六年と少し付き合った彼女と結婚して、新生活を始めたのは実家の近所だった。歩いて数分のところのアパート(当時は文化住宅とか呼んでたけど、そんなに文化は感じられなかった)の二階でボクたちは生活らしきものを始めた。
お仕事をして、一緒に買い物もしたり、毎日実家でお風呂に入ったり、ごくたまに実家の人たちとボクたちとで一緒にゴハンを食べたり、お休みは今まで知らなかった大阪近辺に出かけてみたり、自分たちが世の中でどんなことができるのか、模索していたのだろう。
彼女が、前から思っていたのか、文学的なものを朗読して目の不自由な人に届けたいというボランティアを始めることになった。講習会やらもあったろうか。そういうところにも出かけ、少しずつキャリアを積んでいった。
阪和線の南田辺というところで降りて、H川福祉会館にどれくらいの頻度で行っていたのか、週一だったか、月二だったか。この福祉会館がS社の創業者の寄付でできたものだったらしい。
とにかく、彼女のやりたいという気持ちは尊いし、ぜひやってもらいたいと思った。彼女の声というのが、きっと優しい感じの声だから、きっと朗読を聞く人もいい感じで聴いてもらえる、なんて思ったろうか。
いや、彼女任せにして、好きなことをやらせてあげよう、なんて思ったか?
あんまり思い出せないけれど、やると決めたら突き進む人ではあるので、その意志は尊重していた。
けれども、彼女には不服があって、担当の人たちは、文庫本を渡され、その本を読みこなしてカセットテープに録音して、利用者の人たちが、どんな本が読みたいかで、そのリクエストの本代わりのテープを選ぶわけだけど、彼女の読みたいような本ではなくて、エンターテイメント系の本を担当することが多かったようだった。
確かに、有名で、文学的なものなら、俳優・声優・役者の人たちが担当して売られているものはあったはず。利用者さんは、有名でメジャーのものではなくて、もっと楽しむために本を聞きたいと思うのかもしれなかった。
理屈としては理解できるけれど、彼女も読んだことがないような、エンターテイメント、スベクタクル、ミステリー、そういうものを読むことが多かったようだ。ずっと続けてたような気がするけれど、やがて私たちは三重県に移住しなくてはならなくなって、彼女の朗読ボランティア活動は途切れたままになっている。
けれども今は、別のボランティアをしているから、彼女のペースでやってもらっている。
私は、ボランティアはしていないのか?
残念ながら、していないのです。能登にも行きたい。廃材を集めたり、使えるものを探したり、思い出の品を探したり、力の弱い私にでもできそうなボランテイアはあるのだと思う。でも、そこを一歩飛び越えることができてなくて、いまだに何ともできぬまま、心は寄せているのですが、行動しないとにはどうにもならないか……。
彼女が通った福祉会館では、今はカセットテープではなくて、もっと簡単で、もっとバリエーションに富んだものが聞けるものがあるみたいです。確かに、カセットテープでは、もう40年以上も昔ですからね。誰もこんなのに音声が入っているって想像できないだろうな。