくある話でした。古くは天知真理さん。楽屋ではタバコをスパスパ吸って、ステージでは清純派を演じていたという話でした(それも実際に見たわけではありません)。そこから一気に彼女は転落していきますが、本当はどうだったのか? それは私はわかりません。ただ、残念なだけです。昔、あんなにあこがれていたのに、その人が一気に転落させられていくし、自分たちも見方がガラリと変わってしまう。なんという冷たさというのか、人気の頼りなさですね。

 本当は、みんな「はすっぱな」ところを持っているような気がします。要はそれをどのようにコントロールして、自分のダメな部分を出さないようにするか、それが問われているのかもしれないです。

 そうだ。中島敦の「山月記」にもありましたよ。

 人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情(もとから持っている性格みたいなもの?)だという。オレの場合、この尊大な羞恥心(しゅうちしん)が猛獣だった。虎だったのだ。これがオレを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、オレの外形をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。

 今思えば、全く、オレは、己の持っていたわずかばかりの才能を空費してしまったわけだ。人生は何事をもなさぬには余りに長いが、何事かをなすには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄(ろう)しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯(ひきょう)な危惧(きぐ)と、刻苦(こっく)を厭(いと)う怠惰(たいだ)とがオレのすべてだったのだ。

 オレよりもはるかに乏しい才能でありながら、それを専一(せんいつ)に磨いたがために、堂々たる詩家となった者がいくらでもいるのだ。虎となり果てた今、オレはようやくそれに気がついた。

 それを思うと、オレは今も胸を灼(や)かれるような悔いを感じる。

 
 私たちだれもが、心の中に猛獣を飼っているのです。それをコントロールするかしないかで、人は人生の送り方が変わってしまうようです。お姉ちゃんたちも、自由に好きなように生きるんじゃなくて、いつまでもみんなを楽しませる方向で動いてくれないですかね。そうしたらオッチャンはうれしいなあ。

 何を書いているんでしょう。



 中国の王様たち、もちろんお姉ちゃん好きです。私なんかよりもはるかに行動的だし、情熱的でしょう。そしてどん欲にお姉ちゃんを各地から集めようとした。「英雄色を好む」というわけですね。

 楚の王様にもそういう人がいたようです。それは仕方ないです。王様はそんなふうにさせられているのです。たぶんしんどいときだってあったと思うのです。問題は、下々の者たちです。それがことわざになりました。




50【楚王細(        )を好んで国中に餓人多し】……上に立つ人の好みに、下の者がついて行くことのたとえ。《韓非子》 空欄に女性のチャームポイントを漢字一字で答えてください。

 昔、越の王様が勇気のある者を好んだそうです。そうすると、人々は死を軽んずるようになってしまった。次から次と部下たちは死地に赴き、カンタンに命を投げ出すようになった。王としてはうれしい反面かなしいできごとであり、その度に悲しまねばならなかった(わりと平気だった?)。

 楚の十代めの王様・霊王が細い……の女性が好きだった。すると、親も娘も、王様に気に入られるためにみんなでダイエットを始めたそうです。中国って極端ですからね、とことんやり抜き、他人を出し抜く、それが中国という国のあり方なんでしょう。

 そして、極端なダイエットの結果、たくさんのやせ細った人たちがあちらこちらに現れたというのです。

 どうしてほどほどができないかなあ。まあ、人のことは言えません。みんなだれもが極端へ走るし、だれもが権力者に取り入りたいのです。それは仕方のないことです。

 だから、このことわざが生まれ、自分たちの戒めとしたのでしょう。ついつい突っ走ってしまうことへのブレーキとしてことばが生きてきたわけです。

 ことわざがあっても、私たちは同じ失敗を繰り返します。今も全く同じ。権力者のご機嫌ですべては進んでいくような感じです。独立独歩なんて夢のまた夢です。




答え 50・腰 でした。スリムな女性がお好きだなんて、現代的です。



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