今日は途中まで書きます。
昨夜もちゃんと本を読みました。芹子さんが会社の同僚と一緒におしゃべりしたり、男性社員と交際関係に発展したり、葵さんという同僚は会社をやめて、十いくつ離れたカメラマンとの関係を深めるために会社を辞めたり、美人の受付嬢の百合子さんが、なかなかこれという人がみつからず、見つけた相手は結婚を拒まれ、とうとうひとりぼっちで会社に取り残されたりしています。
社内恋愛の小説なんでしようか。こうした女性たちが揺れながら会社生活を送っているのが文学なんでしょうか。1986年に書かれた1960年代末の物語とは、どんな意味があったのか。私は意味の分からぬまま、わりと女性たちの揺れを楽しんで読んでいます。でも、根気と体力がなく、眠気にもすぐ負けて、十数ページでコロリと寝てしまいます。
明日、何か分かったら、つづきを書きます。
今朝、うちの奥さんから、「お父さんが鉄砲で撃たれる夢を見た」と聞かされました。ボンヤリしていたので、「何だかヤだな」とも思いましたが、そういう夢もありかな。ひょっとして吉夢かなとも思い、何も反応しないでしまいました。
まあ、何とか今日も普通に1日が終わりました。ウイスキーで酔っぱらって寝るなんて、何となくしあわせです。少し幸せすぎるかもしれない。たまには悪酔いするとか、円形脱毛になるとか、扉に小指をぶつけるとか、そういうこともあっていいくらい、何もなくてしあわせです。ありがたいことです。感謝して、本でも読みます。
「しずかにわたすこがねのゆびわ」のつづきを貼り付けてみます。
椎名が帰ってくると、百合子は突然笑い出した。百合子の笑いはなかなか止まらなかった。
「なあんだ、椎名さんだったんですか。ああ、信じられない」
と百合子は笑いをおさめると、椎名をからかった。
「それじゃ、椎名さんがご自分で、宣伝業務課に板垣さんの欠勤連絡をすればよかったじゃありませんか」
と椎名に言い、それから三人でこれからのことを話した。椎名と蕗代(ふきよ)が別々に退社するまで、百合子は何も知らないことにする約束をした。
蕗代の以前のアパートで芹子と三人で話した時、最後まで残るのは私かもよ、と言った役を引き受けて、百合子は蕗代の退社を見送った。
百合子は受付に座って、蕗代の言った言葉を思い出していた。
でも、ふしぎだね。
不妊症じゃないかと思った途端に妊娠した。
もう結婚なんてどうでもいいや、と気持ちをはぐらかしたら、何かがくるっとひっくり返って、結婚が現実になった。
これは、なんじゃろか、と思うよ。
百合ちゃんだって、その転機が、明日やってくるかもしれないよ。
その時、百合子はこう言ったのだった。
そいつまでもの転機は、五年先、十年先しか、やってこないかもしれないわ。
でも、いつかはやってくるんだよね、と蕗代は言った。
だって、一生同じままでいる人なんていないもの。
だけどさあ、娘はそれを、いつまでも待ってるわけにはいかないんだよね。
だからといって、百合ちゃん、あせっちゃだめよ。
それであとの人生が決まっちゃうんだもの。 P127
椎名さんも蕗代(ふきよ)さんも、会社内で知り合って、会社内ではうまく隠してやってきて、いよいよ同じアパートに同居して、籍を入れよう、一緒に退社しよう、というところまで来て、友人の百合子さん(美人の受付嬢)を呼んで、今後どのようにして退社していくかを打ち合わせるところです。
この小説では、どんどん寿退社が出てきて、これからこの女性たちが、どんなふうにして70年代を生きていくのかが描かれるのだと思われますが、わりとみんな前向きで、本当のパートナーを求めていて、一生懸命相手の中に自分を探そうと努力し、自分たちで自分たちらしい生活を見つけていこうとしています。
今の若い人たちには、こんなに会社をともに辞めて、その後も夫婦で仲良く生きていこうというパターンは少ないような気がします。これが今風でないところであり、これがヒカリ・アガタさんの魅力なんだと思われます。
