指宿の2日目、私はネット環境を求めて、指宿駅まで歩いていった。せっかくのカゴシマの2日目だが、雨が降ってきそうだった。弟たち家族は、お気に入りの砂むし風呂にみんなで出かけてしまう。ものすごくデトックス効果があって、15分で全身から汗がでるという、それはそれはすごい温泉らしい。「ゴールデンウイークなら、朝一番に行けば待たされなくていい」というのを聞き込んでいたようで、起きたらすぐに出かけた。もちろん私は行かず、自分勝手に指宿の朝を楽しむことにした。
ナマケモノで、人がたくさんの所は苦手。なるべくお金のかからない、のんびりしたところに行きたかった。というわりに、毎日はネットばかりして、何も建設的なことはしないのだから、せめてそういう環境から隔絶された今こそ、全く関係を絶てばいいのである。それなのに、指宿からブログをしているよ、というのを示してみたくて、駅前にあるという情報プラザとやらへ行くことにした。
朝の8時から営業というその店は、9時半になっても開いていなかった。ひょっとすると、つぶれたのかもしれないし、そういう話はよく聞くことであった。指宿駅構内をあてもなくさまよい、パンフレットなどをもらい、何度目かでのぞいてみると、シャッターが開いたようだった。
大急ぎで、そちらに向かうと、オバサンが開店準備やら、新聞を取り込んでいたりした。「ここはネットカフェですか?」と唐突な質問をすると、「ネットカフエは、この間まではあったけれど、つぶれてしまった。私のお店のパソコンでよければ、使ってもいいですよ」と、ものすごくやさしいおことばをいただく。けれども、そこまでしてやるほどのものでもないので、即決で遠慮して、どうもスミマセンと、お店を後にして、母の家に帰ることにした。
そして、帰り道は、昔何度か来たことのある、駅を出て数分の所にある公衆浴場・松元温泉をのぞくことにした。ここはすでに2008年にはつぶれていたけれど、建物はきれいだったし、駐車場の表示もあるので、復活したのかと店の前までいってみて、やはりつぶれてしまっているのを確認する。
それから、あと1つ、今村温泉という、父母がものすごく気に入っていた、お店の構えはオンボロだけれど、お湯も雰囲気も、お値段もとても納得のできる、まるで民家の入り口みたいな店構えの温泉をのぞいてみた。
当然、母からつぶれたよというのは聞いていたけれど、改めてつぶれてしまって、お店だけが荒廃してあるのを見ると、つい何年か前まで、自分も、父も母も、ここでのお風呂を楽しみにノコノコ歩いて出かけたあの日々が消し去られてしまったような、何ともわびしい思いがしたものだ。
けれども、いつかはつぶれなければならなかったのだろう。今回のカゴシマの旅で、私は全くどこにも観光地には行かなかったけれど、観光施設として作ったものは、特に指宿のお湯を扱うところは、よっぽどの施設でないと長持ちしないのだとつくづく思った。塩分を含んだ高温のお湯で、何年かすれば浴槽も配管も何もかもが老朽化し、施設の更新をせねばならず、それらを普段の低料金から作り出していかなくてはならないとしたら、よっぽどの商売上手でなければ温泉経営も楽ではないのだと思われた。
なにしろ、各家庭に温泉のパイプが来ていて、契約をすればそのお湯を使えて、自宅の浴槽に高温のお湯が使える町なので、公衆浴場に行くメリットはあまりない町である。母の家も契約しているときは、自宅のフロに赤い温泉がふんだんに使えていた。ただ、暑すぎて、いつも朝お湯をためて、夕方やっと入れるということだったので、何だかよくわからない使い方であった。適温にするにはお水で薄めるか、それとも冷めるまで放置するしかなかったのである。
愛用の公衆浴場はもうなかった。昼から雨も降ってきて、せっかくの休日は、母の家でくすぶるだけになった。カゴシマに行けば、何か簡単に開聞岳を見に行ったり、大自然とふれあえて、心も解放されるような幻想を抱いていた私は、2日目にして現実に押しつぶされていた。
私は、特にどこかへ行きたいわけではなく、会いたい親戚がいるわけでもなかった。会えばそれなりに挨拶はするし、父の葬儀の際にはやはり親戚の有り難みを感じたのだけれど、親戚のみなさんにはまだまだ自分を解放できていなかった。つまらない自分なのだから、ありのままにつまらなさを見せたら、それなりに対応してくれる人たちなのである。
納骨式は明日だった。とにかく今日はヒマなのに、雨も本格的に降ってくるし、どこへも行けない。私の家族は私と同じ暗い雰囲気になってしまって、弟家族と好対照で、ぼんやりと何をしていいのか、とりあえずお昼ご飯の食材を買おうとか、夕ご飯は何にしようとか、大家族で食べることの心配ばかりをしていた。
お買い物も済んで、お昼ご飯も食べて、弟家族も少し落ち着いて、さて、今からみんなで何をしようということになった。あいにくの雨は続いていた。
