1976年の秋、信州への修学旅行があった。Kは友人のお父さんのクルマに同乗して、新大阪駅に降り立った。新御堂筋というのを初めて走り、こんな未来型の道路があるのだと知る。すぐにいつもの朝の時間帯にはなったものの、早起きしてターミナル駅に集合とは、当時の彼にしては珍しい体験だった。終了後、次のような手記を書く。
修学旅行で泣けた時のこと [1976.11.5 記]
同じクラスにT子さんという女の人がいました。それで、修学旅行の時のその子といったら、もうそれはもうけなげで、しとやかで、ほっぺが紅くて、頭にオレンジ色のピンをさして、かわいくて、スカートをはいて、白い靴下がよく似合って、笑ってて……、いろいろ言葉は尽きません。
その人が好きになったんだと思います。この僕は、その子に魅せられてしまったんだと思います。そんな気持ちがワーッと湧いてきて、おぼれてしまったんでありました。
修学旅行の三日目の夜のことです。ファイアーストームがありました。火がついて、輪になって、手をつないだり、踊ったりして、火が燃えて、焦(こ)げて、人の顔が燃えるようになって、フォークダンスが行われました。
オクラホマ・ミキサとは、女の人と手をつないで踊る、踊りです。そいで、つい軽はずみな僕は「T子さん、おらんかな」って口走ってしまいました。
さあ大変、その人は同級生と一緒に僕の近くで踊っていたのでした。それを知らない僕は、その人のすぐ近くでいやらしく、そう口走ってしまったものだから、彼女に聞かれてしまったのだと思いました。何といじけた男だとおもわれたかもしれない(実際にいじけた男だったのだから仕方がないのだけれど)。それはそれは辛かったこと……。
女の人と交際を申し込むには、のろのろしたり、やぼったかったり、遠回しなのが一番ダメで、もっとストレートに、ガバっと自分の心を打ち明けるのが一番だと自訓していたこの自分が、まさしく遠回しに、のろのろ言ってしまったのでした。
ダメダ……と思って、もう胸ん中がいっぱいで、踊りの輪から離れてしまいました。もちろんT子さんを輪の中に残して……。
何だかとっても、辛くなってきました。空はこごえるように晴れ、そして星たちは冷たくキンキン光っていました。それは、空のかなたで、この僕の存在など知らないように、幾年も変わらず空に光っていました。
僕だけ離れて輪の外にいました。するとふいに悲しくなって涙が出ました。何でもない、ほんの一かけらの瞬間に、僕は壊れて、何もなくなってしまったのです。女の子一人のために(素直に告白できない自分のせいなのに!)、壊れた。
その一かけらの瞬間、終わりなのだ……と思ったのです。もちろん、始まりはこの僕から、そして終わりもすぐ僕のところに来たのでした。
好きだったんだろうか? わからないけど、涙が出た。陸上部のN野氏が「泣いてるやんけ、どうしたん?」と聞いてくれた。
けど、わからない。人間もわからない……。その瞬間に、青春は一つ一つ消えていって、そこにある炎のように燃えていってしまうのが悲しかったんだ。自分が小さなものから、大きなものへと広がっていくのがこわかったんだ。
そして、T子さんも大人になり、自分も大人になってしまい、そして、大人になるとき、みなそれぞれ縁なきものは離れ、消え去ってしまうのが惜しかったからだ。
自分もできることなら、みんな、みんな、みんなを、つかまえて離れないようにしていたいけど、それができない。その瞬間の光を見ることができた、今の、その時のうれしさだったのかもしれない。
要するに、本人に直接言わないで、周りの人たちに「自分は実はあの人のことが好きなんだけど……」というのを口に出す、それを楽しんでいただけのことだった。
そんな態度では一生恋なんかできないが、高校のときはそれで充分だったのである。Kには恋とは遠いものでしかなかった。付き合えたとしても相手の人にどのように接していいのかわからなかっただろうし、その人に責任も持てなかったはずだ。女の人と恋愛関係になるということにあこがれは持っていたが、実際に恋愛関係を維持する自信も、責任感も、方法も持っていなかった。
恋はしたいが、実際に恋をするのは大変なことで、Kはそんな経験もなかったし、やれる実感もなかった。
もし、もう一度高校生をすることがあったとしても、たぶん同じようなことをするはずである。好きな子のまわりをうろつき、何かチャンスはないかとハイエナのように嗅ぎ回り、秋波を送ったり、ほえたり、意味不明なことを繰り返しているだろう。そして強力なライバル(百戦錬磨の恋男?)が現れるや、シッポを巻いて逃げる。または待ちくたびれて、お腹をすかして家に帰る、そういう小心肉食動物のようなのが当時のKだった。
今もKの本質は変わらない。こんな状態では、女の子を好きになる資格はないし、一生こんなまどろっこしいことをし続け、ずっと独り者だったかもしれない。