昼休みに、二階の宣伝部長が受付に来て、百合子に言った。
「吉田さんと三人で、トンカツ喰いに行こう」
百合子は藤子を呼びに行き、昼も夜もご馳走攻めね、と苦笑しながら部長についていった。若い社員たちが足早に追い越していく。
椅子席の奥の小座敷に座ると、部長は藤子に言った。
「戦友が一人去るようで、淋しくなるな」
年齢は部長の方が上だが、社歴は藤子の方が古い。百合子は何度か、部長にそのトンカツ屋に連れてきてもらったことがある。自分の父親とそう違わない年齢の部長が自分をさそうのは、淋しい時なのだという気がする。いつも昔話をするのだ。他の社員は、その話を聞くのが面倒なので、二回に一回は断るが、百合子は断ったことがない。
やはり部長はいつもの話をした。東条英機がピストル自殺を図った時、塀を乗り越えて一番乗りしたという、新聞記者時代の思い出話だった。百合子はそれまで何度かその話を聞いて、東条英機は自殺で死んだのだと思っていたが、今日、藤子との会話を聞いていて初めて、それは未遂におわり、数年後に戦犯として絞首刑で死んだのだということを知った。
その店の向かい側の、大衆食堂や焼き鳥屋などがあったごみごみした一画は、駅周辺の再開発のために取り壊しが始まっていた。
「戦後は遠くなりにけりだねえ。マーケットもどんどんなくなる」
と部長がそれを見て言った。その言葉や、自分が加われなかった二人の会話の雰囲気があとを引いて、午後はずっともの哀しいような気持ちで胸がふさがれていた。
退社時間になり、百合子と一緒にタイムカードを打って出ると、コンクリートで護岸された川を渡りながら藤子が言った。
「今日は私が育った下町へ行きましょう。隅田川の桜を見に行きましょう」
二人は電車で上野まで出ると、そこから仏壇屋などの並ぶ通りを浅草にむかって歩いていった。藤子も浅草に来るのは二十年ぶりだという。
「ずっと、来たくなかったの。でも、会社をやめる記念に見ておきたくなって」
そう言った藤子は、隅田川の川岸までくると、声をあげた。
「ああ」
川岸は護岸工事をしていて、桜の樹は、なかった。
藤子はクレーン車やブルドーザーの影がうずくまっている殺風景な土堤に立って、涙声で言った。
「この土堤には、こんな一抱えもある桜の大木が並んでいて、春にはずーっとむこうまで、淡い桃色がかすんで見えたのよ。子供の頃、私は春になると、この土堤で、土筆や蓬や野蒜を摘んだの」
土堤を離れて浅草に戻り、一軒目の〈麦とろ〉に座ると、藤子は静かな声で言った。
「私は深川で生まれて育ったのよ。終戦の年の六月十日の大空襲で、幼友達がずいぶん死んだ。隅田川に死体がたくさん浮いて流れていたのをわすれられないわ」
百合子は自分より一回り上の、四十二歳の藤子の顔を見つめた。まだ充分美しいが、時に髪型などによって、とても老けて見えることがある。昼休みのトンカツ屋では老けているように感じたが、今は少女めいているような気がした。
「私は十四歳だったのよ。同級生で死んだ人も多いし、結婚相手になるような年上の人も、戦死して数が少なかったの」
百合子は古い社内報で見た、藤子の写真を思い出した。木造社屋の机にむかっている、セーターに格子縞のフレーヤースカートの、二十歳くらいの時の写真だった。P142
こちらは、無くした東京探しの場面です。これはこの時代を体験した人しか描けないところで、永井荷風か、干刈あがたさんか、高見順か、川端康成か、とにかく昔の作家にしか描けない風景です。
この吉田藤子さんは寿退社ではなく、不本意退社です。そこが何とも言えない寂寥感を漂わせています。あんなに会社のために二十年近く頑張ってきたのに、もうオバサンだから、身を引くなんて! 今では考えられない、今なら幹部職員への道もあると思うんですけど、意外と一緒なのかな……。
