Hakusan town and neighborhood have seven Shinto shrine.Today,I will introduce Kawaguchi Hakusan Hime Shinto Shrine.
First gate & Hakusan town
Second gate,it is damaged in the meantime.
The tree of Shrine approach plays the fool.
Third gate to the shrine is in Japanese cedar woods.
The last gate to the shrine. The main shrine is here.
This is a Komainu,defending dog,Unn-type.
This is a Komainu,Ahh-type.
Japanese people pray for thier happinese and children's safe on small dog figure.
★ 津市白山町近辺に7つの白山比神社というのがあって、その中でも白山三権現をおまつりしているのが、川口地区にあるこの神社だということになっています。
起源は古く、平安時代の初め頃には、お社みたいなものがあったそうです。いくつかの街をつなぐ街道を見下ろす重要ポイントにこのお山はあったようです。平安時代は神仏混淆が始まった時代で、日本全国に空海さん・お大師さんの伝説の地があり、その起源はお大師さまが杖をついたら水がわき出たとか、お大師さんがここから丹(水銀)を取りだそうとなさったとか、あちらこちらに伝説の起源となっておられて、そこから神も仏も一緒になって、日本独自の宗教体型がつくられたのではないかと思っています。
そうした古い形の神社がありました。お社と、お坊さんたちが勉強したり、修行したり、時にはもめごとや地域の政治とも関わりながら、地域の中で独自の地位を築いていた鎌倉・室町の時代がありました。資産があるのでお山の神社と寺は仲良く共存して、地域の領主、ここは北畠家が戦国時代も支配し続けていました。
それが、破壊の時代がやってきます。信長さんの時代で、伊勢の国内に侵攻してきた信長軍と戦う時には、山全体を1つの要塞として対峙したため、かなりの部分が消失し、江戸時代になってからも、津のお城を築く際にも、山域の巨木を供出しなくてはならなかったらりして、ここでもダメージを受けたりした。
破壊の時代のあとの、建設の時代は江戸時代でした。消失した本殿などがふたたび築かれ、ささやかに地域の神様として存在していたら、ふたたび破壊の時代の明治となり、神仏分離という号令が出て、山域の寺的な建物はすべて破壊され、また周囲のいくつかの神社もすべてこちらに整理されて(合祀 ごうし)、神様だけがいろんなものを背負わされてポツンと立つようになったようです。
それから百数十年が経過し、少しずつ昔の形も認めようと復活させている場合もあるようです。
日本人が、作ってきた破壊と建設ですが、安定した時代は建設が進むと思うので、できれば鎌倉・江戸のような、神仏混淆でもなんでもいいから、神様を大事にして、お寺さんにもおすがりして、それらが渾然一体となって私たちの生活の一部になってくれたらと思うのです。
でも、どうやら今は、神様と仏様を分離して信仰したい人たちが多いかもしれない。オン・オフにうるさいというのか、細かなことが気になるというのか……。
東大寺の大仏さんをお参りすれば、ついでに二月堂もいきたくなるでしょう。二月堂から若草山をながめようと歩いていれば、手向山天満宮の境内に自然に入り込んでしまう。せっかくだからとお参りして、鹿と一緒に歩いていたら、いつの間にか春日大社にいる自分を見つけられるでしょう。それが日本人の今までやってきた信仰ではないのかと思うのです。
メッカに向かって1日数度の礼拝をするわけではなく、豚肉を食べなかったり、牛肉を食べなかったりするわけではなく、光りの中に神様を感じ、苦しいときにジーザスと叫ばないで、家族のことを思い浮かべる私たち、そういうのがオールドスタイルの日本人でした。
そういうのを否定してみても、ガッシリと日本のこころって、どこかにあるわけだから、みんなこちらへ帰ってくると信じています。
簡単にはもとに戻らないけれど、どう否定したって、神と仏は私たちには等価のありがたい存在なのだと私は思います。ぜひ一緒に同じ所にいていただけたらと思います。
First gate & Hakusan town
Second gate,it is damaged in the meantime.