私は、ふたたび開聞岳に会いたくて、開聞岳のふもとのハーブ園に行くのはどうだろうと提案して、みんなさしたる主張はないので、それでは行ってみようということになるのだが、ここで、私たち一行はとんでもない目に遭うのだった。
ナマケモノで、人がたくさんの所は苦手。なるべくお金のかからない、のんびりしたところに行きたかった。というわりに、毎日はネットばかりして、何も建設的なことはしないのだから、せめてそういう環境から隔絶された今こそ、全く関係を絶てばいいのである。それなのに、指宿からブログをしているよ、というのを示してみたくて、駅前にあるという情報プラザとやらへ行くことにした。
朝の8時から営業というその店は、9時半になっても開いていなかった。ひょっとすると、つぶれたのかもしれないし、そういう話はよく聞くことであった。指宿駅構内をあてもなくさまよい、パンフレットなどをもらい、何度目かでのぞいてみると、シャッターが開いたようだった。
大急ぎで、そちらに向かうと、オバサンが開店準備やら、新聞を取り込んでいたりした。「ここはネットカフェですか?」と唐突な質問をすると、「ネットカフエは、この間まではあったけれど、つぶれてしまった。私のお店のパソコンでよければ、使ってもいいですよ」と、ものすごくやさしいおことばをいただく。けれども、そこまでしてやるほどのものでもないので、即決で遠慮して、どうもスミマセンと、お店を後にして、母の家に帰ることにした。
そして、帰り道は、昔何度か来たことのある、駅を出て数分の所にある公衆浴場・松元温泉をのぞくことにした。ここはすでに2008年にはつぶれていたけれど、建物はきれいだったし、駐車場の表示もあるので、復活したのかと店の前までいってみて、やはりつぶれてしまっているのを確認する。
それから、あと1つ、今村温泉という、父母がものすごく気に入っていた、お店の構えはオンボロだけれど、お湯も雰囲気も、お値段もとても納得のできる、まるで民家の入り口みたいな店構えの温泉をのぞいてみた。
当然、母からつぶれたよというのは聞いていたけれど、改めてつぶれてしまって、お店だけが荒廃してあるのを見ると、つい何年か前まで、自分も、父も母も、ここでのお風呂を楽しみにノコノコ歩いて出かけたあの日々が消し去られてしまったような、何ともわびしい思いがしたものだ。
けれども、いつかはつぶれなければならなかったのだろう。今回のカゴシマの旅で、私は全くどこにも観光地には行かなかったけれど、観光施設として作ったものは、特に指宿のお湯を扱うところは、よっぽどの施設でないと長持ちしないのだとつくづく思った。塩分を含んだ高温のお湯で、何年かすれば浴槽も配管も何もかもが老朽化し、施設の更新をせねばならず、それらを普段の低料金から作り出していかなくてはならないとしたら、よっぽどの商売上手でなければ温泉経営も楽ではないのだと思われた。
なにしろ、各家庭に温泉のパイプが来ていて、契約をすればそのお湯を使えて、自宅の浴槽に高温のお湯が使える町なので、公衆浴場に行くメリットはあまりない町である。母の家も契約しているときは、自宅のフロに赤い温泉がふんだんに使えていた。ただ、暑すぎて、いつも朝お湯をためて、夕方やっと入れるということだったので、何だかよくわからない使い方であった。適温にするにはお水で薄めるか、それとも冷めるまで放置するしかなかったのである。
愛用の公衆浴場はもうなかった。昼から雨も降ってきて、せっかくの休日は、母の家でくすぶるだけになった。カゴシマに行けば、何か簡単に開聞岳を見に行ったり、大自然とふれあえて、心も解放されるような幻想を抱いていた私は、2日目にして現実に押しつぶされていた。
私は、特にどこかへ行きたいわけではなく、会いたい親戚がいるわけでもなかった。会えばそれなりに挨拶はするし、父の葬儀の際にはやはり親戚の有り難みを感じたのだけれど、親戚のみなさんにはまだまだ自分を解放できていなかった。つまらない自分なのだから、ありのままにつまらなさを見せたら、それなりに対応してくれる人たちなのである。
納骨式は明日だった。とにかく今日はヒマなのに、雨も本格的に降ってくるし、どこへも行けない。私の家族は私と同じ暗い雰囲気になってしまって、弟家族と好対照で、ぼんやりと何をしていいのか、とりあえずお昼ご飯の食材を買おうとか、夕ご飯は何にしようとか、大家族で食べることの心配ばかりをしていた。
お買い物も済んで、お昼ご飯も食べて、弟家族も少し落ち着いて、さて、今からみんなで何をしようということになった。あいにくの雨は続いていた。
私は、ふたたび開聞岳に会いたくて、開聞岳のふもとのハーブ園に行くのはどうだろうと提案して、みんなさしたる主張はないので、それでは行ってみようということになるのだが、ここで、私たち一行はとんでもない目に遭うのだった。