Kの高校2年の冬は続く。季節も成績も冬なのでした。
冬の断片……ノートの切れっぱしから[1977.1~2月 記]
昼下がりの、冬の陽が床にしみついてから、はね返ってきてボクの目をさした。
ストーブが赤くゆらめいている。そんなふうに時は流れている。[1977.1.19 水]
雪が降った。
それだけで、うれしかった。もちろん雪がめったに降らないからではあるが……。
ぼんやり目をさましつつ、お茶漬けの茶わんを見るやいなや、母上が「雪が降ったよ」と言った。
信じられないようでもあり、さもあろうと信じられもした。
「ほんまに?」と言って、母に窓を開けてもらったら、家の前の家の屋根には雪がうっすら積もっていた。
7時45分、家の前に出た。けど、(雪は)だいぶ踏みにじられていた。車輪のあとがあり、足跡が付けられてあった。そして、自分も足を踏み出した。固かった。氷のようでもあった。
けれど、もしかすると、この固さの感じを作ったのは雪ではなく、その下のアスファルトのせいなのかもしれない。日頃は感じないアスフアルトの実感なのでありました。……[1977.2.4 金 倫社のとき]
授業はつまらないので、ノートにつまらない出来事をメモする習慣ができていた。自らのつまらなさを埋めるためには、とにかく目に入るものを取り上げて、自分は寝ているのではなくて、起きているのに、勉強が頭に入らないのを嘆いていたのである。本当なら、自ら進んで目の前で起こっていることをまとめようとしたなら、少しは頭に入ったのかもしれない。けれども、2年の時のKはすべてに受け身で、まだ受け止めて、受け流すことしかできなかった。それを自分の力に変えようとする意気込みがなかったのである。
できることなら、おもしろおかしく、ああでもない、こうでもないと授業の内容をこねくりまわす仲間がいれば、少しはKの頭も回転したのかもしれないが、だれもそんなことをしようとはせず、淡々と授業が流れていくのであった。
雪の日の朝、商店街を抜けて [1977.2.10 木 記]
自分は傘に雪がぶつかる音を聞いていた。
雪たちが、押しつぶされて悲鳴を上げている。
自分は新品靴のヴィニール底が、みぞれの雪をピチャピチャと踏む音を聞いていた。
足を進める度に水がはねた。
それから、時々は、雪のとけたアスファルトを、
ふみつける靴のかたい音が耳に入った。
とけたにはとけたが、いき場のない雪たちが戸惑っていた。
それから、シャッターを開く音が耳に入った。
やっぱりそれは朝の音だった。
カラカラで、乾燥した音だった。
自分は前を見た。
せっかく頭を上げたけれど、何も見えなかった。
戸がいくつもあるが、みんな閉まっている。
煙突が雪をかぶっている。
人間も、自動車も、屋根も、
雪を同じようにかぶっている。
人影が見えるが、振り向かない。
やっぱりその人も自分のように、
雪の音を聞いて、雪の都会を眺めている。
* 高2の3月まで住んでいたアパートからバス停まで、直線で八百メートルくらいはあった。途中に商店街のアーケードがあって、2月10日は大阪では珍しい雪だったらしい。大阪には30年ほど住んだのだが、大雪の記憶はない。10センチほど積もったのが2、3回あったかどうか……。
この日は、大雪ではなかったと思うが、バス停まで歩くいつもの道が全く違って見えて、雪を踏む度に音がするし、傘に降り注ぐ雪の音さえ不思議な感じがしたようだ。そんな驚きが自分だけではなくて、前を行く人も同じような感じで歩いているのを知り、その連帯感がこの走り書きを書かせたように思う。
▼この見慣れた教室の中に、この殺風景な、何もない教室の中に、生徒たちが勝手に集散している。自分も散っていく。もちろん、明日は明るいのか暗いのかわからないが……。
▼数学20点、国語136点、英語75点……200点満点の実力テストの結果!
