甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

うさぎのケージとゆすぶり 親になるとは?

2016年02月25日 22時22分01秒 | 私たちの社会・世界
 夕方、ラジオを聞いていて、気が変になりそうでした。まさしく「あやしうこそものぐるほしけれ」でした。でも、どうすることもできず、仕方がないので、ブログを書いて、何かできないかと考えてみます。

 大阪の梅田でプリウスが暴走、2人の方が亡くなり、1人が意識不明、けが人も何人か出たという事件。大阪だから、そんなムチャクチャな事件が起こったのかと思ったら、そうではなかったみたいです。運転していた人がすでに亡くなっていて、そのままブレーキもかけられず、何人かの人が巻き添えをくったということでした。

 奈良の人だったということだから、大阪の町中を運転していて、ドキドキしたのかもしれないです。私は大阪出身なんですが、梅田あたりはどこがどうなっているのか、どこを走ればいいのか、もう混乱の極みです。そこを通り抜けてどこかへ行こうとする時点で、すでにストレスはたまっています。やむを得ない事情があったのだと思われますが、不幸なことに梅田のさらに人がたくさん歩き回るところにさしかかり、事故は起きてしまった。

 これは、奈良の人が、大阪の梅田をクルマで通り抜けようとしたところで、すでに負荷がかかっていたという気がします。そんなやらずもがなのことをしてしまい、悲しい結末になってしまいました。ご冥福を祈るしかありません。



 これまた夕方のニュースで、36才の男が、双子の女の子を揺すぶって殺したという事件。これは確信犯だと聞いていて思いました。双子で生まれてきた女の子、1人目を思い切り揺すって、泣くこともできないくらい、気を失うくらい振り回し、さらに何度もそうこうしてみたらたまたま事故という形で命を落とした。

 それから何ヶ月か後、もう1人の子にも同じような手段で思い切り、ふにゃふにゃの脳みそを揺さぶり、息もできないくらいにして気絶させ、要領はわかっているので同じ手口で、またも事故として処理するつもりでやってみた。

 裁判になっているそうで、男は「私が無罪になることが娘たちのためになるのだ」と発言して、無実を勝ち取ろうと頑張るそうです。

 男の言うとおり、無実なのかもしれない。だったら、だれが2人の女の子を殺したのか、それを男が知っているのではないか、知ってるんだったら、それを明白にして、無実になればいいじゃんと思いましたが、私は裁判所の人ではないので、事実が明らかになるように祈るしかありません。

 でも、もし男が、幼児は頭を揺さぶると、命が危ないと知っていたのではないか、という気がしてなりません。テレビで男の顔を見てしまったから、余計にそう思います。

 もしそれを知っていて、男がそんなことをしでかしたのなら、男は親になりきれなかったのだと思います。昔の人たちは、親として頑張ろうとするのが当たり前でした。今は、それよりも親の喜び優先の社会なので、子どもたちがかわいそうでなりません。



 同じ時間帯のニュースで、今度は3歳の男の子が、うさぎのケージに入れて殺されてしまったというのを聞きました。これは新たな虐待というのか、とうとうここまで来たのかという感じで、ものを与えず餓死させるというのがいくつかありましたが、今度はかなり積極的な虐待で、苦しむのが見たかったとしか思えません。

 これは親ではなくて、ただの児童虐待をしてしまった大人というしかありません。そういうことをするまでのいきさつがあったのかもしれないけれど、これも積極的な親族殺人だと思います。親にはなれていなくて、ただの子ども殺しというしかない。しかもかなり悪質で、とんでもない。事情は知らないけど、もうどうしようもない感じです。



 昔、殺人は、事情があって、原因があって、そこに至るまでの深い理由がドラマのネタになることがありました。それからバブルの時代に、殺人は子から親に向かうものが出て来ます。

 金属バットがキーワードで、それを手にした瞬間に、子どもたちは凶暴化して、親をなぐり殺す事件がいくつか起きました。それから三十年ほど、時々そういう事件が起きたりしますが、こどもたちは、いつ何時、家族に暴行するのかわからなくなったと思いました。

 でも、それは一部のことで、とりあえず、親は、自分の子どもと向き合い、こどもたちが育っていくのを見守るようになっていきました。そうすると、今度は、こどもたちの別の生活空間である学校が、子どもたちをある意味殺してしまうこわい空間になっていきました。

 それに耐えられなくて、命を落とすこどもたちがこの三十年ほど、次から次へと生まれています。これも私たちは有効な手立てが取れていない。

 学校は、アンケートと連絡帳と、こどもたちとの対話で何とか乗り切ろうと躍起になっているけれど、なかなかうまくいかないし、現代ではいじめのためにとても都合のいい道具もできてしまって、しかもほとんどのこどもたちがそれを持たないと、子ども同士のつきあいもできない時代になってしまった。

 政府のエライさんたちは、子どもがルールを守ってスマホ・ケータイを利用できるように、教育が大切とか言っているようで、使用制限はかけていない。

 まるで教育をすれば、すべてがうまくいくかのような言い方だ。教育があっても、立派な大人が、ワイロをもらったり、おかしなクスリを使ったり、おかしな爆弾をロケットだと言い張ったり、ウソばっかりの世界を見せておきながら、すべての尻ぬぐいを教育にまかせ、どんどん経済活性化のためなら、そのうち幼児でも、2歳からでもスマホを活用させるかもしれない。

 そういう経済のために、国民の生活は、すべてを犠牲にして、突き進んでいます。

 ちょっと混乱してきましたね。

 私は、スマホと選挙は18歳からにしてもらいたい。違反したら、罰金とかにして、この行き過ぎたケータイ社会に制限を掛けてもらいたい1人です。ムダだと思うけど、それはぜひ今すぐやってほしい事柄です。



 昔は、親が殺される時代でした。今は、親が子どもを、わりと計画的に、殺そうという意志でもって殺す時代なのだと思われます。この人たちは、親にはなれなかった人たちです。

 そして、私は? 親として失格なところは多々あります。教育でも失敗したことがたくさんあるような気がします。それで、あとのフォロー、これもちゃんとできていません。やれているのは、恐ろしく気長に待っていることで、実家の母もあきれるくらい、私は待っています。というのか、放置しています。

 たまには向き合わなきゃいけません。ブログなんかしている場合ではないかもしれない。なのに、ブログは1日に80分くらいはしてるかもしれない。

 親になろうと、まず私は努力しなければいけないです。みんな頑張っているのだから、私も親として、何か子どもに伝えなきゃいけません。オレの背中で教えてみせる、なんていうことはできないのですから……。 



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