後にKは、異性には正直に、自分の気持ちを、自分のことばで、伝えなければいけない、ということを学んだ。けれども、文学青年気取りの高校時代のKにはこれでよかったのだろう。「恋に恋する」は可憐な美少女だけの特権ではなく、背の低い、コンプレックスだらけの男子高校生にだってできることだったのだ。
修学旅行で泣けた時のこと [1976.11.5 記]
同じクラスにT子さんという女の人がいました。それで、修学旅行の時のその子といったら、もうそれはもうけなげで、しとやかで、ほっぺが紅くて、頭にオレンジ色のピンをさして、かわいくて、スカートをはいて、白い靴下がよく似合って、笑ってて……、いろいろ言葉は尽きません。
その人が好きになったんだと思います。この僕は、その子に魅せられてしまったんだと思います。そんな気持ちがワーッと湧いてきて、おぼれてしまったんでありました。
修学旅行の三日目の夜のことです。ファイアーストームがありました。火がついて、輪になって、手をつないだり、踊ったりして、火が燃えて、焦(こ)げて、人の顔が燃えるようになって、フォークダンスが行われました。
オクラホマ・ミキサとは、女の人と手をつないで踊る、踊りです。そいで、つい軽はずみな僕は「T子さん、おらんかな」って口走ってしまいました。
さあ大変、その人は同級生と一緒に僕の近くで踊っていたのでした。それを知らない僕は、その人のすぐ近くでいやらしく、そう口走ってしまったものだから、彼女に聞かれてしまったのだと思いました。何といじけた男だとおもわれたかもしれない(実際にいじけた男だったのだから仕方がないのだけれど)。それはそれは辛かったこと……。
女の人と交際を申し込むには、のろのろしたり、やぼったかったり、遠回しなのが一番ダメで、もっとストレートに、ガバっと自分の心を打ち明けるのが一番だと自訓していたこの自分が、まさしく遠回しに、のろのろ言ってしまったのでした。
ダメダ……と思って、もう胸ん中がいっぱいで、踊りの輪から離れてしまいました。もちろんT子さんを輪の中に残して……。
何だかとっても、辛くなってきました。空はこごえるように晴れ、そして星たちは冷たくキンキン光っていました。それは、空のかなたで、この僕の存在など知らないように、幾年も変わらず空に光っていました。
僕だけ離れて輪の外にいました。するとふいに悲しくなって涙が出ました。何でもない、ほんの一かけらの瞬間に、僕は壊れて、何もなくなってしまったのです。女の子一人のために(素直に告白できない自分のせいなのに!)、壊れた。
その一かけらの瞬間、終わりなのだ……と思ったのです。もちろん、始まりはこの僕から、そして終わりもすぐ僕のところに来たのでした。
好きだったんだろうか? わからないけど、涙が出た。陸上部のN野氏が「泣いてるやんけ、どうしたん?」と聞いてくれた。
けど、わからない。人間もわからない……。その瞬間に、青春は一つ一つ消えていって、そこにある炎のように燃えていってしまうのが悲しかったんだ。自分が小さなものから、大きなものへと広がっていくのがこわかったんだ。
そして、T子さんも大人になり、自分も大人になってしまい、そして、大人になるとき、みなそれぞれ縁なきものは離れ、消え去ってしまうのが惜しかったからだ。
自分もできることなら、みんな、みんな、みんなを、つかまえて離れないようにしていたいけど、それができない。その瞬間の光を見ることができた、今の、その時のうれしさだったのかもしれない。
要するに、本人に直接言わないで、周りの人たちに「自分は実はあの人のことが好きなんだけど……」というのを口に出す、それを楽しんでいただけのことだった。
そんな態度では一生恋なんかできないが、高校のときはそれで充分だったのである。Kには恋とは遠いものでしかなかった。付き合えたとしても相手の人にどのように接していいのかわからなかっただろうし、その人に責任も持てなかったはずだ。女の人と恋愛関係になるということにあこがれは持っていたが、実際に恋愛関係を維持する自信も、責任感も、方法も持っていなかった。
恋はしたいが、実際に恋をするのは大変なことで、Kはそんな経験もなかったし、やれる実感もなかった。
もし、もう一度高校生をすることがあったとしても、たぶん同じようなことをするはずである。好きな子のまわりをうろつき、何かチャンスはないかとハイエナのように嗅ぎ回り、秋波を送ったり、ほえたり、意味不明なことを繰り返しているだろう。そして強力なライバル(百戦錬磨の恋男?)が現れるや、シッポを巻いて逃げる。または待ちくたびれて、お腹をすかして家に帰る、そういう小心肉食動物のようなのが当時のKだった。
今もKの本質は変わらない。こんな状態では、女の子を好きになる資格はないし、一生こんなまどろっこしいことをし続け、ずっと独り者だったかもしれない。
後にKは、異性には正直に、自分の気持ちを、自分のことばで、伝えなければいけない、ということを学んだ。けれども、文学青年気取りの高校時代のKにはこれでよかったのだろう。「恋に恋する」は可憐な美少女だけの特権ではなく、背の低い、コンプレックスだらけの男子高校生にだってできることだったのだ。