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世界の男(をのこ)、貴(あて)なるも賤(いや)しきも、いかでこのかぐや姫を得てしがな、見てしがなと、音に聞きめでて惑ふ。
ということで、世の中のすべての男連中は、かぐや姫を見たい。結婚したいと押し寄せてきます。けれども、竹取さんちは敷居が高く、とても簡単にお姫様に会うことはかないません。
それではと、世の中で色好みで名高い5人の男たちが登場します。この人たちは自信家で、落とせない女はいないとそれぞれ思っているし、実績も積んできた人たちでした。かぐや姫大ピンチのはずが、彼女はびくともしませんでした。
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石作(いしづくり)の皇子(みこ)、車持(くらもち)の皇子、左大臣阿倍のみむらじ、大納言(だいなごん)大伴(おおとも)の御行(みゆき)、中納言石上(いそのかみ)の麻呂たりの5人の貴公子は竹取さんの家をそろって訪問します。それでは会わないわけにはいかず、とりあえず会見をします。
それぞれモデルがあるはずなんですが、手元の本ではわかりませんでした。まあ、ネットには丁寧に書いてあるでしょうね。とにかく、5人の貴公子、5人目が藤原の不比等(ふひと)さんの息子だったか、本人だったか、とにかく藤原ファミリーのお坊ちゃんまで登場して、それぞれ難題を与えられ、見事に5人とも失敗していきます。
何が言いたいのかというと、この物語の舞台です。
竹取の翁は、名をば讃岐(さぬき)の造麻呂(みやつこまろ)と言ったそうです。それじゃあ、香川県の人なの? と、現代の私たちは思ってしまいます。でも、讃岐は奈良にもありました。出雲が京都の近くの亀岡にあるのと同じで、有名な地名だから、ついあそこと思ってしまいがちですけど、そうでないことがあります。
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讃岐神社のあ像です。
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讃岐神社のうん像です。なかなか古そうで、歴史がありそうです。何しろまわりは古墳だらけです。
讃岐は地名ではなくて、姓名で、その一族をお祭りする神社があるとしたら、そこが竹取の翁のモデルが住んでいたかもしれない。では、それはどこ? というと、近鉄の大阪線に沿って大和高田市と橿原市が並んでいて、その少し上に広陵町という町があります。広陵というくらいだから、広い陵(みささぎ:お墓)がたくさんあるんでしょう。ここにはたくさんの古墳と、讃岐神社というお社があります。
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讃岐神社から少し行くと、古墳がいくつかと、梅もチラホラでした。
というのを、つい一週間前までは知らなかったのですが、とにかくそうした竹取物語と関係のある町がありました。今までの私はまったく知らなかったのですが……。
空海さんの時代(竹取物語と時代的には重なりますね)に、讃岐から出てきた空海さんは、奈良に親戚がいて、その関係でいろいろと優遇されたりするみたいですし、讃岐と大和にはなんとなくパイプはあったのかもしれないですね。
竹取物語と同時期の「伊勢物語」にも、男は大和に住んでいて、ここで育って、幼なじみと結婚して、妻の両親が亡くなると、妻の家が傾いてしまうので、新しい女性を河内に見つけるというのがありましたが、当時の大和西部と河内の国にもそれなりにパイプがあって、しょっちゅう人々は出かけていき、交流があったみたいです。
歩いて大和と河内を往来するなんて、今の私たちなら大変な気持ちの方が先立つのですが、当時の人々は何でもなかった。それくらいヘッチャラで、あれこれ交流があり、行ったり来たりしていた。ものすごい行動力というか、人に会いたい情熱がありますね。
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さあ、私たち母子は、古墳公園などをくるっと回って、またふたたび王寺まで戻ってきたのでした。
ラジオも聞かず、イベントにも参加せず、ただ歩くお祭りなのでそこに人々にまぎれて歩いてきただけです。
でも、観光ではこんなところへは一生行かないと思うので、竹取物語のふるさと、たくさんの古墳があちらこちらにある町を、とにかく歩けて、母も満足させて、楽しい散歩ができました。
さあ、パワフルな母は、それじゃあ四天王寺さんへ行こうというので、私は仕方なく四天王寺へもお参りすることになりました。母は強し。息子の足腰は少しフラフラで、なんともあぶなっかしい!