The tree of Shrine approach plays the fool.
Third gate to the shrine is in Japanese cedar woods.
The last gate to the shrine. The main shrine is here.
This is a Komainu,defending dog,Unn-type.
This is a Komainu,Ahh-type.
Japanese people pray for thier happinese and children's safe on small dog figure.
★ 津市白山町近辺に7つの白山比神社というのがあって、その中でも白山三権現をおまつりしているのが、川口地区にあるこの神社だということになっています。
起源は古く、平安時代の初め頃には、お社みたいなものがあったそうです。いくつかの街をつなぐ街道を見下ろす重要ポイントにこのお山はあったようです。平安時代は神仏混淆が始まった時代で、日本全国に空海さん・お大師さんの伝説の地があり、その起源はお大師さまが杖をついたら水がわき出たとか、お大師さんがここから丹(水銀)を取りだそうとなさったとか、あちらこちらに伝説の起源となっておられて、そこから神も仏も一緒になって、日本独自の宗教体型がつくられたのではないかと思っています。
そうした古い形の神社がありました。お社と、お坊さんたちが勉強したり、修行したり、時にはもめごとや地域の政治とも関わりながら、地域の中で独自の地位を築いていた鎌倉・室町の時代がありました。資産があるのでお山の神社と寺は仲良く共存して、地域の領主、ここは北畠家が戦国時代も支配し続けていました。
それが、破壊の時代がやってきます。信長さんの時代で、伊勢の国内に侵攻してきた信長軍と戦う時には、山全体を1つの要塞として対峙したため、かなりの部分が消失し、江戸時代になってからも、津のお城を築く際にも、山域の巨木を供出しなくてはならなかったらりして、ここでもダメージを受けたりした。
破壊の時代のあとの、建設の時代は江戸時代でした。消失した本殿などがふたたび築かれ、ささやかに地域の神様として存在していたら、ふたたび破壊の時代の明治となり、神仏分離という号令が出て、山域の寺的な建物はすべて破壊され、また周囲のいくつかの神社もすべてこちらに整理されて(合祀 ごうし)、神様だけがいろんなものを背負わされてポツンと立つようになったようです。
それから百数十年が経過し、少しずつ昔の形も認めようと復活させている場合もあるようです。
日本人が、作ってきた破壊と建設ですが、安定した時代は建設が進むと思うので、できれば鎌倉・江戸のような、神仏混淆でもなんでもいいから、神様を大事にして、お寺さんにもおすがりして、それらが渾然一体となって私たちの生活の一部になってくれたらと思うのです。
でも、どうやら今は、神様と仏様を分離して信仰したい人たちが多いかもしれない。オン・オフにうるさいというのか、細かなことが気になるというのか……。
東大寺の大仏さんをお参りすれば、ついでに二月堂もいきたくなるでしょう。二月堂から若草山をながめようと歩いていれば、手向山天満宮の境内に自然に入り込んでしまう。せっかくだからとお参りして、鹿と一緒に歩いていたら、いつの間にか春日大社にいる自分を見つけられるでしょう。それが日本人の今までやってきた信仰ではないのかと思うのです。
メッカに向かって1日数度の礼拝をするわけではなく、豚肉を食べなかったり、牛肉を食べなかったりするわけではなく、光りの中に神様を感じ、苦しいときにジーザスと叫ばないで、家族のことを思い浮かべる私たち、そういうのがオールドスタイルの日本人でした。
そういうのを否定してみても、ガッシリと日本のこころって、どこかにあるわけだから、みんなこちらへ帰ってくると信じています。
簡単にはもとに戻らないけれど、どう否定したって、神と仏は私たちには等価のありがたい存在なのだと私は思います。ぜひ一緒に同じ所にいていただけたらと思います。