
去年の今頃、桜ノ宮駅をめざして歩いていました。確か、蕪村さんに肩入れしたつもりだったけれど、いつもの中途半端で終わったまま、ウヤムヤになってしまいました。
私に決定的な話なんてないんですよ。オチにならない無駄ばなししかないんだから。急にふんぞり返ったりして、二重人格なんだから困りますね。もっと落ち着いて書かなくては!

中国での感染症の拡大も、よそ事として見ていた私でした。春節でたくさんの人々が来日するかもしれないけど、できればちゃんと遮断してもらわなくちゃなと、そんなに不安視していませんでした。
それがこの一年で、大変な状況になりました。延期したオリンピックはいよいよ中止決定を発表しなくてはいけないのに、招致委員会の森某の相変らずの無責任発言で、いよいよ追い詰められたところにあるようです。
適任ではない失言癖のあるおじいさんを、責任者にしなくてはならない日本の不幸があります。私たちは、あんな人しか表に出せていないのです。世界で見たら、とても恥ずかしい人が今も変わらず世間に出ている。隠居させてあげればいいのに、それができないんだから、私たちは自分たちの選挙行動も問われている気がします。

少しずつ、世界に合わせた若々しい力を選んでいかないと、さらに惨めな国になってしまうでしょうか。そういう人が選挙で勝てないのが、私たちの失敗ではあります。
大阪環状線の桜ノ宮駅のことを書こうとしていました。
去年、結局ここにはたどり着けなかった。途中で挫折して別の駅に行ってしまいました。ずっと川沿いに歩きたがったのにな。あれ以来ずっと左ひざが弱くなっています。
今も不安を抱えながら、膝に負担をかけないということで、出歩かなくなりました。これでは更に膝が弱くなりそうで、痛しかゆしもどかしです。
桜ノ宮の駅は、高校の友だちがたくさん利用していた駅でした。私はなかなか利用するチャンスがなくて、ずっとここは素通りするだけの駅ではありました。
高三の秋、その友人のところで映画の取材・撮影ということで、何度か行かせてもらって、当然のことながら、駅があれば、そのまわりに住んでいる人たちがいて、生活があって、見慣れない風景がそこにある、というのを知ります。
そうすると、刺激を受けて、あれこれとおもしろおかしいことを考えたりしたのかもしれません。私がどれだけのことをできたのか、あまり記憶はないんですが、楽しかったのは確かでした。でも、勉強どうしようなんて、つまらない心配も抱えて楽しんでいたんでしょう。

高校を卒業して、十年が過ぎて、私は桜ノ宮駅を利用する通勤をするようになりました。
改めてみると、小さな駅で、環状線の中でも、とても静かな駅ではありました。ラブホテルがたくさん集まった一郭も近いけれど、昼間は関係ないし、細長い小さな駅のホームをトコトコ歩くだけでした。ホームも少し狭い感じです。鉄骨もところどころ出ているし、線路が先にあって、後から駅を作った感じでした。
たぶん、冬、ドタドタのコートを着て、鼻水かんでティッシュを駅のゴミ箱に捨てようとしていました。イメージの中で、アンダースローで優しくトスする感じで放り投げました。よくやるようなことでした。
まだ二十代半ばの私でしたが、その時にもまわりが見えてなくて、ゴミ箱とトスするイメージしかなかったんです。
トスと同時に激痛が走り、ガギッと頭をぶつける感じがしました。鉄骨に頭がぶつかったようでした。
頭の激痛もありましたが、口の中もどうにかなっていました。後々から見ると、上の前歯で下の前歯を削り、下の前歯の一本のうらが欠けてしまっていました。ああ、どんくさいことをしていた!

環状線で通勤する前は、買ったばかりのサイクリング車(ブリヂストンのレイダックの黒いの)で、さっそうと川沿いを走ってたのに、汗をかくのと、寒いのと、根性がなくなったのとで、自転車通勤はやめてしまってたんですが、そんなことなら、ずっと自転車通勤してればよかったのに、飽きたんだろうな。それに、いつもハラハラドキドキしながら通勤するのが、自分でも怖くなったんだと思います。
雨の日も、寒い日も、自転車で通勤する根性があればよかったのになあ。まあ、それがあれば、違った人生を送ってたでしょう。
ティッシュを捨てるだけで歯が欠けるようなヤツは、チビチビと通勤するしかなかったんです。……ああ、いつもの自虐。
まあ、こういう自分を抱えながら、これからも細々と生きていくしかありません。欠けた部分は、薬を塗ってもらって、今もそのまま欠けたままです。ドジな自分も受け入れていくしかありません。そういうスタンスで、まわりの皆さんにも受け入れてもらえるよう、せいぜい真面目に努めていきたいです。