うちのデジカメは、長年使っているうちに画面の中にモヤモヤが出るようになりました。だから、カシオもパナソニックも修理に出そうと思います。どうせたいした写真は撮れないですけど、せめて画面の中にモヤモヤが残らないようにしたいのです。なるべく早く出しに行きます。
修理といえば、クルマのスピードメーターの左半分のバックライト、エンジンのあたりから出てくるオイルもれその他クルマも修理に出さないといけません。
そう思いつつ、もう何か月が過ぎたんでしょう。ガソリンスタンドの方が「エンジンを見ないといけない。ディーラーに見てもらった方がいいですね」と言ってくれてたけど、それからもずっと放置しています。あれ、もうすぐ29万キロがやってきますよ。
近々新しいクルマを買うとかいう話もありましたね。実際にVW社のお店にも行きましたよ。でも、300万ということで立ち消えになりました。ああ、新車は遠くなりにけり。
だったら、このまま来年の車検まで乗っていくんだよな。いや、私は今のクルマを愛してますし、カタチも大好きなんですよ。ただ、中身が心配なだけです。
だったら、ディーラーに持っていくしかないですね。そうか、そうだなあ。ただ、おっくうなだけです。それで何もしていない。
今日、帰りはヨーヨーマさんの「シンプリーパロック」を聞いて帰ってきました。その中でタルコフスキー監督が「惑星ソラリス」で使ってたバッハの曲がありました。
コラール前奏曲 『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』(BWV 639 )という曲でした。何度も流れて、その度に宇宙ステーションの中の人々は愛しいけれども今はもういない人々に出会ったりしました。
そして、ふと思いました。タルコフスキーが「ソラリス」「ストーカー(つきまとう人いう意味じゃないストーカーです)」「ノスタルジア」「サクリファイス」などを作った晩年のころ、ということは70年代末から80年代半ばまで、当時は本当に地球全体が核戦争に見舞われて、すべてが消滅してしまう終末感がいっぱいでした。
そうした気分が、「どうでもいいや」というバブルの時代を日本で生んだのではないかと思うのだけれど、今、タルコフスキーさんがいたら、どんな映画を作るんだろう。そして今はどんな時代なんだろう、と。
核戦争の脅威は少し遠のいたような気もしますが、まだその心配はあります。混乱の度合いは当時とそんなに変わりはない気がします。でも、人々は当時よりもバラバラになり、世界で不幸な事件や事故・紛争が起こっているのに、それらにものすごく無関心でいる時代なのだという気がしてきました。
すべてがテレビの中のことであり、自分とは関係がない。そして、テレビの中の人と関係を持つためには、世界中からネットやコネを駆使して、我先に現地に飛び込むしかない。しかもそれができる人は一部の人で、そのためにお金をつぎ込める力のある人たちだけが、羽生くんを見るために仙台に出かけたり、大谷くんの試合を見るためにアメリカに出かけたりできる。
……ヨーヨーマさんと組んで演奏してたのがトン・コープマンさんでした!
そうだ。今はものすごく格差が広がり、制度上の自由や平等もなしくずしで、持てる者だけが豊かに楽しく暮らせる時代になったようです。
ほんの30年の月日なのに、ものすごく貧しい人はより貧しく、お金持ちはさらにリッチに! そういう流れになったのだという気がします。
それをどう描くんです、タルコフスキーさん?
とことん貧しい人々を描くんだろうか。
それとも、バベルの塔が崩壊して、すべての人々がバラバラで疑心暗鬼になる古代神話を描くだろうか。
聖書の世界を、ロシアに置き換えて、人々を救済しようと努力するひとりの人間の生と死を描くでしょうか。
私には、昔以上に混乱し、不安が広がっている気がします。というか、貧しい私なんか置き去りにされ、切り捨てられる未来しか見えてきません。
どうせお上なんてそんなものだという気がするのです。
だから、私は自分の生活を守るため、自給自足とか、山の中へ入るとか、人々の連帯を考える仕事をするとか、切り捨てられる者のど根性をひそかに実現する、そういうことをやりたいです。これは今の理想ですね。はたして何ができるのやら……。
何か相棒が欲しいな。ワンコでもウサギでも、メダカでも飼いたい気分です。誰かに話しかけたいんだろうか……。