昨夜もちゃんと本を読みました。芹子さんが会社の同僚と一緒におしゃべりしたり、男性社員と交際関係に発展したり、葵さんという同僚は会社をやめて、十いくつ離れたカメラマンとの関係を深めるために会社を辞めたり、美人の受付嬢の百合子さんが、なかなかこれという人がみつからず、見つけた相手は結婚を拒まれ、とうとうひとりぼっちで会社に取り残されたりしています。
社内恋愛の小説なんでしようか。こうした女性たちが揺れながら会社生活を送っているのが文学なんでしょうか。1986年に書かれた1960年代末の物語とは、どんな意味があったのか。私は意味の分からぬまま、わりと女性たちの揺れを楽しんで読んでいます。でも、根気と体力がなく、眠気にもすぐ負けて、十数ページでコロリと寝てしまいます。
明日、何か分かったら、つづきを書きます。
今朝、うちの奥さんから、「お父さんが鉄砲で撃たれる夢を見た」と聞かされました。ボンヤリしていたので、「何だかヤだな」とも思いましたが、そういう夢もありかな。ひょっとして吉夢かなとも思い、何も反応しないでしまいました。
まあ、何とか今日も普通に1日が終わりました。ウイスキーで酔っぱらって寝るなんて、何となくしあわせです。少し幸せすぎるかもしれない。たまには悪酔いするとか、円形脱毛になるとか、扉に小指をぶつけるとか、そういうこともあっていいくらい、何もなくてしあわせです。ありがたいことです。感謝して、本でも読みます。
「しずかにわたすこがねのゆびわ」のつづきを貼り付けてみます。
椎名が帰ってくると、百合子は突然笑い出した。百合子の笑いはなかなか止まらなかった。
「なあんだ、椎名さんだったんですか。ああ、信じられない」
と百合子は笑いをおさめると、椎名をからかった。
「それじゃ、椎名さんがご自分で、宣伝業務課に板垣さんの欠勤連絡をすればよかったじゃありませんか」
と椎名に言い、それから三人でこれからのことを話した。椎名と蕗代(ふきよ)が別々に退社するまで、百合子は何も知らないことにする約束をした。
蕗代の以前のアパートで芹子と三人で話した時、最後まで残るのは私かもよ、と言った役を引き受けて、百合子は蕗代の退社を見送った。
百合子は受付に座って、蕗代の言った言葉を思い出していた。
でも、ふしぎだね。
不妊症じゃないかと思った途端に妊娠した。
もう結婚なんてどうでもいいや、と気持ちをはぐらかしたら、何かがくるっとひっくり返って、結婚が現実になった。
これは、なんじゃろか、と思うよ。
百合ちゃんだって、その転機が、明日やってくるかもしれないよ。
その時、百合子はこう言ったのだった。
そいつまでもの転機は、五年先、十年先しか、やってこないかもしれないわ。
でも、いつかはやってくるんだよね、と蕗代は言った。
だって、一生同じままでいる人なんていないもの。
だけどさあ、娘はそれを、いつまでも待ってるわけにはいかないんだよね。
だからといって、百合ちゃん、あせっちゃだめよ。
それであとの人生が決まっちゃうんだもの。 P127
椎名さんも蕗代(ふきよ)さんも、会社内で知り合って、会社内ではうまく隠してやってきて、いよいよ同じアパートに同居して、籍を入れよう、一緒に退社しよう、というところまで来て、友人の百合子さん(美人の受付嬢)を呼んで、今後どのようにして退社していくかを打ち合わせるところです。
この小説では、どんどん寿退社が出てきて、これからこの女性たちが、どんなふうにして70年代を生きていくのかが描かれるのだと思われますが、わりとみんな前向きで、本当のパートナーを求めていて、一生懸命相手の中に自分を探そうと努力し、自分たちで自分たちらしい生活を見つけていこうとしています。
今の若い人たちには、こんなに会社をともに辞めて、その後も夫婦で仲良く生きていこうというパターンは少ないような気がします。これが今風でないところであり、これがヒカリ・アガタさんの魅力なんだと思われます。