数学せなあかんな。数学の鬼にならなあかんわー。
と、教授のようにつぶやいているが、これは先行きが暗い。
▼雲が動かない。そして、とっても寒い。ぶくぶく湧きすぎた雲が、空に溜まりすぎて、
もう動く余地がない。だから、雲は動かない。
▼人間もつまりすぎると、動かない。
だから、そんなときは、その上を飛び越して、走っていかなければならんのか。
▼若い国語の先生が、近々結婚するそうだ。相手は同じ学校の数学の先生らしい。
しあわせを歩いていくがいいさ。
▼自分は今、昼寝をしている。現国・倫社・保健、昼寝をしやすい授業の一つだ。
でも実際は、とてもさめている。
▼女がわざとこっちを向かないようにしている。自分には、そう思える。
こっちを向いて微笑みかけてほしい。そして、決してこっちを向かないでほしい。
▼今日は予備校(放課後に通っていた)の数学のテストがある。
自分は、受けない前から結果を知っている。でも、立ち向かわなければならないのだ。
▼みんなが面白く笑ってるとき、どうしてそんなにおもしろいのか、と思って聞いてみたいけれど、
拒まれてしまいそうだ。
▼自分はいつもさめている。とは、ウソである。時々は軽く流される。
それでも、さめている時はあるということだ。
▼とても幸せな日々に、文句をいうのは恐いが、
やはり文句を言う。僕は明日がこわい。とても不安だ。
という細やかな神経はないが、
やっぱり、自分はこれからが不安である。
でも、どこか不足である。 [1977.2.16 水]
▼キタの方のビルが止まっている。動かない。そして、はっきりとは見えない。
嵐の日の灯台のようにしか見えず、うつろである。
▼朝の雰囲気の中に、暗く閉ざされた雨が降って、何もかもはっきり見えない。
すべてがうつろで、ぼんやりした存在になった。
▼自分は傘もささず、アスファルトを見ながら、初めて雨の降ってることを知る。
地面の濁った水に、さらに天から水が下って、地面にたどりつくと、はね返る。
ヤケドからカムバックした3学期は、何となく疎外感がいっぱいで、よそのクラスだけが楽しそうで、自分のクラスだけがつまらないように見えていた。教室に入るのも何となく重い感じがしていた。そうした重い日々にも、それなりに楽しいことはあった。けれども、それは自分のホームから離れたところで、しかも今まで忘れていた足下になったのである。
冬の断片……ノートの切れっぱしから[1977.1~2月 記]
昼下がりの、冬の陽が床にしみついてから、はね返ってきてボクの目をさした。
ストーブが赤くゆらめいている。そんなふうに時は流れている。[1977.1.19 水]
雪が降った。
それだけで、うれしかった。もちろん雪がめったに降らないからではあるが……。
ぼんやり目をさましつつ、お茶漬けの茶わんを見るやいなや、母上が「雪が降ったよ」と言った。
信じられないようでもあり、さもあろうと信じられもした。
「ほんまに?」と言って、母に窓を開けてもらったら、家の前の家の屋根には雪がうっすら積もっていた。
7時45分、家の前に出た。けど、(雪は)だいぶ踏みにじられていた。車輪のあとがあり、足跡が付けられてあった。そして、自分も足を踏み出した。固かった。氷のようでもあった。
けれど、もしかすると、この固さの感じを作ったのは雪ではなく、その下のアスファルトのせいなのかもしれない。日頃は感じないアスフアルトの実感なのでありました。……[1977.2.4 金 倫社のとき]
授業はつまらないので、ノートにつまらない出来事をメモする習慣ができていた。自らのつまらなさを埋めるためには、とにかく目に入るものを取り上げて、自分は寝ているのではなくて、起きているのに、勉強が頭に入らないのを嘆いていたのである。本当なら、自ら進んで目の前で起こっていることをまとめようとしたなら、少しは頭に入ったのかもしれない。けれども、2年の時のKはすべてに受け身で、まだ受け止めて、受け流すことしかできなかった。それを自分の力に変えようとする意気込みがなかったのである。
できることなら、おもしろおかしく、ああでもない、こうでもないと授業の内容をこねくりまわす仲間がいれば、少しはKの頭も回転したのかもしれないが、だれもそんなことをしようとはせず、淡々と授業が流れていくのであった。