ということで、世の中のすべての男連中は、かぐや姫を見たい。結婚したいと押し寄せてきます。けれども、竹取さんちは敷居が高く、とても簡単にお姫様に会うことはかないません。
それではと、世の中で色好みで名高い5人の男たちが登場します。この人たちは自信家で、落とせない女はいないとそれぞれ思っているし、実績も積んできた人たちでした。かぐや姫大ピンチのはずが、彼女はびくともしませんでした。
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石作(いしづくり)の皇子(みこ)、車持(くらもち)の皇子、左大臣阿倍のみむらじ、大納言(だいなごん)大伴(おおとも)の御行(みゆき)、中納言石上(いそのかみ)の麻呂たりの5人の貴公子は竹取さんの家をそろって訪問します。それでは会わないわけにはいかず、とりあえず会見をします。
それぞれモデルがあるはずなんですが、手元の本ではわかりませんでした。まあ、ネットには丁寧に書いてあるでしょうね。とにかく、5人の貴公子、5人目が藤原の不比等(ふひと)さんの息子だったか、本人だったか、とにかく藤原ファミリーのお坊ちゃんまで登場して、それぞれ難題を与えられ、見事に5人とも失敗していきます。
何が言いたいのかというと、この物語の舞台です。
竹取の翁は、名をば讃岐(さぬき)の造麻呂(みやつこまろ)と言ったそうです。それじゃあ、香川県の人なの? と、現代の私たちは思ってしまいます。でも、讃岐は奈良にもありました。出雲が京都の近くの亀岡にあるのと同じで、有名な地名だから、ついあそこと思ってしまいがちですけど、そうでないことがあります。
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讃岐神社のあ像です。
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讃岐神社のうん像です。なかなか古そうで、歴史がありそうです。何しろまわりは古墳だらけです。
讃岐は地名ではなくて、姓名で、その一族をお祭りする神社があるとしたら、そこが竹取の翁のモデルが住んでいたかもしれない。では、それはどこ? というと、近鉄の大阪線に沿って大和高田市と橿原市が並んでいて、その少し上に広陵町という町があります。広陵というくらいだから、広い陵(みささぎ:お墓)がたくさんあるんでしょう。ここにはたくさんの古墳と、讃岐神社というお社があります。
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讃岐神社から少し行くと、古墳がいくつかと、梅もチラホラでした。
というのを、つい一週間前までは知らなかったのですが、とにかくそうした竹取物語と関係のある町がありました。今までの私はまったく知らなかったのですが……。
空海さんの時代(竹取物語と時代的には重なりますね)に、讃岐から出てきた空海さんは、奈良に親戚がいて、その関係でいろいろと優遇されたりするみたいですし、讃岐と大和にはなんとなくパイプはあったのかもしれないですね。
竹取物語と同時期の「伊勢物語」にも、男は大和に住んでいて、ここで育って、幼なじみと結婚して、妻の両親が亡くなると、妻の家が傾いてしまうので、新しい女性を河内に見つけるというのがありましたが、当時の大和西部と河内の国にもそれなりにパイプがあって、しょっちゅう人々は出かけていき、交流があったみたいです。
歩いて大和と河内を往来するなんて、今の私たちなら大変な気持ちの方が先立つのですが、当時の人々は何でもなかった。それくらいヘッチャラで、あれこれ交流があり、行ったり来たりしていた。ものすごい行動力というか、人に会いたい情熱がありますね。
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さあ、私たち母子は、古墳公園などをくるっと回って、またふたたび王寺まで戻ってきたのでした。
ラジオも聞かず、イベントにも参加せず、ただ歩くお祭りなのでそこに人々にまぎれて歩いてきただけです。
でも、観光ではこんなところへは一生行かないと思うので、竹取物語のふるさと、たくさんの古墳があちらこちらにある町を、とにかく歩けて、母も満足させて、楽しい散歩ができました。
さあ、パワフルな母は、それじゃあ四天王寺さんへ行こうというので、私は仕方なく四天王寺へもお参りすることになりました。母は強し。息子の足腰は少しフラフラで、なんともあぶなっかしい!