昼休みに、二階の宣伝部長が受付に来て、百合子に言った。
「吉田さんと三人で、トンカツ喰いに行こう」
百合子は藤子を呼びに行き、昼も夜もご馳走攻めね、と苦笑しながら部長についていった。若い社員たちが足早に追い越していく。
椅子席の奥の小座敷に座ると、部長は藤子に言った。
「戦友が一人去るようで、淋しくなるな」
年齢は部長の方が上だが、社歴は藤子の方が古い。百合子は何度か、部長にそのトンカツ屋に連れてきてもらったことがある。自分の父親とそう違わない年齢の部長が自分をさそうのは、淋しい時なのだという気がする。いつも昔話をするのだ。他の社員は、その話を聞くのが面倒なので、二回に一回は断るが、百合子は断ったことがない。
やはり部長はいつもの話をした。東条英機がピストル自殺を図った時、塀を乗り越えて一番乗りしたという、新聞記者時代の思い出話だった。百合子はそれまで何度かその話を聞いて、東条英機は自殺で死んだのだと思っていたが、今日、藤子との会話を聞いていて初めて、それは未遂におわり、数年後に戦犯として絞首刑で死んだのだということを知った。
その店の向かい側の、大衆食堂や焼き鳥屋などがあったごみごみした一画は、駅周辺の再開発のために取り壊しが始まっていた。
「戦後は遠くなりにけりだねえ。マーケットもどんどんなくなる」
と部長がそれを見て言った。その言葉や、自分が加われなかった二人の会話の雰囲気があとを引いて、午後はずっともの哀しいような気持ちで胸がふさがれていた。
退社時間になり、百合子と一緒にタイムカードを打って出ると、コンクリートで護岸された川を渡りながら藤子が言った。
「今日は私が育った下町へ行きましょう。隅田川の桜を見に行きましょう」
二人は電車で上野まで出ると、そこから仏壇屋などの並ぶ通りを浅草にむかって歩いていった。藤子も浅草に来るのは二十年ぶりだという。
「ずっと、来たくなかったの。でも、会社をやめる記念に見ておきたくなって」
そう言った藤子は、隅田川の川岸までくると、声をあげた。
「ああ」
川岸は護岸工事をしていて、桜の樹は、なかった。
藤子はクレーン車やブルドーザーの影がうずくまっている殺風景な土堤に立って、涙声で言った。
「この土堤には、こんな一抱えもある桜の大木が並んでいて、春にはずーっとむこうまで、淡い桃色がかすんで見えたのよ。子供の頃、私は春になると、この土堤で、土筆や蓬や野蒜を摘んだの」
土堤を離れて浅草に戻り、一軒目の〈麦とろ〉に座ると、藤子は静かな声で言った。
「私は深川で生まれて育ったのよ。終戦の年の六月十日の大空襲で、幼友達がずいぶん死んだ。隅田川に死体がたくさん浮いて流れていたのをわすれられないわ」
百合子は自分より一回り上の、四十二歳の藤子の顔を見つめた。まだ充分美しいが、時に髪型などによって、とても老けて見えることがある。昼休みのトンカツ屋では老けているように感じたが、今は少女めいているような気がした。
「私は十四歳だったのよ。同級生で死んだ人も多いし、結婚相手になるような年上の人も、戦死して数が少なかったの」
百合子は古い社内報で見た、藤子の写真を思い出した。木造社屋の机にむかっている、セーターに格子縞のフレーヤースカートの、二十歳くらいの時の写真だった。P142
こちらは、無くした東京探しの場面です。これはこの時代を体験した人しか描けないところで、永井荷風か、干刈あがたさんか、高見順か、川端康成か、とにかく昔の作家にしか描けない風景です。
この吉田藤子さんは寿退社ではなく、不本意退社です。そこが何とも言えない寂寥感を漂わせています。あんなに会社のために二十年近く頑張ってきたのに、もうオバサンだから、身を引くなんて! 今では考えられない、今なら幹部職員への道もあると思うんですけど、意外と一緒なのかな……。