雪の日の朝、商店街を抜けて [1977.2.10 木 記]
自分は傘に雪がぶつかる音を聞いていた。
雪たちが、押しつぶされて悲鳴を上げている。
自分は新品靴のヴィニール底が、みぞれの雪をピチャピチャと踏む音を聞いていた。
足を進める度に水がはねた。
それから、時々は、雪のとけたアスファルトを、
ふみつける靴のかたい音が耳に入った。
とけたにはとけたが、いき場のない雪たちが戸惑っていた。
それから、シャッターを開く音が耳に入った。
やっぱりそれは朝の音だった。
カラカラで、乾燥した音だった。
自分は前を見た。
せっかく頭を上げたけれど、何も見えなかった。
戸がいくつもあるが、みんな閉まっている。
煙突が雪をかぶっている。
人間も、自動車も、屋根も、
雪を同じようにかぶっている。
人影が見えるが、振り向かない。
やっぱりその人も自分のように、
雪の音を聞いて、雪の都会を眺めている。
* 高2の3月まで住んでいたアパートからバス停まで、直線で八百メートルくらいはあった。途中に商店街のアーケードがあって、2月10日は大阪では珍しい雪だったらしい。大阪には30年ほど住んだのだが、大雪の記憶はない。10センチほど積もったのが2、3回あったかどうか……。
この日は、大雪ではなかったと思うが、バス停まで歩くいつもの道が全く違って見えて、雪を踏む度に音がするし、傘に降り注ぐ雪の音さえ不思議な感じがしたようだ。そんな驚きが自分だけではなくて、前を行く人も同じような感じで歩いているのを知り、その連帯感がこの走り書きを書かせたように思う。
▼この見慣れた教室の中に、この殺風景な、何もない教室の中に、生徒たちが勝手に集散している。自分も散っていく。もちろん、明日は明るいのか暗いのかわからないが……。
▼数学20点、国語136点、英語75点……200点満点の実力テストの結果!
数学せなあかんな。数学の鬼にならなあかんわー。
と、教授のようにつぶやいているが、これは先行きが暗い。
▼雲が動かない。そして、とっても寒い。ぶくぶく湧きすぎた雲が、空に溜まりすぎて、
もう動く余地がない。だから、雲は動かない。
▼人間もつまりすぎると、動かない。
だから、そんなときは、その上を飛び越して、走っていかなければならんのか。
▼若い国語の先生が、近々結婚するそうだ。相手は同じ学校の数学の先生らしい。
しあわせを歩いていくがいいさ。
▼自分は今、昼寝をしている。現国・倫社・保健、昼寝をしやすい授業の一つだ。
でも実際は、とてもさめている。
▼女がわざとこっちを向かないようにしている。自分には、そう思える。
こっちを向いて微笑みかけてほしい。そして、決してこっちを向かないでほしい。
▼今日は予備校(放課後に通っていた)の数学のテストがある。
自分は、受けない前から結果を知っている。でも、立ち向かわなければならないのだ。
▼みんなが面白く笑ってるとき、どうしてそんなにおもしろいのか、と思って聞いてみたいけれど、
拒まれてしまいそうだ。
▼自分はいつもさめている。とは、ウソである。時々は軽く流される。
それでも、さめている時はあるということだ。
▼とても幸せな日々に、文句をいうのは恐いが、
やはり文句を言う。僕は明日がこわい。とても不安だ。
という細やかな神経はないが、
やっぱり、自分はこれからが不安である。
でも、どこか不足である。 [1977.2.16 水]
▼キタの方のビルが止まっている。動かない。そして、はっきりとは見えない。
嵐の日の灯台のようにしか見えず、うつろである。
▼朝の雰囲気の中に、暗く閉ざされた雨が降って、何もかもはっきり見えない。
すべてがうつろで、ぼんやりした存在になった。
▼自分は傘もささず、アスファルトを見ながら、初めて雨の降ってることを知る。
地面の濁った水に、さらに天から水が下って、地面にたどりつくと、はね返る。
ヤケドからカムバックした3学期は、何となく疎外感がいっぱいで、よそのクラスだけが楽しそうで、自分のクラスだけがつまらないように見えていた。教室に入るのも何となく重い感じがしていた。そうした重い日々にも、それなりに楽しいことはあった。けれども、それは自分のホームから離れたところで、しかも今まで忘れていた足下になったのである。